YouTubeで「半澤鶴子」で検索

すると、英語版で海外向けに放映された彼女の映像がでる。声は本人。
今日のブログは、タイトルだけでいい、くらいだ。ぜひ見てほしい。NHKで6回再放送された、という。
オリンピック向けのCMでなんやらいう美人が「お・も・て・な・し」いうのが洗脳に思えるくらい、似て非なる「おもてなし」がある。

先月、神無月の26日に、珠洲で半澤鶴子さんの茶事があった。「名残の茶事」
名残(なのこり)は、昔は「波残」といった。彼女のお茶は「陰陽のバランス」や「男と女が
結ばれて、ひとびとが平和で健康に生き暮らしていく」ことをテーマにしている。自然によりそい、
季節を重んじ、その場その場の「今」に感謝しながら、茶事を施すことをライフワークにしている。
波残・・寄せたり引いたりする波を、古人は男と女の物語によせた。波のひいた後に残る美しき残像、
あることの去ったコトやヒトの余韻を楽しむ、そんな風情を感じた。ことのほか意味のあった今年の10月の
満月の後、そんな不思議なメッセージをより深く感じた。

テレビの画像で、彼女が茶壷の封を切る場面がある。「口切り」といって、「炉開き」と同様、
11月の大きなイベント。だから、茶壷の茶が残りすくなくなったことの名残。いまひとつは、風呂(お風呂に半年入らないのではない)がまた半年の
お別れになる、という意味もある。置き釜というのは「陽」で、炉に置く釜は「陰」
つまり、陰陽が入れ替わる月でもある。ぼくたちのこころの中にも、男と女が両性具有されているのよ(なぜかおかまことばに)。
ユングの「アニマとアニムス」やね。自分の中にある♂(陽)と♀(陰)も、黒になったり白になったり転じながら、宇宙
はいとなみを続けているのであ~る。

番組の最後に東北で、女子高校生たちと雪の中でやる「茶事」がある。
「茶飯釜」・・まぼろしの茶事といわれるものだ。本来は茶室の小さな空間で、天井から自在で
釣った釜でごはんを炊き、汁をあたため、一盌の茶を喫する。まさに「喫茶去」の本流。
これを、雪の中でやった映像。311で被災して転校をやむなきになった高校生たちのコメントが泣かせる。
茶事の途中から、若い彼女たちの顔がイキイキしてくる。茶は「命」そのもの。
パンやスープをチンして、連ドラ見ながら、ボリボリしている場合ではない。

これから「卵かけごはん」。便利な暮らしになって、ひととひとの「つながり」が希薄になった。
家族さへも、みなバラバラになっているような昨今。「同じ釜の飯を食う」ちゅうのが、
とても大事なことのように思う。日常茶飯に置き忘れたことを、思い出す、のも「名残」かもなんばん。感謝。

11/6(水)新作CD発売記念ライブ「ソボブキ」
演奏:
西尾賢(ピアノ、三味線など)
藤ノ木みか(うた、パーカッション)
伊藤啓太(コントラバス)
豆奴 (おまけ)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

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