総持寺を掃除する坊さんを「じゅっとく」といいます

昨日は一日☔だった。
空港に女子を迎えにいく。予想通り着物で降りてきた。
早起きして世田谷から着物きて空港にいったので、朝飯抜きできたらしく、そのまま輪島の
「門前」の手仕事屋という蕎麦屋にいって、蕎麦を手繰る。
豆腐屋が開いた蕎麦屋で、いっしょにでてくる豆腐が秀逸。

東京にも門前中町みたいな地名もあるけど、こちらの門前は「総持寺」。
横浜の鶴見に石原裕次郎さんが眠る「総持寺」がある。本来は、輪島が本山
だった。明治に大火があり、横浜にうつり、「総持寺祖院」として、風光幽玄な禅の寺
として、世界中から「禅味」を体験させる聖地として能登に鎮座している。
山岡鉄舟の襖四枚に、揮毫した字は、迫力満点。

参道に箒をもった地蔵が見える。「掃除地蔵」とあった。禅寺で掃除をするのは、雲水(修行僧)の
大事な作務。寒山拾得(かんざんじゅっとく)の箒をもったほうが拾得。
深山の巖穴に住む寒山が腹が減っては、お寺にいき、拾得に🍙などをもらい、二人で
酒脱で広大無辺な自然や宇宙の話をし、それを寒山が詩に残した。寒山詩、という。
つまり「掃除地蔵」は雲水であり、拾得である。禅林や絵描きが「寒山拾得」の絵を
好んで描いた、という理由がそこにある。(掃除地蔵は総持寺とかけたオヤジギャグでもあるが、
ほとんどの人は、気づかない。)また寺のまかないをする雲水を「典座」(てんぞ)という。

若いころ横浜の総持寺に通って坐禅をしていたころがある。曹洞宗では座布(ざぶ)という丸い座布団を
尻の下に敷き、壁に向かって座る。栄西を祖とする臨済宗では、逆向きに坐る。
坐る、というのは、土の上に人がふたり。「自己」と「自我」らしい。呼吸やそこを調整するために坐る。
ぼくが習った老師の座禅は少し変わっていて、固まらないように、途中で鐘をチンと鳴らした時に、
少し👀をあけて、左右と体をラジオ体操のようにまわす、という独特の座禅やった。老師はもう鬼籍に
入られたけど、この方法が一番いいので、今もそんな坐禅を無手勝手流にやっている。

今朝も6時に「さざえさん」の音楽(街の災害時などに使う音源で、朝6時に鳴る)で👀が覚め、
里山に向かって坐禅。その後、最近教えてもらった指気功をやり、朝飯。ガレットと珈琲。
今日はまた東京から梅林ガールがふたり飛んできて、珠洲で茶事に参加。
明日も主催される半澤鶴子さんの講演を聞いた後、珠洲焼を見学して、女子たちは東京に
もどる予定だ。今日の夜は珠洲の宿で、地酒「宗玄」でも飲みながらの女子会になりそうだ。

焚くほどに 風が持ちくる 落ち葉かな(富士正晴)

秋は、どこの街にも 寒山拾得が いっぱいだ。感謝。

11/6(水)新作CD発売記念ライブ「ソボブキ」

演奏:
西尾賢(ピアノ、三味線など)
藤ノ木みか(うた、パーカッション)
伊藤啓太(コントラバス)
豆奴 (おまけ)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)