津軽のカマリ

昨日は、高橋竹山先生の流れをくむ山本竹勇さんの津軽三味線のライブだった。
そばのお弟子様が「津軽のカマリ見ました。空席2名まだ大丈夫ですか?」とメールがきて、ドタサンされた。
これまで、端唄や地唄や新内(しってる?しんない)などの三味線のライブはやったことがあるが、
「太棹」(ふとざお)で津軽三味線というのは、天真庵初。あの独特なバチ捌きの音が、魂の奥底に鳴り響く。

IT時代に、建築の会計業務のコンサルタノトみたいなことをやった時期がある。全国にお客さんがいたけど、
特に青森に集中していた。なんでも東京一極集中時代に不思議な現象やった。サンシャインに近い東池袋に事務所が
あり、そこから「おばけやしき」?のようなでかい三階建てのビルを借りることが決まった時、お祓いのために九州から
知り合いの霊媒師を呼んで浄化していただいた。そのお礼をかねて、すしやにいき、酒を飲みながら話をしていると
、突然筆子さんの顔をみて、「あなたは弘前のある神社の加護を受けています」といった。「なるほど」と腑に落ち
た。筆子さんのおじいちゃんは弘前から東京にでてきて、能登から東京にでてきたおばあちゃんと結婚した。

そんなこともあって、毎年春には、弘前にいって、津軽富士と呼ばれる「岩木山」などを眺めながら、神社に
お参りしたりした時期がある。厳しい冬を乗り越えて、桜や桃などが一気呵成に咲く姿は、極楽浄土そのものだ。
夏は「ねぷた」が待っている。

昨日はそんな岩木山が見える「十三湊(とさみなと)」(北前船で栄えた港。義経も寄った港。だが、大津波を受けて消えてしまった)という曲を
やってくれた。

♪十三の砂山ナーヤーエ米ならよかろナ 西の弁財衆(船乗りさん)にゃエー ただ積ましょ ただ積ましょ

三味線や民謡のうんちくはないけど、YouTubeで「成田雲竹」さんの「十三湊」がある。成田さん
が「竹山」と組んで、テレビなどに出始めのがきっかけで、高橋竹山先生の津軽三味線は、世界に羽ばたいていった。

津軽三味線は、もともと盲目(ボサマ というらしい。)の門附け芸(家の門の前で唄や三味線を弾き、施しをうける)
だった。ほとんどが、人以下の扱いで、門前払いの業だったらしい。
今回の台風でも、避難所に入ろうとするホームレスをことわったアホな役人の話題があった。
ボサマ、というのは「坊さん」やろね。坊さんは托鉢をする。宿なし、寺なしで、お乞食をしながら
生きてきた。よくよく考えると、みな「お釈迦様」と同じことをしているのだ。家やお金や財産・・親・兄弟・
家族・・・みな「神さまから借りている」のだ。必要な時に借りて、必要なくなったら返す、が神のルール。
本来が「無一物」だから「無尽蔵」なのだ。

ライブが終わって、縁をつくってくれた薩摩琵琶の「ももかちゃん」たちと打ち上げ。
その日のために秋田の銘酒「山本」で乾杯。ぼくは密かに隠しておいた「今西」を「丹波の枝豆」をつまみに飲みながら、
談論風発。茶事で、「八寸」(はっすん)といって、四方皿(天真庵のそばを盛る志野の皿)に、枝豆とか衣被(きぬかつぎ)
なんかがでてきて、それを酒肴に飲む。ほんとうに神人冥合のような至福な時間。ちょっと飲みすぎた。

来年の春くらいに、また「山本竹勇・津軽三味線の魅力」を企画したいと思う。
今日は日曜日なので16時まで。それから「蕎麦打ち教室」
お弟子様から今朝メールがきて「腰をいためた」とのことで中止。津軽の方言詩人、故高木恭造さんの詩集に
「まるめろ」というのがある。冬は「淋しく長ゲ冬」・・・出稼ぎにいった夫は、まだ若け~から、おなごさ
つくって、腰をいためるようなことなかっぺか?・・と心配するくだりがある。
「かあちゃんと布団の中でけっぱる(がんばる)のもいいけど、おからだおだいずに・・ほどほどがよかっぺ」感謝。