あなたは珈琲派 それともお茶派  「はっ?」 ぼくはおちゃけ派

昨日は、バスの一日乗車券で、錦糸町乗り換えで、亀戸を超え、船堀までいってきた。
タワーホール船堀で、日本化学秋季事業 第九回化学フェスタ2019
が開催されていて、「健康長寿のひけつはこれだ!?~からだに良い食べ物を化学する」
の講演を聞きにいった。昨年は、ここで「長寿には発酵食」の講演があった。
天真庵の「菌活の会」(味噌つくり)も、そんな流れの影響もあって、100人を
超える「菌活女子(男子もいる)」が2月に集まってくる。味噌・梅干し・ぬか漬けをまじめに食すと健康だと思う。

6人の講師が、「魚がいい」「ワインがいい」「海藻がいい」「オリーブオイルがいい」「珈琲かお茶か」「いろいろ食べたほうがいい」
・・・・というのを、いろんな学会などの資料をもとに検証した。
簡単にいうと、そんな内容だった。一日かかりだったけど、いい勉強になった。感謝。

この企画をやっているのは、うちの常連さんでKAOのえらいさんだ。
いっしょにKAOあわせて飲む時はいつも、かよう(ダジャレではない)なテーマで話をすることが多い。

「珈琲とお茶 どちら?」で挙手をすると、珈琲派のほうが圧倒的に多いのが
びっくりした。
確かに、インスタントコーヒー、缶コーヒー、コンビニでもそれらしき珈琲を
飲める時代になり、消費は増えているみたいだけど、「長寿につながるような中身」
とは、程遠くなっているように思う。飲む時の「こころのゆとり」みたいなものが薄れているように思う。

うちの常連さんで、クラリネットの名手がいる。ベルギーに留学した時、師匠の前で
演奏したら、「君まだ音が固いね。明日からパリのカフェにいって、通りを歩く女の子を
眺めながら珈琲を飲んできなさい」といわれたそうだ。彼は、師匠のいうとおりに、パリにいき、
サンジェリジェ通りの古いカフェで、エスプレッソを飲みながらしばらく過ごし、師匠の
もとに戻り、同じ曲を演奏したら、「ずいぶんよくなったじゃない」とほめられたそうだ。
理屈ではなく、そんな時に、珈琲が真ん中にあった時代がある。この星に男と女がいるかぎり、
珈琲はなくならない、と思っていた。危うい時代を迎えている。

ぼくは二十歳のころに下鴨神社の近くの「からふねや珈琲」というところで、珈琲の修行をした。
社長(といっても、7つ違い)とマンツーマンで、血の小便がでる(あとにも先にも、この時だけ)
くらい厳しい修行だったけど、大学一年生のアルバイトが、その下鴨本店をまかされることになり、その
後は、へんな話ではあるが、社会人(つまり正社員)を部下に持つ、という不思議な立ち位置を経験した。

そんな厳しい時、社長が「野村くんの珈琲はまだ若いな。おんなの子のおしりをやさしくなでる
ような感覚でいれへんとあかんのや」といわれたことがある。その時は内心「すけべなやっちゃな」
くらいの気持ちやったけど、後になって「なるほど」と悟りの瞬間みたいな場面がいくつかあった。あくまで「感覚的」
なもんやけど、どんな分野においても大事なことかもしれない。技術うんぬんではなく「魂を磨く領域」に到達せんとだめだ。
「大手飲食店」の教育セミナーでそんな話をしたら、モンスタークレーマーの餌食になりそうな話ではあるけど、
今の時代に足りない「大事なこと」のような気がする。「大勢のドタキャンやモンスタークレーマーで飲食店の経営が大変」
のような記事をよく見かける。問題なんは、飲食店ではなく、ドタキャンして平気な奴や、自分中心の天動説のような輩を
排出する「今」という世の中の方ではないだろうか?

「お茶」も消費量が増えているけど、ペットボトルの売り上げが貢献しているのが主たる原因。
急須が家にない家庭が普通だという時代だ。(箸置き・折敷・・ある?ないよね)まして「宝瓶」がある家など、皆無に近いので
かろうか。ぼくらが学生のころ「茶せーへん」と女子を誘うときは、どえらい勇気と、若い下心が内包されていていた。
濃茶どころではない濃さがあったし、お茶をする時間は濃密な時間やったように思う。みんな明日に掛ける「希望」や「夢」があった。

ワインとか地中海料理に使うオリーブオイルの「効能」の話を、パワーポイント使って、
いろいろなデータを紹介されていたけど・・・
「地産地消」というか、その土地土地で長い時間をかけてきた「その地の料理や酒」
が一番いいのではないかと思う。わいはワインを飲まへんけど、日本人は日本酒や焼酎があうし、
日本料理にもあう、と思う。
痴呆にいい、と、地方に住んでいる高齢の両親に「赤ワインを毎日飲みなさい」といっておくっても、
どうやろね・・?それやったら、たまに顔を出して、いっしょに温泉でもいき、その地のものを酒肴に
地酒を飲むほうが、いいような気もする。

サプリやペットボトルや、便利な健康食品が幅をきかせる時代だけど、あまり振り回されずに
自分の直感を信じて、自然体に生きていくほうが素敵な感じがする。
炭火の赤い七輪の上に、サンマを焼き、すだち(かぼすでもいい)をかけ、湯の沸いた鉄瓶に志野の「燗鍋」(かんなべ・・チンコ徳利の王様)をいれ、
おそろいの志野のぐい飲みで一献。飲むほどに、顔がほんのり赤くなる。(余談だけど、少し赤みがかった志野を「ピンク志野」という。
天真庵の「ざるそば」を盛る四方皿(よほうざら)は「絵志野」(えしの)。「眠る香炉」につかわれている鼠色の志野を「鼠志野」(ねずみしの)という。)
ほろ酔いで、ピンク志野のように色っぽくなった美人の顔みながら飲む酒は最高。その場で「もう一本飲んだら、死ぬよ」と医者にいわれたらあなたはどうする?
「そこでやめる派?」「そのまま飲む派?」・・・・わたくしは、まよわずあと二三本飲む派!そして生きていたら、美人とハグしてもう一本飲む派だ。感謝。

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