なんとか日常茶飯がもどってきた!

台風がいった。311に耐え、今回の大きな台風にも耐えた!
天真庵の建物は昭和20年の3月の東京大空襲で焼けた土地に、福田栄吉さん
が建てたもので、築74年・・後期高齢者みたいなものだ。
彼は「福田組」の組長。ヤクザではなく、土木建築業の社長さん。

しばらく空き家(四半世紀近く)だった。栄吉さんの娘さんも土木建築業を継いで
女組長でがんばっていた。誰にも貸さない物件だったけど、「栄」という共通の名前に
縁を感じ、賃貸契約が成立した。その時ふいに隣に座っていた息子のMさんに「おめだたいので、
向島のMにいってきなさい」といった。あまり有名な料亭ではなかったけど、たまたま
IT企業を興したころ、よく通った店だった。栄吉さんも「自分の家」のような感じで
毎日のように馴染みだったらしい。「兄弟だったりして」(彼は昭和28年に旅立ったので、それはない・笑)
その店は女将ができた人で、その当時は、三味線や踊りの上手な芸者さんたちがあまたいた。
いわゆる「枕芸者さん」を目的にしたお店ではない。(こないだかっぽれの時に、「老後は金沢の花街の近くの老人ホームに
入り、車いすになっても遊びにいきたい」話をしたら、なほちゃんが「そんな年になってもエッチなことするんですか?」
と聞いてきた。少しゴカイしてる節がある)

ここの改装は、芸大の建築家を出てホヤホヤの中西くんを中心に、テキスタイルのうな、
油絵をでた林くんの3名と、土日は彼らを慕うワカモノが集まってくれ、4か月で完成した。

ステンドグラスをつくってくれたあいちゃんは、今は「自由が丘バーガー」のオーナー。羽田空港内に
もお店をだした。スットンキョーな人で、ときどき深夜や早朝に電話がかかってきて「押上のおとうさん」
を枕に近況を一方的に話す。「お前のような娘を仕込んだ記憶はないけど、元気そうでなにより」
というような返事をする。昨日は、そのステンドグラスが風で危ない?と思ったけど、なんとか無事だった。

街路樹の葉っぱがいっぱい散らかっているくらいで、それを「拾得」(寒山拾得のじゅっとく)
よろしく箒で掃き、お店の中に避難させていた植木をもどすと、なんとか平常どおりになった。
そして元気に蕎麦も打てた。人もお店も「無事これ名馬」である。

箒をもった拾得は、「お寺のまかない係」。禅林では「典座」(てんぞ)という。
曹洞宗の開祖・道元が 遺した『典座教訓』は、「日常茶飯が修行である」を説いた。
今、映画になっているので、縁ある人は見てもらいたい。「映画 典座」で検索するとでてくる。
青山俊薫(あおやま しゅんどう)さんも出演している。昭和8年生まれ、道元さんと同じよいうに、
茶や花を「日常」にすることの中で禅の道を広げておられる日本一の尼僧さま。
長野の塩尻の曹洞宗無量寺におられる。

昨日、風よけ?に本棚を動かしていたら、彼女の本が棚から落ちた。
「一度きりの人生だから」(海竜社)

帯に

みんな「いいもの」が欲しくて、いいものを求めて
人生の旅をしている
その「いいもの」は人によって違う。
いちばんいいもの、
それは持ち物じゃなく、
持ち主が、癌さへも「おかげ」と
言えるような生き様の
できることではなかろうか。(本文より)

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