だめ中・・だめから始める中国語

いい得て妙なネーミング。ダメもとだけど「とりあえずやってみるか」とはじめ
半月くらいで終わりかな、と誰もが思っていた教室がかれこれ10年近く続いている。
継続は力であ~る。なんでも「やってみなはれ」の精神が肝要。

先月の休みは、青山を散歩しながら「炎色野」(ひいろの)に立ち寄った。寄る年波
というと、美人の女店主にしかられそうだが、来年の2月に閉店することになった。
久保さんの陶展を長いことやってくれた場所だ。升たかさんもそこで出会い、彼が14年
くらい前に京島の長屋にアトリエをつくり、そこに「引っ越し蕎麦」をもってきた縁で、
天真庵が池袋から押上に結ばれることになった。人気作家の渡辺愛子さんも、そんな縁にひきずられ、
近くの八広にアトリエを持つことになり、東京と伊賀を往復しながら作陶を続けている。
いろいろ人生の「ゆたかさ」を教えてもらった場所だ。居酒屋ではないけど、個展中に飲む酒は至福やった。

炎色野さんとは、不思議な縁でつながった。20年くらい前になるけど、久保さんの作品を
おいてもらうお店を開拓した日がある。田園調布と自由が丘と渋谷、つまり渋谷からの一本で
いける場所に一か所づつお願いにまわった。ふたつはすんなりきまったけど、最後の渋谷が苦戦をした。
夕方陽が落ち、「もう最後」と思って、メモしてきたお店に電話をしたら、「はい、ヒイロノです」
という声がした。メモには「〇〇陶苑」と書いてあったので、「失礼しました。間違えました。」
といった後、「ひいろの?なんのお店ですか?」と聞いた。「焼き締め中心の器を売っております」
というので急いで宮益坂を駆け上り、その当時にはまだあった仁丹ビルの裏の横丁に古色蒼然とした二階屋の陶器やさんの玄関を開けた。
何かサムシング・グレートの仕業としか思えないけど、無駄のない縁の原点ができた。今も美しいけど、あの時の笑顔が脳裏に焼き締められている!
織田流煎茶道の家元もここで出会い、押上にきてからいっしょにお茶する縁がつむがれていく。

押上では煎茶を習う人も増え、教室もにぎやかになってきたけど、能登に移住することをきめて、
一度解散した。最近は能登や島原などお弟子様が移住していった自然の中で、お茶を入れたりすることが多い。
袱紗(ふくさ)も使わず、涼炉(りょうろ)もあり合わせの長火鉢や囲炉裏で代用。お点前も「無手勝手流」。お茶のかわりに珈琲の時
もある。お茶受けも「焼き栗」だったり「干し柿」だったり、島原だと「カステーラ」だったり・・滅茶苦茶?

「和敬静寂」と茶の湯でよく使われる言葉がある。主人とお客さまが、和して敬す、お互いの存在を認め
あいながら茶を楽しむ、ということだ。「おもてなし」の根っこ。では、朝ひとりでお茶を飲むのには「和敬」は成り立たない?
そんなことはない。友達や縁のある人を思い、または天国に召された家族のことなどを思い茶を飲む
にも、「和敬静寂」は大切なことだなあと思う。でも最高なのは主人ひとり客人ひとりで飲む茶だと思う。一客一亭(いっきゃくいってい)という。

昨日は「炎色」がくっきりついた久保さんの「ひだすきの勾玉」を愛でながら茶を飲んだ。
古代より神にささげる神事につかわれた胎児のような不思議なフォルムに神秘力がある。
茶禅一味ともいうけど、神人冥合のような幽玄な気持ちになる。
自然をわすれるくらい自然体でお茶やお花をいけ、お茶を忘れるくらい茶にのめりこむ、そんな境地を少しつかんだ感じの一期一会の茶。天恩感謝。

昨日のトイレの「日めくりカレンダー」がまたまた一楽。坂村真民さんの「本気」

「本気」

本気になると世界が変わってくる
自分が変わってくる

変わってこなかったら
まだ本気になってない証拠だ

本気な恋
本気な仕事

ああ
人間一度
こいつを
つかまんことには     真民