亀戸の骨董屋

亀戸天神の近くに、妙な骨董屋がある。
ガラス張りの玄関は、珍品堂商会よろしく、中に入る人を
躊躇させるような雰囲気が漂っている。

休みで3時間以上オフになった時など、錦糸町のブックオフで本を買い、
近くのカフェでビール飲みながら読書をしたり、そのまま亀戸まで足を
伸ばして、骨董屋にいくことがある。開いてない(お客さんところへ買い付けにいったり、倉庫を整理したり、忙しい)
時は、亀戸餃子にいって一献(ほんとうは、ここはあまりいかない。。最近は別の意味であこがれの聖地なんやけど・・)

今月は、能登に二回いき、茶事に参加したり、
自分流の茶会を模索しながらお茶や珈琲を入れたり、けっこう忙しい。
今日で10月が終わり、なのが不思議なくらい濃密な「10月」やった。
6月、8月あたりは、静かで、地球のレベルが「あっと」いう間に変わった?
というような月やったけど、今月はいよいよ

パンドラの箱が開けられた?というような感じか・・
今月うぶ声をあげた「勾玉」も、「新しい時代の胎児」みたいに、不思議なところへ縁ずいている。

半澤鶴子さんは「日本のマザーテレサ」みたいな感じの人やった。
茶事は「陰陽のバランス」であり「おとこはんとおなごはんが出会って、結ばれて、子孫が繁栄されることを祈るもんです」
みたいなことを点前をしながら、やさしくほほえみながら、お茶をたてる。また自然体でいれるお茶は、「おいしい」
以外の言葉がいらへん。ブックオフでは、もうひとりの「日本のマザーテレサ」の佐藤初音さんの本をゲット。

お昼前に骨董屋から電話があって「顔が見たくなったのでいっていい?」と電話があった。「こちらは見たくない」
とは言えないので「今日はお休みで、夕方かっぽれまで時間があるから、あとで寄ります」と返事した。
「顔が・・・」なかなか自然に言える人は少ない。昨年まだ若い奥方をなくされた。その時も電話がかかってきて、
涙ながらに訃報を告げる素直さに感動してもらい泣き。深い悲しみにいる友を慰めることは、むずかしく、ただ一杯飲み屋で
横に坐り、杯をだまって傾けるくらいしか芸がないので、ときどき亀戸で飲む。

昨日もそんな日になるかと思ったら、入り口に掛け軸が6本ほど置いてある。ちらっと(骨董屋と話する時
は、ポーカーフェイスが肝要)見ると、「泥舟」と「鉄舟」と書いてある。箱も新しく表装しなおしていて、
「あの経師屋に頼んだ」ということが一目でわかる逸品。高橋泥舟、勝海舟、山岡鉄舟を「江戸の三舟」という。
「見たい?」と骨董屋の主人がニヤッとする。「顔は見たくないけど・・・これは見たい・・」とこころで叫んで
いると、同じ場所にある江戸時代の南画家の梅の軸を開いた。「う~ん。いいけど、お茶掛にはね・・・」というと、
「では、泥舟を見る」とニヤリ。いい字が揮毫されている。あまり興味ない顔をして(実はばれてるんだけど)
「鉄舟を見たい」というと、彼の携帯が鳴り、「お茶道具をひきとってほしい」という。
人の恋路や仕事を邪魔するほど、野暮ではないので、ひとりでカフェにいき、佐藤さんの本を読んでいた。
「祈り」の仕事をしている友達に読んで渡そう、とか思っていたら、ちょうどそのタイミングで友達からメール。
シンクロニシティ、というやつやね。

夜は「おんなかっぽれ」
今日は休みやけど、昼にお客さんが二組。そろそろ準備をしなくては・・・・
不思議な10月が終わろうとしている。
「終わりは始まり」だ。素晴らしい時代が始まろうとしている。

カフェで隣に座った若いカップルが、「スピッツがいい・・」なんて話をしている。
犬のスピッツじゃない。♪あいしてる の ひびき だあけで 強くなれる気がしたね・・のほう。
「優しいあの子」の出だしがいい

♪重い扉を押し開けたら
暗い道が続いてて
めげずに歩いたその道に
知らなかった世界・・・・

骨董屋の扉、バーの扉も開くには「勇気」がいるけど、
「自分の扉」をまず開いて、「自分らしき道」を歩いていく、そんな時代の曲やね、これは・・    感謝。

十牛図

陶芸家の古松さんから、個展にいって白い器を買った
お礼状が届く。
京都大学をでて「ツチコネール」の世界へ入った人だ。
名前の「古松」もそやけど、なかなかの奇人か貴人である。古松談般若。

まだだれにも見せてないけど、その白い器は凛としていていい。
今日は濃霧がでているけど、寒い朝にまず水を沸かし、茶を飲むにいい。
「ひとり茶」にぴったりの器だ。

ハガキの裏には「十牛図」の版画が施されている。
宋の時代の僧が、考案した「悟りの十段階」を、逃げた牛、とおいかける自分
で、表わしている。彼の選んだのは、牛が勢いよく人を引っ張っている。
「まだまだ若い」段階のもの。ご自分の「今」を謙虚に伝えているのだろう。
「忌憚のない意見をお願いします」と、いい字で揮毫している。
誰かに使ってみてもろうて、意見をちょうだいしたい。

陶芸家の友達を美濃に訪ねた折、永保寺(えいほうじ)に連れていかれた。地元の人は「虎渓山」(こけいざん)と呼ぶ。
岐阜県多治見市虎渓山町にある臨済宗南禅寺派の禅寺。その後、京都天竜寺をつくる夢窓国師が建立したもので庭もいい。
そこの住職が「十牛図」の本を書いておられ、その絵の挿絵を青山翁がかいたものが本棚にある。青山翁には「ろくろ」を教えてもろうた。
若いころから何度か読んだけど、ぼくのレベルも「牛にひきずられている」ままだ。

来年は、炎色野(ひいろの)がない。どこかのギャラリーでまた再会したい人であり、器である。今やってる朝の「スカーレット」も
「緋色」(炎色  ひいろ)
みんな幸せあれ・・だ。感謝。

濃霧の中を香取さんにお参りして、これから歯医者。
夜は「おんなかっぽれ」

ただ「祈る」

茶や花は、坐る文化。畳の部屋も少なくなり、床の間も
絶滅危惧種みたいに貴重になってきた。でも失くしたらアカンおもうな、やっぱり。
今回能登の茶会に参加した「梅林ガール」たちさんの感想を聞いて、そう思った。

昨日おそう帰ってきて、半澤鶴子さんのエッセーを読んでいたら眠れなくなった。
昨日も書いたけど、彼女の茶の真ん中には「祈り」があんねん。
「いまここ、で、いっしょに一服させてもろうたおひとりさまおひとりさまに、豊かで健康な人生がありますように」というような。

今日日の茶人いうたら、茶坊主を通りこした「におい」がプンプンするひとが多い。
自分で「茶人や」なんていう人は、その一瞬で鼻が曲がってしまうように臭い。
書家も華人たちも音楽家たちアーティスト一般にいえるかもなんばん。
「どや、この茶、すごいやろ。飲ませてやるわ」「おれの字、なんか迫力あるやろ、どや」
「この超絶技巧、しびれるやろ、ボリボリ・・」そんな具合のもんが多い。

今朝は朝から☔。今日は書の会なので、朝はやくから蕎麦を打ったり、汁をつくったり、
珈琲を焙煎したり、大忙し。月に10日も能登で生活しているので、帰ってきた時の仕込みは
少し骨が折れる。今朝はウォンさんの「MOON TALK」を聴きながら蕎麦打ち。
彼がジャズピアニストをあきらめ、新しい世界に行こうとした時に、上から降りてきた曲。
ジャケットの裏に、そんな心境が吐露されたメッセージが書かれている。

コンサートという空間と時間の中で ただ一人、ピアノに向かう時
「演奏」は「祈り」である
人のためでもなく 芸術のためでも、宗教のためでもない
揺るぎない大いなるものにつながり
その内側から語りだすのを
ただ静かに見守り続ける行為としての
「祈り」である
そこから生まれ そこへ帰っていくのである   (ウォン ウィンツァン)

「落飾」 落ち葉もそやけど、役割を果たし、自然に葉の色を落とし 葉を落とし する姿が美しい。感謝。

今日は「書の会」  明日は「おんなかっぽれ」

来週は、抱腹絶倒必至のライブがある。

11/6(水)新作CD発売記念ライブ「ソボブキ」

演奏:
西尾賢(ピアノ、三味線など)
藤ノ木みか(うた、パーカッション)
伊藤啓太(コントラバス)
豆奴 (おまけ)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

千鳥の杯

一昨日は半澤鶴子さんの茶事やった。珠洲焼のイベントのひとつ
として企画されたので、珠洲の「文藝館」の茶室で開催された。
いつもそうだけど、茶事は着物きた女性ばかり。
ぼくひとりが♂で、あとの19人は女性やった。
本来、茶の湯というのは、大名や武士たちのあいだの「たしなみ」
として生まれてきたはずが、今はご婦人たちの茶論になっている。
でも、どんな時代も女性たちが巫女さんのように、神の意志を
感じながら世の中をつくっていくので、令和も間違いなく「女時」(めどき)であろう。

もともと懐石というのは、雲水たちが修行をするときに、空腹をおさえるのに、
箒で掃いた落ち葉といっしょに火にくべ、それを懐にかかえて、グーとなるのを
おさえた。つまり粗末な「おしのぎ料理」が原点。そして利休の時代から
「一汁三菜」が基本になる。くだいていえば、みそ汁・ごはん・香のもの プラス旬の酒肴が一二品。
遠州や織部あたりから、少しくだけて、お預け徳利など、主客逆転して、お客さんに肩の
力を抜き、少し緊張をほぐすような形ができた。

今でも「八寸」になれば、「わたくしも参加しますわ」みたいな感じになって、主人も
お客さんとともにお酒を飲む。同じ杯で飲む。その昔から「お流れ頂戴」というのは、日本人の日常やった。
三々九度、ヤクザの兄弟の儀式・・・みんなそうやろ。
もともとは「天酌」(てんしゃく)といって、天子さんが臣下さんに土器(かわらけ)を与えて
飲ませた、のが起源らしい。茶器や酒器を珠洲焼づくしで頂戴していたら、遠く縄文時代から
つづくこの国の形と波動があって、とてもありがたい茶席を経験させてもろうた。

「千鳥の杯」ともいう。久保さんの志野の盃に、ときどき千鳥が飛んだ文様のものがある。
あまり飲みすぎると「千鳥足」になる。千鳥の入った志野の燗鍋で、少しぬる燗を飲む季節が
近い。春夏秋冬、酒はおいしい。気のおけない仲間と飲むとなおいい。あつあつな時に、
あつあつの湯豆腐なんかをつまみに飲む酒は最高。そんな夢のような季節が終わった人は
古女房と静かに飲むのもいい?酒が飲めなくなったら、あんこ、がある。

昨日は半澤鶴子さんの講演会。珠洲の市長さんも参加された。
「半澤鶴子」で検索するとHPがあるそうだ。全国(いや全世界・・・今月はドイツに一か月近くいってたらしい)
請われると、どこでも自分で茶道具と調理道具を車にのせて、茶事をしてくれはる。
「同じ酒を上下のわけへだてなく飲む」「旬のものを、昨日でも明日でもなく「今」の縁の中で生かせた人と味わう」
「自然に感謝しながら、相手の豊かな人生を祈るような気持ちで茶を施す」
日本人は古来から、そのような気持ちで「茶」を飲んできたに違いない。そんな原点に触れた珠洲の旅やった。天恩感謝。

総持寺を掃除する坊さんを「じゅっとく」といいます

昨日は一日☔だった。
空港に女子を迎えにいく。予想通り着物で降りてきた。
早起きして世田谷から着物きて空港にいったので、朝飯抜きできたらしく、そのまま輪島の
「門前」の手仕事屋という蕎麦屋にいって、蕎麦を手繰る。
豆腐屋が開いた蕎麦屋で、いっしょにでてくる豆腐が秀逸。

東京にも門前中町みたいな地名もあるけど、こちらの門前は「総持寺」。
横浜の鶴見に石原裕次郎さんが眠る「総持寺」がある。本来は、輪島が本山
だった。明治に大火があり、横浜にうつり、「総持寺祖院」として、風光幽玄な禅の寺
として、世界中から「禅味」を体験させる聖地として能登に鎮座している。
山岡鉄舟の襖四枚に、揮毫した字は、迫力満点。

参道に箒をもった地蔵が見える。「掃除地蔵」とあった。禅寺で掃除をするのは、雲水(修行僧)の
大事な作務。寒山拾得(かんざんじゅっとく)の箒をもったほうが拾得。
深山の巖穴に住む寒山が腹が減っては、お寺にいき、拾得に🍙などをもらい、二人で
酒脱で広大無辺な自然や宇宙の話をし、それを寒山が詩に残した。寒山詩、という。
つまり「掃除地蔵」は雲水であり、拾得である。禅林や絵描きが「寒山拾得」の絵を
好んで描いた、という理由がそこにある。(掃除地蔵は総持寺とかけたオヤジギャグでもあるが、
ほとんどの人は、気づかない。)また寺のまかないをする雲水を「典座」(てんぞ)という。

若いころ横浜の総持寺に通って坐禅をしていたころがある。曹洞宗では座布(ざぶ)という丸い座布団を
尻の下に敷き、壁に向かって座る。栄西を祖とする臨済宗では、逆向きに坐る。
坐る、というのは、土の上に人がふたり。「自己」と「自我」らしい。呼吸やそこを調整するために坐る。
ぼくが習った老師の座禅は少し変わっていて、固まらないように、途中で鐘をチンと鳴らした時に、
少し👀をあけて、左右と体をラジオ体操のようにまわす、という独特の座禅やった。老師はもう鬼籍に
入られたけど、この方法が一番いいので、今もそんな坐禅を無手勝手流にやっている。

今朝も6時に「さざえさん」の音楽(街の災害時などに使う音源で、朝6時に鳴る)で👀が覚め、
里山に向かって坐禅。その後、最近教えてもらった指気功をやり、朝飯。ガレットと珈琲。
今日はまた東京から梅林ガールがふたり飛んできて、珠洲で茶事に参加。
明日も主催される半澤鶴子さんの講演を聞いた後、珠洲焼を見学して、女子たちは東京に
もどる予定だ。今日の夜は珠洲の宿で、地酒「宗玄」でも飲みながらの女子会になりそうだ。

焚くほどに 風が持ちくる 落ち葉かな(富士正晴)

秋は、どこの街にも 寒山拾得が いっぱいだ。感謝。

11/6(水)新作CD発売記念ライブ「ソボブキ」

演奏:
西尾賢(ピアノ、三味線など)
藤ノ木みか(うた、パーカッション)
伊藤啓太(コントラバス)
豆奴 (おまけ)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

マー君が故障

大リーグのマー君が肘の手術をする、というネットのニュース。
火曜日、つまり東京を出発する日、久しぶりにマー君が珈琲を飲みにきた。
6月まで二階で「満つ豆の会」という「気孔整体」をしてくれてた方のマー君。
生まれつき目が悪く、若干の光を頼りに向島から天真庵まで、歩いて整体に
きてくれていた。5月に手術をしたら、まったく光を失ったので、自宅で施術を
やっていた。幸いにも光を取り戻し、11月から新しいところで仕事をする、という報告やった。

この子は、腕はいいのだが、気持ちにむらがある。遅刻などしたら、立っていららないくらい、
ぼくにどなられた。なんども凹んでは、「このヤロー」と歯をくいしばって頑張って3年続いた。
ときどき「ウソ」もつく。「お酒は?」と先日聞いた。「夜はときどき飲む程度です!」
というので、「バカヤロー 昼まら缶チューハイ飲んで歩いてる姿を見られとるぜ」という
と罰の悪い顔をしているので、「目の目、ひとが見ている、という目は大事にせなアカン」と
諭す。なんでここまでいうんやろ、と後から少し反省することしきり。でも、才能ある人には
がんばってほしのである。

その前日、耳の聞こえない人がそばを手繰りにきた。最初にきた人は、カウンターに座ると緊張
する(しないひともいるけど・・)のでテーブルのほうへ誘導する。「ここでいいですか?」
といっても反応がないので、耳が聞こえないことがわかった。
メニューを見て「ざるそばセット」と小さな声で・・手で「OK牧場」をして、筆子さんがざるそばを持っていく。
それをイマドキの日本人みたいにスマホでカシャっと映す。筆子さんが小さな声で「ま、いいよね」と問う。
返事もせず、不機嫌になる。ぼくの中では、健常者もそうでない人の区別がない。
珈琲をぼくがもっていって、メニューの表紙を見せて、「写真はあかんねん」(人に注意する時には関西弁になる。手がでるとき
は九州弁だ。もっとも昔はまず手がでていたけど)

何年か前に、目の不自由な人が保護者(施設の人といっしょに珈琲を飲みにこられた)。今ごろの季節で「つるべ落とし」のように
陽が沈んで暗くなった時、「おれが目が悪いので、灯りを暗くしているのか」とその青年が立ち上がって叫んだ。
その後もグタグタと悪態をつく。張り倒したくなったが、じっとがまんをして、保護者の人に目配りをして、でていって
もらうことにした。玄関先で、いわなくていいものを「目が悪いくらいで、いじけて生きるんじゃないよ。」と愛情の喝。

発達障害とか、いろいろな病名というか、区別され、職場や学校で隔離されているような人が多くなった。
電車の中で無機質な顔してスマホの世界へ入り込んでいる人は「健常者」なんやろか?
一億みな「病気ちゃうの?」というような世界にいるように思う。大リーグで活躍する元気なマー君も
一歩間違えば、身障者になるし、ぼくらだって、明日交通事故でそうなったり、矢継ぎ早にくる天災や病気で
いつ不自由な体になるやもしれない。他人事ではないのだ。

今朝も起きたら、水を一杯飲み、静かに5分くらい正坐して、呼吸を整え、茶を飲み、
眼鏡をはずして、最近教えてもらった指を使う「気孔」をし、これから畑仕事。
「辛味大根」が、大根足までいけないけど、いい感じに成長してくれた。
その後は、東京から着物美人が飛んでくるので空港へ。能登里山空港は、午前と午後一便づつ
ANAが羽田と往復する。羽田から60分。ここ能登の家から空港までも60分。
便利な時代だ。明日明後日は珠洲で半澤鶴子さんの茶事がある。明日も東京からふたり飛んでくる。
15名の茶事に、「天真組」が5名参加。なんか不思議な「縁」が紡がれていくような気がする。感謝。

粗食?豪華な夕餉?

東京から能登にくる時は、キャンプ用のクーラーに、冷蔵庫のあまりものを
いっぱい積んでくる。夏は保冷剤かわりに、水出し珈琲やアイスコーヒーをペット
ボトルに入れて凍らせてくる。鳥ガラスープもペットボトルに入れて凍らせてもってくると、
朝の味噌汁の時に便利だ。そばもあまると薄いタッパーに入れ、冷凍してもってくる。
ただし、能登の家には、強火のガスがないので、「おみやげ」専用。昨日も「鰆(さわら)」のお礼
が「そば」。粗食のそばが、豪華な夕餉に変身した。

正確にいうと、プロパンガスをまだ契約していない。ケチな吝嗇家みたいだけど、月の10日の
「能登休み」。プロパンガスの契約をすると、基本料金がかかるので、まだしていない。
カセットコンロとひとり暮らしになった母に買ってあげたIHのヒータ(いらなくなったので、能登にやってきた)。
冬は「炭火」で暖をとりながら、調理器具としても活用できる方法。熱燗の味は格別。魚を焼くのもいい!
まだ使っていないけど、東京の店に「ペレットストーブ」を設置した。これがよければ、能登にも一台置こうか
と考えている。災害が多くなってきた日本列島。「イザ」という時、エナルギーを自分でつくる、という命題は大切やね。
電気は契約しているけど、玄関のテーブルで珈琲を飲んだり、夜トイレにいく時などは、キャンプ用のソーラーランタン
を使っている(これは、災害時などにもよい)。

トイレはコンポストトイレ。排泄物におが屑などを入れ発酵してたい肥にして、横の畑にもどす。
お風呂は立派なものがあるけど、まだ使っていない。車ですぐのところに夕陽のきれいな「じんのびの湯」
という温泉があるので、そこか、志賀町の「ころ柿の里」の温泉に入る。東京の銭湯が470円。こちらの温泉
が500円。掃除やなんやかんやを考えると、「都会は銭湯 田舎は温泉」にすると、人生のゆったり感(アフリカ語で じんのび)
が違ってくる。

夜の静けさ、風の音、満天の星空・・・都会から田舎にシフトすると、「大きな世界」とつながっている感が強く、
「おもい」が、深く長い呼吸の中に刻まれていく気持ちがする。一服の茶や珈琲、ひとにたいする気持ちなどがより鮮明に
刻まれていく。

朝起きると、天気の良い日は海に釣りにいったり、畑を耕したりする。今日は風が強く、小雨模様なので、
筆子さんが朝ごはんを用意する間に、「ひとり茶」。道の途中、津幡(つばた)というとこで、湧き水を老人が
汲んでいた。それを大きなペットボトルに入れ、もってきた。
蘇軾(そしょく)の詩ではないけど、「客がきたなら自分で水を汲んでそれを沸かす。」
そして、お気にいりの茶器でお茶を入れ、少しあらたまった呼吸で、友(いないときは神)とお茶をする。なんの不足もない。
一客一亭・・・融通無碍でいい。そんな時間が日常茶飯になったら素敵だろう、と誰でも思う。でも現実は・・「優先順位」
の問題だと思うが。

長崎の卓袱料理に「東坡肉(トンポーロー )」がある。宋の代表的な詩人だった蘇軾の号が「蘇東坡」(そとうば)。
つまり彼が発明したもんらしい。彼が政治家でもあり、左遷させられた時に、自然に親しみ、茶をたしなみ、
粗食ではないけど、料理や酒を楽しんだ。「文人」の代表みたいなひとである。
「赤壁の賦」が代表作。

若いもんの尻の穴が、美味い!

こげなことを書くと、誰もが変態と思うバイね!?

昨日、お店が終わって、能登へ出発。
台風の影響で、いつもの道が使えない。上越の佐久あたりが通行止めだった。
ので、中央高速でいくことにした。向島の高速の入り口にきたら、どこも「通行止め」
の真っ赤カな印。皇室の儀式に、チースー(スーチーか)さんや世界のビップたちが東京に
こられていることを知る。すえくん(末松くん)もでたらしい。

下道を通り、幡ヶ谷あたりから首都高にのり、ユーミンの「中央フリーウェイ」よろしく、高速を走る。
安房峠あたりは、トンネルが多く、NHKFMが入らないので、来月ライブをやる西尾さんの新しい
CD「諸国を旅しています」をかけながら走る。台風の爪痕は残っているけど信州はすっかり秋だ。
来月あたりからは、信州経由で能登、は、無理だけど、秋は「中央高速&松本から安保トンネル経由、北陸東海道・・・」の
車の旅は最高。

先週あたりのブログにも書いたけど、「島原の子守り歌」を彷彿させる九州弁の歌をまたゆっくりきいた。
彼らの名曲に「げんげの唄」がある。北陸の名産の深海魚「げんげ」(下の下  雑魚の中の雑魚)を拾い上げて
うたったものだ。宇宙人よりもグロテスクな魚だけど、天ぷらなどにすると美味い。
IT時代に、黒部に提携先があったので、そこの社長と魚津の駅前あたりの小料理屋でよく食べた。
♪よくみると、けつの穴・・・・そんな歌に仕上がっている。一物一体・・まるごと食べるのが一番。
ゆえにけつの穴もいっしょに食べる。

そのソボブギの新しいCDの九州弁の歌にも「若いもんの尻の穴」が九州弁ででてくる。「ワケノシンノス」という。
九州ではイソギンチャクを酒肴にする。今は知らない(15年くらい博多にいってない)けど、屋台や
ちょっとした居酒屋では「ワケノシンノス」は普通にメニューにあった。
「ワラスボ」もこの曲の中に入っているけど、九州では普通。ゲンゲに負けないくらいエイリアンな恰好
しているけど・・・

そんな新しいCDを聞きながら、信州の紅葉や能登の里山の秋を満喫しながら、能登の家に到着。
「ころ柿の里」という道の駅の温泉につかり、テレビでいろいろお世話になった家をまわり、
さきほど家にもどった。今日は、東京からもってきた「ピーナツバター(かぼちゃの新種)とさつまいものサラダ」
や「うめ星入りのぬかどこどこどこ「これも新しいCDにあった  ♪ぬかどこ ど~こどこ」でつくった胡瓜のつけもの」
などを酒肴に、地味に手取川(石川の地酒)を飲んでいた。ら、近所の漁師さんの奥さんがきて
「イカは終わったけど、さっき釣れたんで食べて」といって、50cmはある鰆(さわら)をもってこられた。

秋だというのに
魚編に春の魚。すぐにいたむので、東京あたりでは、めったに刺身では食べれない。さっそくリュックの中に忍ばせて
もってきた出刃と柳包丁を取り出し、台所で捌く。
横で筆子さんが「金曜日に東京から〇〇がくるので食べさせてあげたい」とのたまう。冷たく「無理」
といって、久保さんのピンク志野の四方皿に盛り、もりもり食べながら手取川を飲みながら、これを書いている。
残りは冷凍にした。〇〇子さんには、ムニエルにしてみよう。

11月のライブは、おもしろかですばい。ワケノシンノスは用意できんばってん 若い人がきてくれたらよかよかですばい

11/6(水)新作CD発売記念ライブ「ソボブキ」

演奏:
西尾賢(ピアノ、三味線など)
藤ノ木みか(うた、パーカッション)
伊藤啓太(コントラバス)
豆奴 (おまけ)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

明日から能登休み

6月に南條先生の卒寿のお祝いにいった。その帰りに「坂村真民記念館」にいって、日めくりカレンダーを
買って、トイレにかけてある。「こんな時代」になったので、感応する人が多くなってきた。官能的でもある。
昨日は「論語の会」。だめか、と思ったらしいが、古色蒼然たる天真庵の建物の「無事」を祝った。真民さんの詩にこんな
のがある。

「無事」
備前焼には 茶の花が活けてあり
床(とこ)には 無事の二字がかかっていた
それは老師晩年の字で  気魄にみちていた

あけひろげられた部屋にも 庭の木々にも光があふれ
懸樋(かけひ)から流れる水が かすかにひびいていた

たててくださった 一服の茶のおいしさ
仏の道につながるありがたさ

ひよがしきりに鳴いて 一層静寂を深め
わたしの心を和ませてくれた

*老師というのは、足利紫山老師。101歳くらいまで生きられ、特に
100歳を超えてからの書がいい。今つかっているPCの横にも
紫山老師の100歳の時に揮毫した「竹」の額がある。今回能登に
もっていく予定だったが、☂なので、しばらくおいて次回のお茶会
の時にかけてから能登へもっていくことにしよう。
銀座の骨董屋の「一楽堂」でもとめたもの。一昨年そのお店も緞帳を下げた。
時々、「くすっ」と笑えるようなハガキはくるが・・・・

拝啓
昨日同窓会にいきました。
友達が「最近中国語をはじたのだが、蚊のことをなんていうかしってる?」
と聞くので、「・・・?」な感じでいたら、その友達が
「チースウ」(血を吸う)と答えた。一瞬沈黙の時間があったけど
「ミャンマーでは、スーチーというらしい」と言った瞬間にみんなで大笑いした。
鍵善のおひがしをおくりました。天真庵にいけるお菓子がうらやましい。

そんな内容のものが多い。東大を出て高級官僚の道を進みながら、途中でバスを降り
86歳くらいまで骨董屋をしていた。もうすぐ彼も卒寿。「近世奇人伝」という
変わった文人たちを紹介した名著があるが、彼も「銀座の七不思議」といわれた奇人だ。
11月に、奇人たちが3度目のライブをやってくれる。またまた一楽。

11月6日(水)
「新作CD発売記念ライブ」  ソボブギ

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

演奏
西尾賢(ピアノ、三味線など)
藤ノ木みか(うた、パーカッション)
伊藤啓太(コントラバス)
豆奴(おまけ)

「おまけ」  竹の言霊

竹とは、人生の節を教えてくれはる
いくつ節があっても竹は努力して伸びていかはる
いくつもの節を乗り越える力は、実は目にみえないところで
ぎゅっーと根っこっがハグしているからや
それは人間もおんなじことやで 見えない力を信じてぎゅっ-とハグしてや
人の値打ちをしっかりつかんでおれば どのような悩みや問題も超えていけるで  感謝。

月曜の朝は卵かけごはん 夜は論語の会

昨日はひさしぶりに、☂もなく、パーッ広がるほど爽快では
ないけど、なんとなく秋の感じがする日曜日だった。
3時くらいバタバタして、CDを変える余裕もなく、高橋竹山先生
の津軽三味線が鳴り響く店内で動き回っていた。
「こんな日は年に何日もない」というような秋晴れにまだ出会っていない令和の秋。

能登の三輪福さんからレターパックがきた。突然梅が届いたり、「能登より愛をこめて」
なんかを手書きした箱でブリが届いたり、予期せぬ宅急便がときどき届く。
レタ-パックを開けたら、「瑞穂(みずほ)にてはじめて古代米マツモが成ってくれました。祝☆おすそわけです」
とかかれ、マツモが押し花のようになって入ってあった。それに梅茶翁(ばいさおう)
で自生しているみょうがの酢漬け。
大好物だ。あまり食べるとバカになる、なんて迷信があるけど、なあにかまわぬで、ボリボリ食べながら
昨日は「クロキリ・オンザロック」を飲みながら、ロックみたいな竹山先生の三味線を聴く。

天真庵のHPの「のむら暮らし」に、先日テレビの撮影後、みんなで「煎茶」を楽しんだ写真がアップされた。
梅林から清風が流れくるような畳の間で、煎茶を飲み、その後は、おちゃけを飲む。ときどきは、いっしょに
ごはんも食べる。「のむら暮らし」に、真脇(まわき)遺跡の縄文の家を特別に借りて、彼女と
煎茶を楽しんだ写真もある。どうもこのあたりから、不思議なものが憑依(ひょうい)して、縄文ドリポットが生まれたり、
うめ星や、勾玉につながってきたのじゃないか・・・そんな気がする。
先日、山本竹勇さんが、ライブの後「うめ星」をいっこ買われた。それを左手でもちながら「これすごいパワーですね」という。
「わかるひとにはわかる」。彼は毎日「ついてる」と口に出していうらしい。急いでる時、信号が青になった・・「あ、ついてる」
というそうだ。「あまりしつこくやると憑かれる(憑依される)ことがある」と、オヤジギャクをいって笑っていたけど、
竹山先生と各地で酒席を共にしたようなご関係。神が見放さないはずがない。

能登の「縄文真脇遺跡」は、最高のパワースポットなので、能登にくる機会があればいってみてください。
「縄文の家」は、今も立っています。柱を立てる時、たまたまいたので、石の斧で掘るのをお手伝いさせてもろうた。

縄文土器は、女性の仕事だった。今の朝ドラは女性の陶芸家の話らしいが、縄文時代はそれが普通だった。
まだお米がない時代なので、男たちは狩猟や木の実などを採りにいく。女は、男たちの成果物や狩りの安全を
土器を神器のような感じで作り、神に祈った。あれは「祈りの器」である。
弥生になり、お米ができるようになって、ひとは「遊ぶ時間かゆとりの時間」もできたけど、貧富の差も生まれた。
土器も「白」になり、削いだり、紐で編むような複雑さがなくなった。最近までそんな流行が続いてきたけど、やっと
くぎや刃で削いだりするようなものが、ぼちぼちでてきた感がある。

今日の夜は四半世紀近く続く「順受の会」(論語の会)だ。
一時間勉強した後は、「クロキリのそば湯割り」で、蕎麦会をやるスタイルを25年近くやっている。

昨年はサントリーホールでやったけど、今週の金曜日に麹町の「TOKYO FMホール」で、三輪福さん
の踊りが見られる。ぼくは能登で茶事があるので、入れ違いだけど、興味のある方はどうぞいってみてください。
お問い合わせ  てらからそらへ(地球から宙へ)075-366-0586(平日13:00から17:00)