明日から能登休み

6月に南條先生の卒寿のお祝いにいった。その帰りに「坂村真民記念館」にいって、日めくりカレンダーを
買って、トイレにかけてある。「こんな時代」になったので、感応する人が多くなってきた。官能的でもある。
昨日は「論語の会」。だめか、と思ったらしいが、古色蒼然たる天真庵の建物の「無事」を祝った。真民さんの詩にこんな
のがある。

「無事」
備前焼には 茶の花が活けてあり
床(とこ)には 無事の二字がかかっていた
それは老師晩年の字で  気魄にみちていた

あけひろげられた部屋にも 庭の木々にも光があふれ
懸樋(かけひ)から流れる水が かすかにひびいていた

たててくださった 一服の茶のおいしさ
仏の道につながるありがたさ

ひよがしきりに鳴いて 一層静寂を深め
わたしの心を和ませてくれた

*老師というのは、足利紫山老師。101歳くらいまで生きられ、特に
100歳を超えてからの書がいい。今つかっているPCの横にも
紫山老師の100歳の時に揮毫した「竹」の額がある。今回能登に
もっていく予定だったが、☂なので、しばらくおいて次回のお茶会
の時にかけてから能登へもっていくことにしよう。
銀座の骨董屋の「一楽堂」でもとめたもの。一昨年そのお店も緞帳を下げた。
時々、「くすっ」と笑えるようなハガキはくるが・・・・

拝啓
昨日同窓会にいきました。
友達が「最近中国語をはじたのだが、蚊のことをなんていうかしってる?」
と聞くので、「・・・?」な感じでいたら、その友達が
「チースウ」(血を吸う)と答えた。一瞬沈黙の時間があったけど
「ミャンマーでは、スーチーというらしい」と言った瞬間にみんなで大笑いした。
鍵善のおひがしをおくりました。天真庵にいけるお菓子がうらやましい。

そんな内容のものが多い。東大を出て高級官僚の道を進みながら、途中でバスを降り
86歳くらいまで骨董屋をしていた。もうすぐ彼も卒寿。「近世奇人伝」という
変わった文人たちを紹介した名著があるが、彼も「銀座の七不思議」といわれた奇人だ。
11月に、奇人たちが3度目のライブをやってくれる。またまた一楽。

11月6日(水)
「新作CD発売記念ライブ」  ソボブギ

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

演奏
西尾賢(ピアノ、三味線など)
藤ノ木みか(うた、パーカッション)
伊藤啓太(コントラバス)
豆奴(おまけ)

「おまけ」  竹の言霊

竹とは、人生の節を教えてくれはる
いくつ節があっても竹は努力して伸びていかはる
いくつもの節を乗り越える力は、実は目にみえないところで
ぎゅっーと根っこっがハグしているからや
それは人間もおんなじことやで 見えない力を信じてぎゅっ-とハグしてや
人の値打ちをしっかりつかんでおれば どのような悩みや問題も超えていけるで  感謝。

月曜の朝は卵かけごはん 夜は論語の会

昨日はひさしぶりに、☂もなく、パーッ広がるほど爽快では
ないけど、なんとなく秋の感じがする日曜日だった。
3時くらいバタバタして、CDを変える余裕もなく、高橋竹山先生
の津軽三味線が鳴り響く店内で動き回っていた。
「こんな日は年に何日もない」というような秋晴れにまだ出会っていない令和の秋。

能登の三輪福さんからレターパックがきた。突然梅が届いたり、「能登より愛をこめて」
なんかを手書きした箱でブリが届いたり、予期せぬ宅急便がときどき届く。
レタ-パックを開けたら、「瑞穂(みずほ)にてはじめて古代米マツモが成ってくれました。祝☆おすそわけです」
とかかれ、マツモが押し花のようになって入ってあった。それに梅茶翁(ばいさおう)
で自生しているみょうがの酢漬け。
大好物だ。あまり食べるとバカになる、なんて迷信があるけど、なあにかまわぬで、ボリボリ食べながら
昨日は「クロキリ・オンザロック」を飲みながら、ロックみたいな竹山先生の三味線を聴く。

天真庵のHPの「のむら暮らし」に、先日テレビの撮影後、みんなで「煎茶」を楽しんだ写真がアップされた。
梅林から清風が流れくるような畳の間で、煎茶を飲み、その後は、おちゃけを飲む。ときどきは、いっしょに
ごはんも食べる。「のむら暮らし」に、真脇(まわき)遺跡の縄文の家を特別に借りて、彼女と
煎茶を楽しんだ写真もある。どうもこのあたりから、不思議なものが憑依(ひょうい)して、縄文ドリポットが生まれたり、
うめ星や、勾玉につながってきたのじゃないか・・・そんな気がする。
先日、山本竹勇さんが、ライブの後「うめ星」をいっこ買われた。それを左手でもちながら「これすごいパワーですね」という。
「わかるひとにはわかる」。彼は毎日「ついてる」と口に出していうらしい。急いでる時、信号が青になった・・「あ、ついてる」
というそうだ。「あまりしつこくやると憑かれる(憑依される)ことがある」と、オヤジギャクをいって笑っていたけど、
竹山先生と各地で酒席を共にしたようなご関係。神が見放さないはずがない。

能登の「縄文真脇遺跡」は、最高のパワースポットなので、能登にくる機会があればいってみてください。
「縄文の家」は、今も立っています。柱を立てる時、たまたまいたので、石の斧で掘るのをお手伝いさせてもろうた。

縄文土器は、女性の仕事だった。今の朝ドラは女性の陶芸家の話らしいが、縄文時代はそれが普通だった。
まだお米がない時代なので、男たちは狩猟や木の実などを採りにいく。女は、男たちの成果物や狩りの安全を
土器を神器のような感じで作り、神に祈った。あれは「祈りの器」である。
弥生になり、お米ができるようになって、ひとは「遊ぶ時間かゆとりの時間」もできたけど、貧富の差も生まれた。
土器も「白」になり、削いだり、紐で編むような複雑さがなくなった。最近までそんな流行が続いてきたけど、やっと
くぎや刃で削いだりするようなものが、ぼちぼちでてきた感がある。

今日の夜は四半世紀近く続く「順受の会」(論語の会)だ。
一時間勉強した後は、「クロキリのそば湯割り」で、蕎麦会をやるスタイルを25年近くやっている。

昨年はサントリーホールでやったけど、今週の金曜日に麹町の「TOKYO FMホール」で、三輪福さん
の踊りが見られる。ぼくは能登で茶事があるので、入れ違いだけど、興味のある方はどうぞいってみてください。
お問い合わせ  てらからそらへ(地球から宙へ)075-366-0586(平日13:00から17:00)

津軽のカマリ

昨日は、高橋竹山先生の流れをくむ山本竹勇さんの津軽三味線のライブだった。
そばのお弟子様が「津軽のカマリ見ました。空席2名まだ大丈夫ですか?」とメールがきて、ドタサンされた。
これまで、端唄や地唄や新内(しってる?しんない)などの三味線のライブはやったことがあるが、
「太棹」(ふとざお)で津軽三味線というのは、天真庵初。あの独特なバチ捌きの音が、魂の奥底に鳴り響く。

IT時代に、建築の会計業務のコンサルタノトみたいなことをやった時期がある。全国にお客さんがいたけど、
特に青森に集中していた。なんでも東京一極集中時代に不思議な現象やった。サンシャインに近い東池袋に事務所が
あり、そこから「おばけやしき」?のようなでかい三階建てのビルを借りることが決まった時、お祓いのために九州から
知り合いの霊媒師を呼んで浄化していただいた。そのお礼をかねて、すしやにいき、酒を飲みながら話をしていると
、突然筆子さんの顔をみて、「あなたは弘前のある神社の加護を受けています」といった。「なるほど」と腑に落ち
た。筆子さんのおじいちゃんは弘前から東京にでてきて、能登から東京にでてきたおばあちゃんと結婚した。

そんなこともあって、毎年春には、弘前にいって、津軽富士と呼ばれる「岩木山」などを眺めながら、神社に
お参りしたりした時期がある。厳しい冬を乗り越えて、桜や桃などが一気呵成に咲く姿は、極楽浄土そのものだ。
夏は「ねぷた」が待っている。

昨日はそんな岩木山が見える「十三湊(とさみなと)」(北前船で栄えた港。義経も寄った港。だが、大津波を受けて消えてしまった)という曲を
やってくれた。

♪十三の砂山ナーヤーエ米ならよかろナ 西の弁財衆(船乗りさん)にゃエー ただ積ましょ ただ積ましょ

三味線や民謡のうんちくはないけど、YouTubeで「成田雲竹」さんの「十三湊」がある。成田さん
が「竹山」と組んで、テレビなどに出始めのがきっかけで、高橋竹山先生の津軽三味線は、世界に羽ばたいていった。

津軽三味線は、もともと盲目(ボサマ というらしい。)の門附け芸(家の門の前で唄や三味線を弾き、施しをうける)
だった。ほとんどが、人以下の扱いで、門前払いの業だったらしい。
今回の台風でも、避難所に入ろうとするホームレスをことわったアホな役人の話題があった。
ボサマ、というのは「坊さん」やろね。坊さんは托鉢をする。宿なし、寺なしで、お乞食をしながら
生きてきた。よくよく考えると、みな「お釈迦様」と同じことをしているのだ。家やお金や財産・・親・兄弟・
家族・・・みな「神さまから借りている」のだ。必要な時に借りて、必要なくなったら返す、が神のルール。
本来が「無一物」だから「無尽蔵」なのだ。

ライブが終わって、縁をつくってくれた薩摩琵琶の「ももかちゃん」たちと打ち上げ。
その日のために秋田の銘酒「山本」で乾杯。ぼくは密かに隠しておいた「今西」を「丹波の枝豆」をつまみに飲みながら、
談論風発。茶事で、「八寸」(はっすん)といって、四方皿(天真庵のそばを盛る志野の皿)に、枝豆とか衣被(きぬかつぎ)
なんかがでてきて、それを酒肴に飲む。ほんとうに神人冥合のような至福な時間。ちょっと飲みすぎた。

来年の春くらいに、また「山本竹勇・津軽三味線の魅力」を企画したいと思う。
今日は日曜日なので16時まで。それから「蕎麦打ち教室」
お弟子様から今朝メールがきて「腰をいためた」とのことで中止。津軽の方言詩人、故高木恭造さんの詩集に
「まるめろ」というのがある。冬は「淋しく長ゲ冬」・・・出稼ぎにいった夫は、まだ若け~から、おなごさ
つくって、腰をいためるようなことなかっぺか?・・と心配するくだりがある。
「かあちゃんと布団の中でけっぱる(がんばる)のもいいけど、おからだおだいずに・・ほどほどがよかっぺ」感謝。

今日は津軽三味線のライブにて、16時閉店なり・・

先週の土曜日は、台風19号がきて、成川さんのギターのライブが
中止になった。遠くからも予約が入り、満席だったのに残念なことをした。
その夜の風はすごくて、屋根が吹っ飛んで、天真庵押上の最後の日になるか、
も覚悟した。でも何かに守られているのか?「もっとやることがある」という神
の「はからい」なのか、どうにか無事で、はじめての「津軽三味線」を
みんなで楽しむことができそうだ。山本竹勇さん。
「竹」の字で、ピンとくる思うけど、あの「高橋竹山」先生の流れをくむ人である。

ネットで「津軽のカマリ」と検索すると、故高橋竹山先生のドキュメント映画の
予告がでてくる。これだけみでも、なみだっこでるぜ~ !
東京で雪っこ降ること少ないけど、そんな日は、竹山先生の三味線を聴くことがある。
ただただ「祈り」、即心の神音(かんのん)。カマリ、というのは「匂い」という津軽弁らしい。

青森つながりではないけど、一昨日のセミナーで「海藻に備わる長寿」を発表したのは、弘前大学の前多先生。
ひとりの腸内細菌は、100兆個あるそうだ。銀河星を100個あわせた数らしい。
最近腸内フローラ、がいろいろ注目されているけど、だいたい生後2年までの「食習慣」が
ほとんど決めてになるそうだ。やはり長い時間をかけて、腸内菌を育成しないといけないね。
キスをすると、相手の菌と自分の菌も交わる。だから、よくよく考えて相手を選ばないといけないバイ(菌)

青森県は「長寿の県」では、ワーストワンの不名誉な勲章をいただいているらしい。
カップ麺、缶コーヒーの消費が日本一らしい。それが原因であるかも・・・とパワーポイント
使って説明していたけど、「ピンポン」だと思う。
その対策として、アカモク(一般的に北陸では、ギバサやギバソウという)などの「雑海藻」
を食べるように加工したりする研究をやっているらしい。今注目されているのが、マグロで
有名な大間(おおま)で採れるツルアラメという海藻を使った食品を、大学と民間で共同で開発したいるらしい。
余談だけど、モズクというのは、沖縄モズクが有名だけど、沖縄の人が、海藻を食べなくなってから
「長寿日本一」が、29位くらいまで低迷している原因だとか。日本中、「食」をもう一度
考えなおす時期かもなんばん。

能登のギバサは、アカモクではなく「ホンダワラ」の若い芽。夏限定の「能登そばUFO」
には、そのホンダワラがのる。下関の壇ノ浦で平家を滅ぼした義経は、敵方平家の重鎮・平時忠(平家でなければ人にあらず、とのたまったかた)
の娘「わらび姫」を妻にした。しかし、兄頼朝に嫉妬され、追われる身となり、奥州をめざす。その途中に能登に流された時忠とわらび姫にあいに
いった記録がある。小松あたりに安宅の関があり、そこで弁慶と義経の物語「勧進帳」が今でも歌舞伎になって語り継がれている。
能登の家から600mのところに「義経の舟隠し」という断崖の中の洞窟みたいな名所がある。その時、飼葉がなく、義経の馬に、
海藻をあたえた。半官ビイキの日本人は義経が大好きで、界隈の人は「「義」経の「馬」が食べた海「藻」」(義海藻・・ギバソウ)になった。
冬の厳しさがゆるみ、少し春めいたころ、集落の女性たちは、朝はやく海にいき、冷たい海水に手をいれ、ギバソウをとっている。
津軽三味線と同じく、北国の厳しい自然の中に、生きた人たちの悲しくはあるけど、こころ温まる素敵な物語がつむがれていく。
これから、しがれてくるけど、「おからだ おだいずに」感謝。

お知らせ 今日のライブにキャンセルがあり、二名まで席があります。ドタサン熱烈歓迎!

10月19日(土) 山本竹勇 津軽三味線の世界

演奏:山本竹勇(三味線)

18時開場 19時開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

11月6日(水)
「新作CD発売記念ライブ」  ソボブギ

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

演奏
西尾賢(ピアノ、三味線など)
藤ノ木みか(うた、パーカッション)
伊藤啓太(コントラバス)
豆奴(おまけ)

あなたは珈琲派 それともお茶派  「はっ?」 ぼくはおちゃけ派

昨日は、バスの一日乗車券で、錦糸町乗り換えで、亀戸を超え、船堀までいってきた。
タワーホール船堀で、日本化学秋季事業 第九回化学フェスタ2019
が開催されていて、「健康長寿のひけつはこれだ!?~からだに良い食べ物を化学する」
の講演を聞きにいった。昨年は、ここで「長寿には発酵食」の講演があった。
天真庵の「菌活の会」(味噌つくり)も、そんな流れの影響もあって、100人を
超える「菌活女子(男子もいる)」が2月に集まってくる。味噌・梅干し・ぬか漬けをまじめに食すと健康だと思う。

6人の講師が、「魚がいい」「ワインがいい」「海藻がいい」「オリーブオイルがいい」「珈琲かお茶か」「いろいろ食べたほうがいい」
・・・・というのを、いろんな学会などの資料をもとに検証した。
簡単にいうと、そんな内容だった。一日かかりだったけど、いい勉強になった。感謝。

この企画をやっているのは、うちの常連さんでKAOのえらいさんだ。
いっしょにKAOあわせて飲む時はいつも、かよう(ダジャレではない)なテーマで話をすることが多い。

「珈琲とお茶 どちら?」で挙手をすると、珈琲派のほうが圧倒的に多いのが
びっくりした。
確かに、インスタントコーヒー、缶コーヒー、コンビニでもそれらしき珈琲を
飲める時代になり、消費は増えているみたいだけど、「長寿につながるような中身」
とは、程遠くなっているように思う。飲む時の「こころのゆとり」みたいなものが薄れているように思う。

うちの常連さんで、クラリネットの名手がいる。ベルギーに留学した時、師匠の前で
演奏したら、「君まだ音が固いね。明日からパリのカフェにいって、通りを歩く女の子を
眺めながら珈琲を飲んできなさい」といわれたそうだ。彼は、師匠のいうとおりに、パリにいき、
サンジェリジェ通りの古いカフェで、エスプレッソを飲みながらしばらく過ごし、師匠の
もとに戻り、同じ曲を演奏したら、「ずいぶんよくなったじゃない」とほめられたそうだ。
理屈ではなく、そんな時に、珈琲が真ん中にあった時代がある。この星に男と女がいるかぎり、
珈琲はなくならない、と思っていた。危うい時代を迎えている。

ぼくは二十歳のころに下鴨神社の近くの「からふねや珈琲」というところで、珈琲の修行をした。
社長(といっても、7つ違い)とマンツーマンで、血の小便がでる(あとにも先にも、この時だけ)
くらい厳しい修行だったけど、大学一年生のアルバイトが、その下鴨本店をまかされることになり、その
後は、へんな話ではあるが、社会人(つまり正社員)を部下に持つ、という不思議な立ち位置を経験した。

そんな厳しい時、社長が「野村くんの珈琲はまだ若いな。おんなの子のおしりをやさしくなでる
ような感覚でいれへんとあかんのや」といわれたことがある。その時は内心「すけべなやっちゃな」
くらいの気持ちやったけど、後になって「なるほど」と悟りの瞬間みたいな場面がいくつかあった。あくまで「感覚的」
なもんやけど、どんな分野においても大事なことかもしれない。技術うんぬんではなく「魂を磨く領域」に到達せんとだめだ。
「大手飲食店」の教育セミナーでそんな話をしたら、モンスタークレーマーの餌食になりそうな話ではあるけど、
今の時代に足りない「大事なこと」のような気がする。「大勢のドタキャンやモンスタークレーマーで飲食店の経営が大変」
のような記事をよく見かける。問題なんは、飲食店ではなく、ドタキャンして平気な奴や、自分中心の天動説のような輩を
排出する「今」という世の中の方ではないだろうか?

「お茶」も消費量が増えているけど、ペットボトルの売り上げが貢献しているのが主たる原因。
急須が家にない家庭が普通だという時代だ。(箸置き・折敷・・ある?ないよね)まして「宝瓶」がある家など、皆無に近いので
かろうか。ぼくらが学生のころ「茶せーへん」と女子を誘うときは、どえらい勇気と、若い下心が内包されていていた。
濃茶どころではない濃さがあったし、お茶をする時間は濃密な時間やったように思う。みんな明日に掛ける「希望」や「夢」があった。

ワインとか地中海料理に使うオリーブオイルの「効能」の話を、パワーポイント使って、
いろいろなデータを紹介されていたけど・・・
「地産地消」というか、その土地土地で長い時間をかけてきた「その地の料理や酒」
が一番いいのではないかと思う。わいはワインを飲まへんけど、日本人は日本酒や焼酎があうし、
日本料理にもあう、と思う。
痴呆にいい、と、地方に住んでいる高齢の両親に「赤ワインを毎日飲みなさい」といっておくっても、
どうやろね・・?それやったら、たまに顔を出して、いっしょに温泉でもいき、その地のものを酒肴に
地酒を飲むほうが、いいような気もする。

サプリやペットボトルや、便利な健康食品が幅をきかせる時代だけど、あまり振り回されずに
自分の直感を信じて、自然体に生きていくほうが素敵な感じがする。
炭火の赤い七輪の上に、サンマを焼き、すだち(かぼすでもいい)をかけ、湯の沸いた鉄瓶に志野の「燗鍋」(かんなべ・・チンコ徳利の王様)をいれ、
おそろいの志野のぐい飲みで一献。飲むほどに、顔がほんのり赤くなる。(余談だけど、少し赤みがかった志野を「ピンク志野」という。
天真庵の「ざるそば」を盛る四方皿(よほうざら)は「絵志野」(えしの)。「眠る香炉」につかわれている鼠色の志野を「鼠志野」(ねずみしの)という。)
ほろ酔いで、ピンク志野のように色っぽくなった美人の顔みながら飲む酒は最高。その場で「もう一本飲んだら、死ぬよ」と医者にいわれたらあなたはどうする?
「そこでやめる派?」「そのまま飲む派?」・・・・わたくしは、まよわずあと二三本飲む派!そして生きていたら、美人とハグしてもう一本飲む派だ。感謝。

閑人適意の韻事である。

昨日は炎色野にいき、古松さんの白い茶器を買った。
少し背が高くて、煎茶のお点前では使えないけど、珈琲と同じ
ような感覚で毎日飲むにいい。

お店に戻り、カウンターに座って、お茶を入れる。
久保さんの「焼き締め」(やきじめ)の宝瓶(ほうひん)と
白い茶器・茶合(さごう  茶葉をはかる道具) 茶入れ(いただきものの中国茶のいれもの)

要するに、茶碗、湯冷まし、宝瓶を、「洗う」と同時に「温める作業」 珈琲もそうだけど、
そのひと手間が、「うまい一杯の秘訣」だと思う。

竹の茶合に星野村の玉露をはかり、宝瓶に静かにいれる。宝瓶をそのまま両手で
包み込むようにして、静かに20呼吸待つ。一客一亭の呼吸をあわせる刹那の静謐な時間。

そして、「ここ」という声が降りてきたら、左の器から順に、少し、少しより少し多い少し、左より少し多い・・
二回目は、一番左が一番多く、右にいくとだんだん少なくいれる。
3回目で、ぜんぶ宝瓶の水分を、茶碗にいれきり(けっして、ふってはいけない)、最後の一滴
を左端の茶碗に入れる。「ひとり茶」の時は、それが神棚に献茶され、一客一亭の時は、それがお客さん、
3人でやる時は、それが正客(しょうきゃく)に供するものだ。

夏目漱石の「草枕」に玉露を飲むところがでてくる。昨今の作家には、絶対に書けない名文だと思う。

「茶碗を下に置かないで、そのまま口へつけた。濃く甘く、湯かげんに出た、重い露を、
舌の先へ一滴ずつ落として味わって見るのは、閑人適意(かんじんてきい)の韻事(いんじ)である。」

*ここでは、青木木米(あおきもくべい)の茶器を使っている。京焼の名人。煎茶は京都の陶芸家や
書家や絵描きなどの文人がやっていたもので、茶器は酒器となり、お茶の後には、おちゃけも飲んだ。
昨日の夕暮れ時は、同じく久保さんの志野(しの)で、奈良の「今西」を飲む。
白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり(牧水)の風興な気持ちになる。

天真庵のカウンターは、契約の日に、近くの解体現場で「拾いあげた」ものだ。鋸の後が階段側の席に
残っている。半世紀以上もこの街の人に愛されてきた「百尺」(ひゃくせき)という居酒屋さん。
開店した当時、白髪の矍鑠としたおじいさん(故人)がカウンターに座り、「百尺のおやじは、
草枕を繰り返し読んでいたような風流人だったよ」と教えてくれた。

「智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角(とかく)に人の世は住みにくい」という名文から始まり、(略)・・

「百万本の檜(ひのき)に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑んだり吐いたりしても、
人の臭いはなかなか取れない。」
という一説がでてくる。

百尺はここから命名され、自慢だった正目(まさめ)のカウンターが「檜」だったことがわかり、以後、
ぼくの煎茶の「お弟子さま」は、入門したら「草枕」を読むのがならわしになった。
みんなそれぞれの日常の中で、お茶を飲む「至福の一刻」を持つ幸せな日々をおくって
いるに違いない。日々是好日。
どんなに時代が座屈してきても、「一杯のお茶(珈琲)を飲む時間」は大切やね。

炎色野・・の炎が消える

10月は、台風があったり、能登へは二度いくし、茶事とかいろいろな行事がいっぱい
だけど、「時間がとまっている」ような不思議な時間。きっと振り返ると「分水嶺」
みたいなとこなんだろう。

10月4日のブログに、「炎色野」(ひいろの・渋谷区渋谷2-7-14 VORT青山1F 03-5485-8922)
のことを書いた。ここの女将は日本一のヒーラーやと思う。
花を習ったことは、たぶんないと思うけど、「花は野にあるがごとく」とのたまわれた千利休のように
自宅の庭から、藪椿、侘助、秋海棠、つりばな、蠟梅・・などをさりげなくもってきては、
個展中は作家の掛花や花器、ときには徳利に一輪投げ入れる。作家の焼き物といっしょに
「作為」のない自然体の花が、陶廊の空気を凛然とする。「みごとなお点前にて・・」だ。

お茶もたぶん本格的に習ってはおられないのに、お抹茶や煎茶を上手に入れる。
とくに、玉露は、ちゃんと備前の湯冷ましを使い、取っ手のない「宝瓶」(ほうひん)
という急須で、ぬるめのお湯を入れ、両手でつつむようにして蒸らす時間をすごし、
京焼の品のある小ぶりの茶碗につぎ、だしてくれる。
「昔から陶芸家は、急須のふたのポチは、女性の乳首をみたててつくる。宝瓶
の出口のふくらみは、あたかも男のキンタマであり、チンコなのよ」
そんなことも彼女が教えてくれた。
それをヒントに、久保さんに織部・黄瀬戸・焼き締めの片口(カタクチ・(酒器)をつくり、
「チンコトックリ」と命名した。今、店ではそばの汁入れにしている。
(昼間は、カタクチ、と呼んでいる。夜の勉強会では、「チンコ・・」と教えている)

個展の時は、お客さんが酒を持ち込み、その作家のぐい飲みで飲む。もちろん使ったぐいのみは責任
をもってそのお客様が買ってかえる、というのがならわし。強制ではないけど、自然とお客と作家
との不文律な「やくそく手形」みたいなものいだ。こんなお店(居酒屋もカフェも含め)は、唯一無二だし、
この場ほどの「癒し場」は、東京広しといえど、炎色野しかない。

今日は三島焼の「古松淳志」くんの最終日(12時から3時まで)
彼は京大をでて、三島焼の名人「吉田明」に弟子入りをし、腕を磨いた。
吉田氏は、釜開きの時、片淵さん(天真庵で死ぬまで鮨を月一でにぎってくれたじいちゃん)
が鮨をにぎった。晩年は新潟に移住したり能登の珠洲焼などをつくっていたけど、61歳で旅立たれた。
「気骨のすし職人」も3年前に逝った。

さて、急いで焙煎などを済ませ、今日は青山をぶらり散策しよう。
ITで一番最初に組んだ会社も「青山」にあった。煎茶を習った織田流煎茶道道場も
ヒルズの裏にある。「癒し」を教えてもろうたギャラリーもあまた界隈にあった。
炎色野が緞帳を下げたら、最後の炎が消えてしまう寂しさがある。

真民さんのアトリエには、足利紫山さんの掛け軸が飾ってあった。100歳を超えても矍鑠
と揮毫された老師を目標にされていたらしい。
天真庵にも紫山老師の掛け軸を時々飾る。100歳を超えた時に揮毫した
「古松談般若」(古い松は、般若(さとり)を談ずる)というのがいい。今日の作家と縁を感じる。感謝。

となりのテレ金ちゃん

先月の終わりの水曜日にテレビ金沢の「となりのテレ金ちゃん」に、
「東京と能登の二股暮らし」(デュアルライフという)が紹介された。
わずか8分だけど、撮影は、東京、能登の志賀町の家、能登町の梅茶翁
の三か所。つごう8時間くらいカメラの前で、そばをだしたり、近所の
人たちとお茶したり、アオリイカを釣ったり、梅茶翁では、梅林で草刈りしたり
する映像が流された。

隣のR子ちゃん(ぼくより少し年上)は、「電話とメールが10件以上きたわ」
と女学生のようにはしゃいでいた。
歩いて20分の酒屋のおっちゃんは「あと五分でカメラがくるよ。自然体でね」と
打ち合わせをしたら「慣れてるさけ 大丈夫や」と笑っていたけど、いざ本番に
なったら普段着の下着のシャツをポロシャツに着替え、まるで歌舞伎の早業の着替え
のような感じで、姿勢もただし、少し緊張していたけど、しゃべり始めたら「普段使い」に
なった。ただぼくのことを「先生」とか呼ぶので(普段は、ワレとかオマエ・笑)、そこは
カットされた。

東京のお店では「OSAKENTARO」の若夫婦がお客さんとしてきている映像が流れた。
おさ夫婦は、近くでファッション関係のブランドを立ち上げ、全国区で活躍している。
ぼくのそばのお弟子さまでもある。いいこと悪いこと、感動するとすかさず「ヤバイッス」
と叫ぶ。「今日のそば、ヤバイッス」 最初は「どうした。水を入れすぎたか?」
なんて聞くと「シルクのように、きれいなそばになりました」といった具合だ。
昨日はテレビのDVDを渡し、「かあちゃんに見せたら」というと、「彼女はぼくのことディスルんですよ」ときた。
英語のDISにル。「否定する。蔑む・・・」そんな意味らしい。たった30くらいしか年の差がないのに、
「日本語」が、すごいスピードで進化?している。でも彼のアトリエにいくと、陽水の「氷の世界」
がレコードで流れたりしているのが、ヤバイッス。そんな彼をぼくはDISらない。

この界隈は、長屋でカフェをやったり、古民家でファッションやアクセサリーのお店をやったり、
「小さく産んで」のスモールビジネスが盛んな場所でもある。昔は「大輪の花を咲かせてください」
なんていうのが常套句だったけど、「その場その場で咲きなさい」の方にシフトして、
「咲かなくてもけっこう」のほうにいってるような気もする。一度しかない人生を悔いなくいきる。
「自分らしく生きる」のが一番いい。

「花のように」

何も持ってないのが
いちばんいい
ねらわれる心配もなし
焼かれる不安もない

無一物だから
無尽蔵なのだ
一切皆空
咲いて散りゆく
花のようにあれ     (真民)

10月19日(土) 山本竹勇 津軽三味線の世界(満席御免ください)

演奏:山本竹勇(ギター)

18時開場 19時開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

11月6日(水)
「新作CD発売記念ライブ」  ソボブギ

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

演奏
西尾賢(ピアノ、三味線など)
藤ノ木みか(うた、パーカッション)
伊藤啓太(コントラバス)
豆奴(おまけ)

月曜の朝は卵かけごはん

昨日は電話やメールで「天真庵は無事でしたか?」という問い合わせがあまたあった。
ブロクにも書いたけど「無事これ名馬」であ~る。
近所の人たちも、台風一過に一安心で、昨日は「昼酒」を飲む人も多かった。
「地震雷火事親父」、親父は死語になったけど、そのみっつは怖い。しかも台風の最中に
地震もきた。この界隈はいわゆる0m地帯で、荒川が決壊したら、6mくらい水に浸かる、
という地域である。その時は、あの世とこの世の結界がとれて、現象世界と実相の世界を
自由に往復するような生活になる。

江戸時代に越後で大地震があった。そこに五合庵という草庵を結んでいた曹洞宗の良寛さんが
「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難を のがるる妙法にて候」とのたまわれた。
やはり「そうとう」な人や。

台風の影響で、「やさと農場」から卵が一日おくれで届いた。ぼくのHP
にリンクしているけど、ここは若者たちが自然農で野菜をつくり、その野菜を
食べさせて、にわとりやぶたを飼っている。
今日の「卵かけごはん」は、そこの平飼いの卵、みそ汁の味噌は手前味噌で、身はやさとの野菜。
お米は、能登半島の棚田でつくったお米。そのお米をここで精米し、糠は糠床に・・
けっこう理想的な朝ごはんだと思う。

野菜が届く時、農場の人たちの近況をつづった会報誌が同封されてくる。
今回の台風が終末に重なったので、農場で2泊3日のイベント「つながるを取り戻すワーク」
というワークショップが中止になったそうだ。ぼくもこの農場で毎年秋に、彼らがつくる新蕎麦を
打つ会をやってきた。「人と人のつながり」「夫婦のつながり」「親子のつながり」・・・
スマホやネットで、いつでも世界中の人と「つながっているような錯覚」は体感するけど・・・
実のところは、「つながる」はバーチャルの世界で、風邪をひいたりしても誰も見舞いにもきてくれない、
そんな世界をみんなで放浪しているようなものだろう。風邪ひいた時や落ち込んだ時に「添い寝」してくれる人
くらいほしいよね。

そして、やさと農場にいってみると、「人が自然とつながっていない」ことを再確認する。
生きとし生けるものは、みな「つながる」状態なのだが、都会で生活していると、みんな
別個の世界。だから、他人のことは、自分のこととして考えずらい、そんな思考回路になっているようだ。
「つながる」を、こんな時代だからこそ、魂のレベルまで考え直す時かもなんばん。感謝。

10月19日(土) 山本竹勇 津軽三味線の世界

演奏:山本竹勇(ギター)

18時開場 19時開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

11月6日(水)
「新作CD発売記念ライブ」  ソボブギ

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

演奏
西尾賢(ピアノ、三味線など)
藤ノ木みか(うた、パーカッション)
伊藤啓太(コントラバス)
豆奴(おまけ)

なんとか日常茶飯がもどってきた!

台風がいった。311に耐え、今回の大きな台風にも耐えた!
天真庵の建物は昭和20年の3月の東京大空襲で焼けた土地に、福田栄吉さん
が建てたもので、築74年・・後期高齢者みたいなものだ。
彼は「福田組」の組長。ヤクザではなく、土木建築業の社長さん。

しばらく空き家(四半世紀近く)だった。栄吉さんの娘さんも土木建築業を継いで
女組長でがんばっていた。誰にも貸さない物件だったけど、「栄」という共通の名前に
縁を感じ、賃貸契約が成立した。その時ふいに隣に座っていた息子のMさんに「おめだたいので、
向島のMにいってきなさい」といった。あまり有名な料亭ではなかったけど、たまたま
IT企業を興したころ、よく通った店だった。栄吉さんも「自分の家」のような感じで
毎日のように馴染みだったらしい。「兄弟だったりして」(彼は昭和28年に旅立ったので、それはない・笑)
その店は女将ができた人で、その当時は、三味線や踊りの上手な芸者さんたちがあまたいた。
いわゆる「枕芸者さん」を目的にしたお店ではない。(こないだかっぽれの時に、「老後は金沢の花街の近くの老人ホームに
入り、車いすになっても遊びにいきたい」話をしたら、なほちゃんが「そんな年になってもエッチなことするんですか?」
と聞いてきた。少しゴカイしてる節がある)

ここの改装は、芸大の建築家を出てホヤホヤの中西くんを中心に、テキスタイルのうな、
油絵をでた林くんの3名と、土日は彼らを慕うワカモノが集まってくれ、4か月で完成した。

ステンドグラスをつくってくれたあいちゃんは、今は「自由が丘バーガー」のオーナー。羽田空港内に
もお店をだした。スットンキョーな人で、ときどき深夜や早朝に電話がかかってきて「押上のおとうさん」
を枕に近況を一方的に話す。「お前のような娘を仕込んだ記憶はないけど、元気そうでなにより」
というような返事をする。昨日は、そのステンドグラスが風で危ない?と思ったけど、なんとか無事だった。

街路樹の葉っぱがいっぱい散らかっているくらいで、それを「拾得」(寒山拾得のじゅっとく)
よろしく箒で掃き、お店の中に避難させていた植木をもどすと、なんとか平常どおりになった。
そして元気に蕎麦も打てた。人もお店も「無事これ名馬」である。

箒をもった拾得は、「お寺のまかない係」。禅林では「典座」(てんぞ)という。
曹洞宗の開祖・道元が 遺した『典座教訓』は、「日常茶飯が修行である」を説いた。
今、映画になっているので、縁ある人は見てもらいたい。「映画 典座」で検索するとでてくる。
青山俊薫(あおやま しゅんどう)さんも出演している。昭和8年生まれ、道元さんと同じよいうに、
茶や花を「日常」にすることの中で禅の道を広げておられる日本一の尼僧さま。
長野の塩尻の曹洞宗無量寺におられる。

昨日、風よけ?に本棚を動かしていたら、彼女の本が棚から落ちた。
「一度きりの人生だから」(海竜社)

帯に

みんな「いいもの」が欲しくて、いいものを求めて
人生の旅をしている
その「いいもの」は人によって違う。
いちばんいいもの、
それは持ち物じゃなく、
持ち主が、癌さへも「おかげ」と
言えるような生き様の
できることではなかろうか。(本文より)