テレビの放送は来週に変更・・

今日、「となりのテレ金ちゃん」の6時過ぎに放映される予定だったものが、
来週に延期された。大相撲で、石川出身の三力士が活躍して視聴率をもっていけれる?
のか・・・3日かけて取材した内容をまとめるのに苦労されているのか?・・
兎にも角にも、そんなことになった。

昨日は、珠洲焼の名人のところに寄り、器談義をした後、松尾栗園へいき、
今年とれたての新栗の「焼き栗棒」を調達し、和倉温泉の総湯につかり、
東京にもどってきた。

今朝は、来月岐阜で茶会をやるダイキくんに、煎茶道具をみつくろってあげ、
これから「栗ごはん」をつくろう・・・なんてこと考えている。
栗を20個むき、三合ほど能登の棚田でできた新米を研ぎ、
みりんと酒と塩を適宜いれ、15分ほど待つ・・・はじめちゃろちょろなかパッパ・・

今日の夜は、赤須翔くんの「ギター教室」だ。

テレビ金沢 「となりのテレ金ちゃん」

3日ほど前、近くの漁師さんが「いつか珈琲豆をいただいたおかえし」といって、
かわはぎを5匹くれた。
ちょうど木曾村から金沢にこの春もどってきた木工の般若くん一家が遊びにくる日だったので、
山育ちの子供たちに、かわはぎの捌きかた(まさに皮をはぐ)を伝授して、きもといっしょに
「能登の海の幸」を堪能した。

これから秋が終わり、雷とどろく冬になると、雷が鳴るたびにブリが寒ブリになっていく。
ブリは出生魚で、その縁起から正月の食べ物のして全国の食卓にあがるようになった。
ブリになる前の魚を「フリ」という。ウソ!北陸では「ガンド」という。寒ブリほどあぶらは
のっていないが、「あすはブリになろう」というあすなろのような若さがすがすがしい。
「コゾクラ→フクラギ→ガンド→ブリ」・・これを頭に入れて界隈の寿司屋にいくと、肩の力が抜けて酒が美味い!

般若くんちのガンドのような女の子ふたりが遊びにきて、ふだんは子供の声が聞こえない集落が
にぎやかだった。天真爛漫な子供たちを見ていると、なごやかな気持ちになってくる。
この能登の魅力は、一口では言い得ないけど、「俗に紛れず稚気あふれる人たちがあまたいるとこ」
のような気がしてきた。「能登はやさしや土までも」という名言があるけど、この地に生まれ、
この地で土になるまで生きる人たちは、とてつもなくやさしい。

昨日はテレビ局の取材で、梅茶翁にいく。テレビ金沢の人たちが、東京の天真庵、志賀町の家、そして
能登町の梅茶翁に合計3日カメラをもってきて取材された。
今週の木曜日の「となりのテレ金ちゃん」の6時過ぎに放映される予定らしい。
「東京と能登の二股暮らし(デュアルライフ)」がテーマ。なかなかこの距離の往復は、若さよりもバカサ
を必要とする。「金沢と能登のデュアルライフ」はこれからおおいに流行するのではなかろうかしらん。
「東京と千葉」も多いし、「東京と信州」も距離的にいい。ようは、「仕事と遊び」「オンとオフ」のメリハリ
をつけて、精神的な均衡を保つ、ということではなかろうか?撮影をしながら、そんなことを思った。

撮影が終わり、梅茶翁のスタッフさんたちと、煎茶を飲んだ。座敷に茶櫃(茶たくや煎茶碗、茶巾、茶合などが入っている)
や、こぼし、涼炉・・などが揃っていて、「ひさしぶりにお茶をいれて」という声なき声が聞こえたので、リュック
にしのばせている携帯用の茶入れに入った星野村の煎茶をだして、入れてみた。
梅茶翁は、江戸時代の奇想天外な奇僧で煎茶の世界では利休のような「売茶翁」(ばいさおう)から命名された。
お茶道具を背中にしょって、下鴨の糺の森など風光明媚なところで、お茶を入れ、文人たちと茶を楽しんだ。
茶店をだすときは、自分で揮毫した「清風」という旗をたてていたそうな・・
梅林のある梅茶翁の座敷でお茶を飲んでいると、虫のすだく音といっしょに、秋の風がすすきをゆらす音がした。
まさに「清風」である。天恩感謝。

月曜の朝は( ^ω^)・・・

からブログが途切れた・・一週間さぼったことになる。

令和の中秋の名月、次の日は満月だった。
9月10月は、アオリイカのシーズン。とくに秋の満月の夜はよく釣れる。
毎朝、徒歩3分の海に釣り竿をもって、太公望よろしく海釣りを楽しんでいる。

昨日は金沢から般若くんの家族が遊びにこられた。木曾から金沢にこの春もどってきた。
この能登の家には、彼の卒業記念の作品の茶箪笥や、着物のタンス、テーブルなどがあまたおいてある。
金沢や木曾から東京に運ばれ、能登にもどってきたかたち。作りてと再会した木工家具たちも、
父子の再会のように懐かしい対面のような感じやった。

これから梅茶翁の梅林にいって、草刈り。
能登の家の柿や栗もたわわに実をつけている。秋は実の季節。
自然によりそいながら暮らしていると、いろいろなしがらみから解放されたり、五感が
研ぎ澄まされてくる。

21日(土) 吉良 剛ギターコンサート

演奏:吉良 剛(ギター)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

26日(木) 赤須バーライブin天真庵

演奏:赤須翔(ギター・蕎麦打ち)・バロン(ウクレレ他)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

月曜の朝は・・・

台風一過・・・・昭和20年の東京大空襲の後、焼け野原になった土地に、立てたものなので
天真庵の建物は74歳になる。でもその当時の建具職人の技なのか、建材やの気骨か、木その
ものが今のと違うのか、たぶんそんなことの総合力で、「戦後一番の台風」や「地震」や風雪に耐えて、
うらぶれたシャッター商店街に古色蒼然とたっている。

まだ東京は台風の余波はあるもの、なんとか普通の「月曜の朝」をむかえつつある。
「月曜の朝は卵かけごはん」 のれんは風にゆられているけど、さきほど玄関にだした。
店の前は、グリーンの絨毯。街路樹やお店の前に植えた植物たちが、天才(天災?)が描く
抽象画のように書き殴られたような状態。

台風が過ぎたらフェーン現象みたいに温度がムーと上がったりするけど、山の景色などは
普段とは別物になるので、昔から写真家などはこんなタイミングでカメラを積んで車で
「わけいっても わけいっても 青い山」を走ってシャッターを狙いにいく。

昨日は木工の般若くんから木曾のトウモロコシがおくられてきた。
さっそく、皮を2枚くらい残して、4分くらい蒸し器に入れた。
金沢美大をでて、木曾でながいこと作品をつくってきたけど、この春に
金沢に軸足をもどし、木曾と金沢の「二股暮らし」をしている。
来年あたりは、能登のとうもろこしを金沢におくる、逆転のスタイルになりそうな気もする。

東京の天真庵の玄関や、カウンターの椅子、そばの折敷(おしき)などは、般若くんがやってくれた。
彼の卒業作品の茶箪笥は、能登の家においてある。今回北國新聞にのった玄関のテーブルも、
なんの木か忘れたけど、穴がボコボコあいた木材を使って彼がこさえたものを、有田焼の火鉢の上
にのせたもの。「里帰り」したみたいに、うれしそうな表情をたたえている。

今日は「長屋で女史会」  終わってかたづけたら、能登休みになる。感謝。

香取神社のお祭り

昨日は、遠くから「東京にいったら、天真庵にいって、不思議グッズを買おう」
ときめていたご夫婦がこられた。
HPを見ていて「うめ星」とかが気になっていたらしい。
UFOとか隕石とかの話は、能登の羽咋(はくい・・いいます)あたりにいくと、日常茶飯で、
「コスモアイル羽咋」は、全国、いやこの星のどこにも類を見ない「UFOで町おこし」で成功した例だ。
トヨタの販売店にいっても、ロケットが飾ってあるし、バスも👽・・こんなんが描いてある。

世界中、いろいろ「いきずまった感」が漂っているけど、上を見上げれば、青い空が広がっているし、
UFOもよく飛んでいる(ぼくはまだ見たことないけど)。
夕方は能登によく「梅仕事」などにこられる夫婦がきて、だんなは蕎麦打ち、かみさんはカフェ時間。
3年くらいやっているので、だいぶうまくなってきた。「能登でそばやをやるなら、能登そばUFOのレシピ教えたるで」
と冗談のつもりでいったら、真顔で「お願いします」とかえってきた。

蕎麦打ちが終わって、近くの香取神社のお祭りにいってきた。毎朝参拝するけど、お祭りの時は
また格別。「広島風お好み焼き」を買ってきて、ワインの炭酸割を飲む。
今月ライブをやってくれるショーこと「赤須翔」も香取神社の「年番」という役割でお祭りの世話係を
している。今月はウクレレのバロンさんと、ボーカルのかわいらしい女性といっしょなので、また楽しみであ~る。

今日は日曜日なので16時閉店。それから「蕎麦打ち教室」
新聞などに「天真庵・・近い将来 能登に完全移住・・」みたいなんがのったりしているので、
お弟子さまたちも真剣になってきた?お茶のお弟子さまたちとは、「東京教室はおしまい」の挨拶をして
緞帳を下げ、お茶道具も能登に引っ越しをした。どうなるかは「風まかせ」。

それよりも今晩の台風の「風」のほうが気になる。

明日の朝は「卵かけごはん」
夜は「長屋で女史会」

金沢舞踏館

能登に移住がきまったころ、金沢舞踏館の人たちが天真庵に「卵かけごはん」
を食べにきた。2年くらい前の、とある月曜日の朝。

9月はそこが金沢の古民家を改装してカフェをやる?とかいうことで、お披露目を兼ねた「合宿」
があるらしい。日本よりヨーロッパあたりのほうが人気の高い「舞踏」だけど、興味
がある人は「金沢舞踏館」を検索して、検討してみては如何?

それに参加する友人が「寒山拾得美術館」にきたいというので、会期中にお越しになる。
般若くんも木工のアトリエを木曾から金沢に移して、よめはんのヨッシーも音楽活動を
本格的に始動しはじめた様子。
30万人の街ではあるが、文化レベルが高い。墨田区も29万人住んでいるが、競争にならない。
天真庵のある地は「墨田区文花」・・・文化の花が咲いているフウの地名ではあるが・・

9月18日から29日まで「珠洲焼」のイベントが、渋谷ヒカリエである。
10月5日から11月10日までは、珠洲(すず・・いいます。能登の最先端の街)の珠洲焼資料館であります。
両方梯子してみると、「日本人」の原点みたいなもんが見えてくると思う。
関連した茶事も開催される。たぶんもう満席ではないかと思うが・・

今年の「芸術の秋」は、もりだくさんでウキウキする。

天真庵もあとふたつ素敵なライブを用意している。

21日(土) 吉良 剛ギターコンサート

演奏:吉良 剛(ギター)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

26日(木) 赤須バーライブin天真庵

演奏:赤須翔(ギター・蕎麦打ち)・バロン(ウクレレ他)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

勾玉・・オモト・・・開運・厄除け・・

先週の木曜日は銀座4丁目に「隕石直売所」が移転ので、お祝い(久保さんの織部の皿)を
もって訪問。帰りにいきつけの骨董屋にいくと、「勾玉」がおいてあった。
翡翠の色は少しきつかったけど、「これも織部みたいなもんやな」という気がした。

昨日は青山に用事があったのでスカイツリーの商店街の酒屋で、手土産をさがしていたら「勾玉や」
(いしや?)があった。出雲が本社のお店らしい。令和の皇室の儀式にも登場してたけど、昔から
「勾玉」は大事な神器なんだと再確認した。出雲型、という少し丸い形のもので、「青石」という出雲
でしかとれないものでつくったものが、光っていた。「これも総織部やな」と思った。
「魔よけ」や「運気をアップ」させる効果がありそうね。魑魅魍魎が跋扈するような昨今、
すごく大事なもんかもなんばん。「久保さん、織部勾玉つくらへん」とあとで電話してみよ・・

今朝はまた夏がもどってきたような陽気なので、表の矢羽すすき、しゃが、つわぶき、椿などに水を
やっていたら、近所の散歩中のおばあちゃんたちが「緑がいっぱいあって気持ちいいわね」などと挨拶しながら
通っていった。昔から「南天」などを庭に植えると「難を転ずる」縁起で人気があった。「難あり男子」しか縁
がなかったり、女難男難のケがある人にはいいかも。オモトというのも、昔から魔よけに使われていた。
「万年青」と書く。24歳の時に骨肉腫で大徳寺の近くの病院で入院したとき、当時の彼女が「オモト」をぶら下げて病室にもってお見舞いにきた。
退院した後にすぐに枯れた。そのことを告げたら、巫女のような顔して「厄ばらいをして、役をおえたのね」
といった。ほんとうにそんな効果があるらしい。引っ越しをする時など、オモトを知り合いに譲ったりするのもいい。

今日は「ダメから始める中国語」  この会はぼく以外はみんな「みこっちゃけん」よろしく元気
な巫女さんみたいな人が集まってワイワイ中国語を勉強し、ときどき餃子パーティーをし、そばを手繰り
ながら談論風発をする会。

亀戸餃子で哲

亀戸の猥雑な横丁に、亀戸餃子がある。
この街で生まれ育った天真庵の大家さんたちの「青春の味」であるらしく、
ときどき若きころの思い出を食べにいった帰りに「おすそわけ」をいただく。
酢醤油とラー油がついてくるのだが、「青春の味」は、酢に和からしを溶いて
食べる、という方式らしい。人の歴の箱をたどる必要はないけど、なぜか亀戸餃子を
食べるときは、「青春式」でやるのがならわしになってきた。

大学時代、つまり自分の京都の青春時代の餃子は「王将の餃子」になるか?
昭和50年代は、空腹で貧乏な学生のためにそのお店は「餃子のただ券」をくばっていた。
ぼくは、ブロイラーよろしくタダの餃子をついばむことに抵抗?いや、大学にも「からふねやの制服」
ででかけていた関係で、「王将・・」には一度もいったことがない。
「天下一品」の本店は、白川店から徒歩数分だったので、よく通った。
ふたつのお店は、今では東京でもたくさんある。

東京に出稼ぎにきて、最初に会社を立ち上げたのは秋葉原。その後代々木に3年くらいいて、
池袋に会社を移した。東池袋時代に、会社のある東池袋2丁目の交差点の近くに「餃子屋」
があった。ぼくよりひとまわり上の猿年の主人が脱サラで始めたお店で、よく流行っていた。
ぼくの蕎麦の師匠・高橋さんもひとまわり上の猿。その🐵と同期で同門(一茶庵で修行)の「そばもん」が、
「一栄」(ぼくの名前は栄一)というそばやを池袋でやっていて、「今日はぎょうざにしようかそばにしようか?」
などと迷いながら昼飯を食った。

上池袋に会社を移し、天真庵が始まったころから、家にたくさんの人が遊びにきて、飲み会
や蕎麦会やワインの会などを頻繁にやるようになった。巣鴨から歩いてくる健脚もいて、彼
らは巣鴨地蔵通りを通りながら「白餃子」を手土産にする、というのがパターン化していた。
冷凍の餃子だったけど、水を加えて焼く方式は斬新で合理的だった。

「九州気骨の会」という不思議な飲み会もよくやった。みんな若かったので、7時くらいから新橋の「ビーフン東」
や赤坂の「有薫」あたりで一次会が始まり、新宿の歌舞伎町のバッティングセンターやボーリング場にいったりしながら、
最後は池袋の「餃子楼」という朝8時くらいまでやってるお店で〆の餃子を食べた。(五六軒梯子した)
会長も幹事もテレビ局の人やったけど、そんな学生飲みがいけなかったのか、50歳前後で旅立った。
これも青春。太く短い人生には、それだけ濃い春夏秋冬がある。

最近は餃子を食べたくなると、近くのキラキラ商店街でちょっと太ったおっちゃんがやっている餃子を買ってきて、
蕎麦焼酎の「花」の炭酸割り、というペアリングもときどきやる。
10年以上続いている中国語の勉強会「ダメからはじめる中国語」では、年に二回、みんなで餃子の皮かたつくる
「水餃子大会」がある。今度の金曜日はその「ダメ中」だ。考えてみると、「餃子」も人生。

人は生きていくために口から食べもの入れ、けつの穴から排泄する。
よくよく考えてみると、ひとの体はアメーバ的に単純な「食べる臓器」だ。夏休みに田舎で鯛を2匹釣ったたくみ(小Ⅰ)が
外道で「ひとで」を釣り上げた写真を見せてくれた。人の手のような体の真ん中に、口と肛門がある。
ひとで、も、ひと、も同じようなものである。総排出腔(そうはいしゅつこう)という。食って、排泄して、
時々エッチをする。それをひとつの穴でするのが、総排出腔。穴が増えるから「渾沌」になる(荘子さまの説)
人はそこに情感が加わる(本来は)ので、「青春の味」や、「忘れがたき一皿」になったりする。
少し涼しくなったので明日は亀戸まで歩いて餃子を食べようかしらん。「初老の味」がするのだろうか?
ホンモノはみな簡素。食べたい時に食べ、したいときにし、眠い時に眠る。そして天命をまっとうして(または途中で)死ぬ。天恩感謝。

50からでも英語がペラペラしゃべれるようになる方法

今日は「英語でそば会」
池袋時代からやっているので、軽く14年くらいは続いている。
岩本先生の前は、ぼくのIT時代の友人の「ビル・スメール」が
教えてくれていた。通称「ビールとスルメで英会話」やった。
2001年のニューヨークのテロの日も英会話
をしていた日だった。日米あわせて20年くらいになる。

何年か前から「ポン引き英会話」のスタイルになった。
夕方に、先生と生徒がスカイツリーに集まって、外国の観光客
をポン引きする。「ええ店紹介しまっせ どうでっしゃろ」

この「ポン引きスタイル」になって最初は生徒が「ドン引き」してOに限りなく激減した。
でもしばらくして、元気なおばさんたちがあまたやってくるようになった。
「オリンピックの時にボランティアガイドをしたい」という高尚な精神をもったご婦人たち。

化粧や減量のCMに「ビフォー&アフター」が使われるけど、このおばさんたちの
2年間のビフォー&アフターは、もしもテレビなどに紹介されたら、押上駅からお店まで
行列ができるのではないだろうか?というくらいみな英語が上達した。
「50の手習い」というけど、60だろうが70だろうが、「やるき」次第やと思う。
四十雀(しじゅうから)という美しい野鳥がいる。有名な女優が「おんなは40を過ぎたら、みなおばさん」
といったけど、この道も「しじゅうから」でも「ごじゅうから」でも気持ちしだい。
ウキウキするような気持ちをもって、「命短し恋せよおとめ」で毎日を通っていけばよろし。

明日は「金沢のテレビ局」の取材。
明後日は「おとこかっぽれ」・・・これを取材という案もあった。
老後は金沢の「ひがし茶屋街 」あたりで、かっぽれを楽しみながら飲むじいちゃんをめざしている(笑)

新春シャンソンショー

新しい時代の正月みたいな「長月の初日」にシャンソン。
昭和という時代は、モボ(モダンボーイズ)とかモガ(モダンガールズ)
とか時代の先端を走る人たちが、銀座のシャンソン倶楽部に集っていた。
彼らが、銀座をブラブラと闊歩する姿を「銀ブラ」といった。

諸説あるけど、当時はカフェも銀座にあまたあって、そこで「ブラジル」を飲む、
つまり「銀座でブラジルを飲む」ことを、「銀ブラ」といったという説もある。
モボがブラジルを飲むので、天真庵の珈琲は「モボブラジル」という。ウソ。
昭和の往年の大スター(プロレスやけど)力道山のライバルに、ヘッドパッド(頭ずき)
を武器にしていた「ボボブラジル」という悪役だけど、日本人に愛されたレスラーの名前
から拝借した。「昭和が遠くになってきた」証拠に、このあたりの話についてくる人も少なくなった。

福岡出身のタモリがネタにしていたけど、九州人は「ボボ」という言葉は
女性器を意味する方言で、口にだすと博多っ子純情よろしく赤くなるのでタブーやった。
当時の九州のスポーツ紙には「ポポ・ブラジル」と書いてあった、という話で笑いをとっていた。
しろうとさんのセックスまでネットに流れる時代に、まことに伝説のようなお話ではあるが・・・

昨日のシャシンソンのお客様は、平均年齢がたぶんぼくよりも少し上で、初期高齢者よりちょっと上
あたりだったのではなかろうか。シャンソンやボサノバを「生」で聴いてきた世代。
「みんなで共に楽しむ」をこころえていて、楽しみが倍音以上に響き伝わっていく「幸せライブ」やった。
昭和歌謡といい、その時代のうたは、男と女の物語が、イキイキと表現されていて、こころに染みる。

英里さんのシャンソンは、春と秋にやるようになった。最初は春だけでったのが、2年前のドラエモンの誕生日の日
に、わたくしの還暦のお祝いの日に重なって、それから秋はその前後にシャンソンをやるのが「ならわし」
になりつつある。2年前のシャンソンの前日(つまり9月2日)に、まったいの奥さんが昇華された。白侘助のようにきれいな人やった。
先週まったいと酒を飲み、梯子をして、最後は有楽町で飲んだ。千鳥足で肩くんで「わびすけみたいやったな」
と繰り言をいいながら歩いた。「銀わび?」美しい人、いい人は、どうしてはやく召されるのだろう?今日は三回忌。

先週の木曜日にも、仕事で銀ブラ。4丁目の交差点の雑踏の中で、春風駘蕩というか五月の風みたいな
人の気配がした。新しい時代が幕あけされた。春風のようにさらさらと、たださらさらとこの流れを
風雅に楽しんでいきたいと思う。「人も変わる、街も変わる。」昨日もそんなシャンソンの名曲をうたった。
でも「ずっとかわらないこころ」という妄想の中に人は生き暮らしている。

これから「卵かけごはん」

9月はあとふたつライブがある。

21日(土) 吉良 剛ギターコンサート

演奏:吉良 剛(ギター)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

26日(木) 赤須バーライブin天真庵

演奏:赤須翔(ギター・蕎麦打ち)・バロン(ウクレレ他)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)