月曜の朝は卵かけごはん

昨日は「春慶寺」の法事の前に、ご親戚が蕎麦を手繰りながら故人を忍ぶ、
そのような会があった。18人プラスⅠ人の蕎麦会を開店前の11時からやった。
母堂様のお葬式は音楽葬だったそうだ。

ももちゃんの会の時も、ももちゃんのおじいちゃんおばあちゃんのお友達たちが、
危険な猛暑をもろともせず、孫のような音楽家の琴の演奏に拍手と笑顔で答えてくれた。
じいちゃんばあちゃんが元気な国は、幸せな国だ、とあたらめて思う。

昨日も35度を超える猛暑の中、喪服を着たお年寄りたちが集い、古色蒼然とした「江戸時代のそばや」
(昨日のお客さんのひとりがそんな賛辞をくれた)のようなとこで、蕎麦を手繰る。
お酒を飲み、蕎麦を手繰り、〆のホボブラジル・・・天真庵の「文膳」のコースの終盤に、プラスⅠが
二階から降りてきて、ピアノを弾きながら3曲歌った。本日の主客の母堂様の葬儀の音楽葬は
「Stand」を流しながら執り行われたらしい。その「Stand」の生・国貞雅子が突然あらわれたので、
場が盛り上がった。もうひとりのおじいちゃんが最後に涙を浮かべながら「生はいいな~」と。

「帰ろう」にみんな涙した

母さんと二人で 帰ろう 帰ろう 帰ろう
夕暮れの道 手をつないで 帰ろう 帰ろう 帰ろう

雨が止んだら 帰ろう 帰ろう 帰ろう
涙は虹に変わっていく
帰ろう 帰ろう 帰ろう

あれからいくつ
時が過ぎただろう
今日は 母さんの手を引いて 帰ろう 帰ろう 帰ろう   ・・・・・・・

マンモス公園

近くにそんな公園がある。春になると桜が咲く。
その時、「マンモス」のように高い滑り台の上で告白すると、恋が叶う、という言い伝えがあった。
天真庵の改装を手伝ってくれた「はやしくん」が、「けいちゃん」と、そんな噂通り
のことをして結ばれた。「信じるものは救われる」である。
ふたりは、すぐに和歌山の海辺に移住し、「田並劇場」(天真庵のHPにリンク)を
クラウドファンディングで再興した。家族がふたり増えて今は4人家族。

マンモス公園のすぐ近くに、左隣が「魚屋」右隣が「豆腐屋」という長屋の真ん中に、
知り合いの陶芸家がアトリエをつくった。2006年かそこら。
その時は池袋に住んでいて、「押上」という駅があることも、知らなかった。
九州出身のその陶芸家が「遊びにこんね。よかとこばい」というので、一度酒をぶら下げて訪ねた。
隣の豆腐屋の「やまちゃん」の、「さ~いらっしゃい。今日はアジがうまいよ~」みたいな呼び声に
なつかしさを感じ、豆腐屋の看板が手書きであるのに衝撃をうけ、不整脈か?と思う
くらいドキドキした。まさかの縁で、その町に2007年天真庵を結び、十有余年。「なりゆき」
というか、人生のめぐりあわせの妙は、不思議なものだ。

最近この界隈では、長屋や古い家がいろんな理由で取り壊されている。来年の春に近くにコンピュータ学校と
千葉大の一部ができる。オリンピックイヤーでもあり、東京の不動産は、またバブルのようだ。
天真庵を結ぶきっかけになった、その三軒長屋も、取り壊しの憂き目にあう。
マンションや建売住宅にするほうが、「経済的効果」はあがるのだろうが、失ったものはかえってこない。
どこの町も旧資本主義的な発想で開拓が進行中であるが、何か「滅びに至る」途中みたいに思えてならない。

今日は常連さまの母堂さまの法事が押上の名刹「春慶寺」である。昨年は元気に蕎麦を手繰りにこられた。
その前に「天国への引っ越しそばを手繰る会」のような蕎麦会を承った。ので、
今日の開店は30分おくれの「12時半」とさせてください。「そばや」(そばやの二階)というのは、
いろいろな「歴史」を育んできた場所である。感謝。

ももちゃん会 大盛況

昨日は、ももちゃんの薩摩琵琶の会。
彼女が天真庵デビューしたのは、10数年前、押上にきたばりのころ。
織田流煎茶道の家元のお嬢様りんちゃんとももちゃんが、東京音大の同級生で、
煎茶道の仲間とともに、二階で煎茶会をやり、一階でライブ・・・という
「煎茶事」のような会をやった時だ。ふたりはまだ大学を卒業したてだった。

もも、の前に、ぶどう人もやってきた。
真っ黒い顔したんが、昼過ぎに「ちわっす」とやってきた。
「来年のオリンピックの下見にきたアフリカのランナー」かと思ったら、
ぼくのそばのお弟子様。2年前に山梨に移住して、ぶどうをつくっている。
この秋に、古民家を買い、本格的な「田舎暮らし」をやるらしい。
相方はピアニストなので、なかなかおもしろいことが、山梨でも誕生する。
彼はぼくと同じ九州産。

九州産、といえば、先日ギタリストの「吉良 剛」くん(大分)が、
蕎麦を手繰りにこられた。お父様の還暦の祝いをきっかけにギターライブを
やりはじめ、藤沢を拠点にライブをやっている。9月21日(土曜日)が天真庵
初ライブ。楽しみだ。

9月1日にやるシャンソンの上原英里さんも藤沢界隈のカフェで
よくライブをやっておられる。なんかみんな根っこがつながっている感じがする。

そして昨日お客さんとしてやってこられた津軽三味線の「山本竹勇」さんも、
10月19日(土曜日)に、天真庵で「津軽三味線のライブ」が決定した。
高橋竹山先生のレコードを聴いたのがきっかけで、はじめたらしい。
ぼくも冬の能登で聴こう、と思い竹山先生のCDを能登に運んだばかりだ。すごく楽しみ。

一ケ月の10日間は能登で暮らしているわりには、いろんな縁が紡がれていて、
不思議な日々是好日。

薩摩琵琶は、壇ノ浦で滅んだ平家の英霊たちを鎮魂するために琵琶法師たちが奏でた、のが原点。
その後、義経は「勧進帳」で有名な北陸の安宅の関から、能登のわらび姫に会いにいき、奥州
にいく。半官贔屓の日本人は、各地に義経の伝説を残し、今も語り継がれる。
能登の天真庵のすぐ近くに「義経の舟隠し」という名所もある。間違いなく義経が歩いたとこだ。
能登でももちゃんに「義経」を奏でてほしいものだ。
「能登の和もの酒場」でもやってみるか・・

今日のライブは18時開場です。サマータイム?

今日は、ももちゃんの薩摩琵琶ライブ。
いつもより一時間はやく始まる。ファンの方が少し年齢層が高いので、
おそくなることを少し危惧してのことだ。危険的な猛暑が続きそうそうなので
いろいろな意味で、いい試みかもしれない。それにしても、異常なくらい暑い。

なにげなく、自分のHPの「ライブ情報」を見てみたら、昔のライブ情報まで
見れるようになっていた。IT時代の友人がいろいろ工夫しながらつくってくれている。
あまり過去を振り向かない性格だけど、パラパラ見ていたら、懐かしいのもあった。
ももちゃんの若いころの写真を見つめて、にんまりしたりする・・

鈴木大拙先生は、70代のころ(95歳まで生きた)、20代前半のカノジョがいた。
彼が世界に広げた「SATORI」の中には、「そうゆうこと」も含めた「哲」が内包している。
まさに「生きていくことが芸術」なのだ。

「人生は、どう論じようとも、結局苦しい闘争である。
だが、苦しめば苦しむほど、あなたの人格は深くなり、
そして人格の深まりとともに、あなたはより深く人生の秘密を 読み取るようになる」(鈴木大拙)

「試練は 鞭ではない
愛なのだ 慈悲なのだ」(真民)

昨日の「北国新聞」に、能登の天真庵が紹介された、らしい。

2日(金) 『百びわ庵』コンサート(満席御免)

演奏:榎本百香(薩摩琵琶)

18時開場 19時開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

鉄は熱いうちに打て!

そんな諺がある。「今ですよ!」か?
でもこんな暑い日は、鉄を打つどころか、「飲む 打つ 買う」どれもやりたくない(買う・・は相手しだいか?)

一昨日は、書の会。昨日が「おんなかっぽれ」  
書、いうのは、誰でもできる芸術。美味い、下手など問題ではない。先生の手本を真似て
かいても、しょせんは「まねごと」。「その人」が字にでてくるようになれば、いい。

石川県が生んだ偉大な哲学者・鈴木大拙先生は曰く、

「自由はその字のごとく、「自」が主になっている。抑圧も牽制もなにもない、
「自(みずか)ら」もしくは「自(おのずか)」らでてくるので、他から手の出しよう
のないとの義である・・・・・・・・・さすが言い得ている。すごいジーちゃん。

こんな言葉も残しておられる。

「実際のところわれわれはみな、‘生きることの芸術家‘として生まれてきているわけである」

昨日は「おんなかっぽれ」
さすがに、クーラーを利かせても、汗が滝のようにでる。
浴衣を着て踊るかっぽれは、体いっぱいつかって、「自由」を謳歌しているごとく舞踊だ。
先生は77歳。生徒は「ごじゅうから」前後。人生の目標になる。

今日は「おとこかっぽれ」 今年古希を迎える相方と汗を流す日。彼も「哲学者」の風貌になってきた。

「哲」は暑いうちに打て?猛暑を乗り切るもう一つの智慧?

明日は「ももちゃんの琵琶ライブ」(おかげさまで満席ごめん) 16時まで営業。