書と音楽

火曜日は「書の会」だった。
夕方カウンターに座り、酒を飲んでいた女子が「見たい」
というので、書の会を見ながら酒を飲んでもらった。
もともと貞本先生とは、大塚「江戸一」で出会った飲み友達。
書と酒が一体になったような「サダモト メソッド」

テーブルの席と椅子を端っこに寄せ、そこに黒の毛氈(もうせん)を敷いて、
全紙(半紙は、全紙を半分にしたもの)を銘々が置き、お気に入りの「字」を書く。
それから呼吸を凝視するように「〇 ◇ ▽」を描く。さながら「仙厓和尚」だ。
一瞬にして、白い全紙の中に墨を置くと、「白と黒」の芸術になる。
「そのひとの今」の魂が吐露されていて、二度と同じことができない、という点で音楽
と共通項がある。「個の花」を咲かせるには、最高の芸術だと思う。誰でも、いつでも始められる。
「おれがやらねば誰がやる。今やらねばいつできる」だ。

次の日は、30人近くの人が集まって、ピアノとフルートを「共に楽しんだ」。
天真庵のライブは、蕎麦会がいっしょになるので、立ち見をつくると「立ち食いそば」を
喰う人がでる。なので、18人をマックスにしている。
水曜日の音楽会は、ぼう大手の会社の社員さんで、「小さいときからピアニストを目指したひと」と
「中学校の吹奏楽(ブラスバンド)でフルートを吹いていて、将来はプロのフルーティストをめざしたくん」
のふたりが、同じ釜の飯を食う仕事仲間の前で、バッハやモーツァルトを奏でた。

3か月ほど前「天真庵でやろう」と決まってから、毎週末は練習に明け暮れ、先週の土曜日の夕方は
天真庵でリハーサルをやった。熱烈な彼らの応援団は、冷たい「ほぼぶらじる」を飲みながら
リハーサルを熱心に聴き拍手をおくった。

「花」を教えてくださった原田先生が生前、「稽古は本番と思って真剣にやりなさい。本番は稽古と思って
平常心を忘れずに」とおっしゃっていた。ふたりのまじめな稽古を見ていて先生の言葉を思い出した。
その日の朝30人分の蕎麦を打つ時、ふとそんな言葉が思い出された。花や茶の先生は「人生の先生」

立ち見もでて、みなで音楽を堪能し、その後立ち見の人は二階のテーブルでそばを手繰った。
二階に蕎麦や飲み物を、そこの社員の人たちが運んでくれたり、片づけを手伝ってくれたり、
みんなで一体になって、素敵なコンサートが終了した。
片づけが終わると、日付が変わったけど、カウンターで「花(蕎麦焼酎)のオンザロック」
を飲みながら、コンサートの興奮を反芻させながら反省会。「忘れがたき日」になった。

今日は朝から☔。
天真庵の二階では「お仕覆」 原田先生を紹介してくれた武内由希子さんが先生やった。
一昨年のクリスマスに花のように昇華され、生徒だった筆子さんが継承している。
先日武内さんのご主人から「天真庵においてください」と生前彼女が愛用していた花器を
いただいた。死んだ人とは、天国にいってからでないと会えない、とたいていの人は思っている。
「生きている人のこころの中に生きている。」のだ。
ひょっとしたら、荘子や老子がいったように「生きるも死ぬもおんなじこと」かもなんばん。感謝。