今日は8月の末(まつ) 松は「待ちなさい 時がくるまでゆっくり準備しなさい」

という「ことだま」

先週中学校時代の演劇部の仲間と飲んだ。
偶然3人とも「松」が苗字についている。「三匹のおっさん」
なるものが一世を風靡したことがあるけど、おめでたい「三松」だ。

そのひとりで衆議院議員をやっている「末松義規」くん。末も「まつ」というので「まつまつ」だ。
時間があったら、彼のHPをのぞいてほしい。私腹を肥やすに忙しい政治家があまたいる中で、
まっとうに一日本人として生きている。
昨日の彼のメルマガに、日米安保や自衛隊のことが記述されていた。ほとんど教科書や新聞が
報じるものとは別の世界。「ときどきは外を見る」で、自分を「コトの外」において、「今」
を鳥瞰してみると、令和のこれからがよく見えてくる。

8月は今日でおしまい。昔から月のおわりには「おから」を食べた。
切らずに食べれるので京都では「きらず」という。
月がかわるけど、このツキや縁が切れませんように・・・という縁起。
8月は、大きな意味で「新しい時代」を感じた人が多かったみたい。
これから「大変化の時代」がくるんだろうね、きっと。
ボーッと生きている人にも、わかるくらい。

いきなりステーキみたいに、いきなり素敵なシャンソンが明日ある。
「芸術の秋」がくる。

9月1日(日)弾き語りシャンソン ライブ

演奏:上原英里(唄&ギター)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

21日(土) 吉良 剛ギターコンサート

演奏:吉良 剛(ギター)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

26日(木) 赤須バーライブin天真庵

演奏:赤須翔(ギター・蕎麦打ち)・バロン(ウクレレ他)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

書と音楽

火曜日は「書の会」だった。
夕方カウンターに座り、酒を飲んでいた女子が「見たい」
というので、書の会を見ながら酒を飲んでもらった。
もともと貞本先生とは、大塚「江戸一」で出会った飲み友達。
書と酒が一体になったような「サダモト メソッド」

テーブルの席と椅子を端っこに寄せ、そこに黒の毛氈(もうせん)を敷いて、
全紙(半紙は、全紙を半分にしたもの)を銘々が置き、お気に入りの「字」を書く。
それから呼吸を凝視するように「〇 ◇ ▽」を描く。さながら「仙厓和尚」だ。
一瞬にして、白い全紙の中に墨を置くと、「白と黒」の芸術になる。
「そのひとの今」の魂が吐露されていて、二度と同じことができない、という点で音楽
と共通項がある。「個の花」を咲かせるには、最高の芸術だと思う。誰でも、いつでも始められる。
「おれがやらねば誰がやる。今やらねばいつできる」だ。

次の日は、30人近くの人が集まって、ピアノとフルートを「共に楽しんだ」。
天真庵のライブは、蕎麦会がいっしょになるので、立ち見をつくると「立ち食いそば」を
喰う人がでる。なので、18人をマックスにしている。
水曜日の音楽会は、ぼう大手の会社の社員さんで、「小さいときからピアニストを目指したひと」と
「中学校の吹奏楽(ブラスバンド)でフルートを吹いていて、将来はプロのフルーティストをめざしたくん」
のふたりが、同じ釜の飯を食う仕事仲間の前で、バッハやモーツァルトを奏でた。

3か月ほど前「天真庵でやろう」と決まってから、毎週末は練習に明け暮れ、先週の土曜日の夕方は
天真庵でリハーサルをやった。熱烈な彼らの応援団は、冷たい「ほぼぶらじる」を飲みながら
リハーサルを熱心に聴き拍手をおくった。

「花」を教えてくださった原田先生が生前、「稽古は本番と思って真剣にやりなさい。本番は稽古と思って
平常心を忘れずに」とおっしゃっていた。ふたりのまじめな稽古を見ていて先生の言葉を思い出した。
その日の朝30人分の蕎麦を打つ時、ふとそんな言葉が思い出された。花や茶の先生は「人生の先生」

立ち見もでて、みなで音楽を堪能し、その後立ち見の人は二階のテーブルでそばを手繰った。
二階に蕎麦や飲み物を、そこの社員の人たちが運んでくれたり、片づけを手伝ってくれたり、
みんなで一体になって、素敵なコンサートが終了した。
片づけが終わると、日付が変わったけど、カウンターで「花(蕎麦焼酎)のオンザロック」
を飲みながら、コンサートの興奮を反芻させながら反省会。「忘れがたき日」になった。

今日は朝から☔。
天真庵の二階では「お仕覆」 原田先生を紹介してくれた武内由希子さんが先生やった。
一昨年のクリスマスに花のように昇華され、生徒だった筆子さんが継承している。
先日武内さんのご主人から「天真庵においてください」と生前彼女が愛用していた花器を
いただいた。死んだ人とは、天国にいってからでないと会えない、とたいていの人は思っている。
「生きている人のこころの中に生きている。」のだ。
ひょっとしたら、荘子や老子がいったように「生きるも死ぬもおんなじこと」かもなんばん。感謝。

♪銀座 銀座 銀座・・あこがれの銀座・・

そんな演歌が昭和に流行った。

昨日は卵かけごはんにYがきた。
「星の王子さま」と呼ばれていて、平成の終わりまで押上のスカイツリーの麓で
「隕石直売所」をやっていた。親子ほど年は離れているけど、故郷が宗像で、宗像郡の○○町でいっしょで
という無駄のない縁を感じる男である。

押上のお店では、いつも「大石学さんのピアノ」が流れていた。それを大石さんに伝えたら
彼がライブの前に「隕石直売所」にいき、王子も大石さんのライブにくる、という流れ星みたいな日もあった。
ふたりとも「宇宙人👽」のような気もするけど・・

「令和」になり「隕石直売所」は銀座に移った。♪あこがれ~の銀座  しかも4丁目。
「いちげん」さんが、看板を見て「買おっ」という感じのものではないが、「銀座に買い物にいくついでに・・」
とか「歌舞伎を見た足で・・」とか、そんな感じでいってほしい。令和をいいスタート、という手ごたえがあるみたい。
今年から来年にかけては、「思いがかなう」スピードが速くなるみたい。
「ついている」と思える人はどんどんついてくる。ついていない?と思う人は、「隕石」を身につけると変わる、かもなんばん。
(ただ身に着けるだけではだめ。その力を信じること)

夜の「順受の会」(論語の会)・・・JJクラブ(りんごの会)・・昨日は飲んでそんな改名の案がでた。
昨日はこの会のメンバーの「銀座ルノアール」のK社長からお中元にと「上善如水 」のさしいれがあり、
それを飲みながら談論風発。「上善は水の如し」(水はやわらかく、相手にあわせ形をかえ、上から下に流れる)は
老子の言葉。

先週あった「3人の松」のひとり、まっちゃんも銀座4丁目に店を持つ会社の社長である。
これまでの「ぼくの銀座」は、骨董屋やギャラリーめぐりが中心だったが、ふたつ寄り道先ができた。

「令和の運気」をあげたい人は「銀座 隕石直売所」を検索して、遊びにいってみるといい。

今日は「書の会」
明日は「貸し切り音楽祭」

月曜の朝は卵かけごはん

毎週月曜日の朝は「卵かけごはん」だ。「能登休み」以外の月曜日(祭日も)は
8時から10時までやっている。
ときどきお客さんに「月曜日だけですか?」と問われる。月見・・・卵を月にみたてて
そのように命名した古人の風流さを継承して、月曜日のみ、卵かけごはんをだす。

卵は八郷の「暮らしの実験室」から調達。若い農業家たちが、一生懸命無農薬野菜をつくり、
その野菜を餌にして、ニワトリと平飼いにしている。今週は猛暑のせいで卵を産まない♀が多く、数がすくなかった。
これも自然だ。
最近、牛や豚も、昔ながらの自由に放牧させながら
「ストレスフリー」な環境で育てる古式放牧に振り子がふれている感がある。「朝霧高原放牧豚」で検索。よくわかる。
そのうち、「町全体が病院」みたいな都会の生活から解放されるように、田舎暮らしをしながら
牛さんや豚さんやにわとりさんみたいに「自由に生きる」ような生活スタイルに人間さまたちも
なる日も近い?
能登の里山を借景に、実る穂の淡い黄金色の棚田の風景を一度見ていただきたい。
我々の先祖さんが「瑞穂(みずほ)の国」といった意味がわかる。

今日の夜は「順受の会」
四半世紀近く続く「論語の会」 松田先生は還暦を5年くらい過ぎたけど、
相変わらず酒豪である。彼の先生で九州大学の名誉教授やった岡田武彦先生も
生涯酒を楽しみ、とくに晩年は「年を重ねるにつれ、酒の味わいが深くなってきます」といわれていた。
最後に渋谷の居酒屋で同席する縁をいただき、その時に笑いながらいったその言葉が
酒を飲む時、ときどき脳裏にうかんでくる。25年というと、「633」の二倍を超え、
小中高の倍の年数をいっしょに焼酎を飲んでいる計算になる。ある意味ギネスではなかろうか?

明日は「書の会」
明後日は「貸し切り音楽祭」

芸術の秋

昨日は、少し猛暑もかげり、開店から回転すしのように、くるくる回って
3時過ぎに蕎麦が売り切れた。
その3時くらいに、天真庵を改装してくれた中西組の人たちがそばを手繰ったり、酒
を飲んだりしてくれた。

界隈は、東京オリンピックや、近くに大学と専門学校ができる(これも来年のオリンピックイヤー)
ができる余波で、長屋など古い民家が壊され、今どきの建売とかマンションとかにかわっていく。
一度壊されたものは、元にもどらない。そんな当たり前の摂理を無視したような「時代の流れ」がある。
それも「自然」といえばそれまでだが、どう考えても、合点がいかない今日このごろ。

彼らは、なんとか長屋や古民家を改装して、仲間たちの「アトリエ」や「カフェ」や「住居」や「ふれあいの場」みたいな
もんをつくって、この町らしさを残そうと、頑張っている。

夕方陽がかげったころ、若いピアニストとフルーティストがリハーサルにやってきた。
こんどの水曜日に、彼らのライブがある。天真庵始まって以来の30名(二階まで使う)のお客さんが集まった。
おのずから、ふたりのアーティストも気合が入っている。

その後は「ゆるゆるよが」
よがった後の蕎麦は美味い・・・らしい・・

9月1日(日)弾き語りシャンソン ライブ

演奏:上原英里(唄&ギター)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

21日(土) 吉良 剛ギターコンサート

演奏:吉良 剛(ギター)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

26日(木) 赤須バーライブin天真庵

演奏:赤須翔(ギター・蕎麦打ち)・バロン(ウクレレ他)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

珠洲焼のイベント

能登の先端の珠洲(すず)に「舟あそび」という素敵なギャラリーがある。
先々月の☂の日に、農作業用の長靴を履いてお邪魔した。
銀座や青山のギャラリーなら「入場お断り」必至だが、
美人の女将が「どうぞ」といれてくださり、お茶まで
ごちそうになった。青山や銀座のギャラリー以上の器(キャパ)もある感じ。
お茶に使う「茶巾」(ちゃきん)をレストランやカフェででてくる白い袋に
入った濡れたおしぼりで見立て、それを入れる茶巾筒はガラス作家の小さな筒型のもの。

「さすが」と感心しながら、話をしていくと、共通の知人が、芋づる式にでてくるでてくる。
陶器を飾る衣桁(いこう  珠洲へいこう ではない 着物を飾る道具)は金沢出身の般若くんがつくったもので、
天真庵でも展示会がある時は同じものを設えて棚にする。無駄のない縁で繋がってる感が強まる。

昨日は舟あそびさんから「珠洲焼」のイベントの素敵なパンフが届いた。

渋谷ヒカリエの8F  で9月18日から29日(中世日本海・黒のやきものグラフィック)
珠洲焼資料館      10月5日から11月10日(中世・日本海に華ひらいたやきものの美)

こうゆうものは、一生のうち何度も経験できるものではないので、できたら梯子をしていただきたい。
時空の違う世界をいったりきたりすると、きっと「悟りの境地になる」
詳しい問い合わせ先   珠洲焼プロジェクト2019 
東京 坂井編集企画事務所 03-6691-9152(坂井・田中)
珠洲 舟あそび    0768-82-3960(舟見)

その足で「鈴木大拙記念館」や「西田幾多郎記念館」・・・禅の街「門前」あたりの夕陽を見ながら
瞑想したりすると、普段自分がどれだけ迷走しているかがわかるかもなんばん。

それに付随して、いろいろな催しがある。
もう満席かもしれないけど、半澤鶴子さんの「名残りの茶事」もある。
ぼくのお茶の「お弟子さま」5名も参加する。(10月26日)  (25日は「お菓子つくり」 27日は半澤鶴子講演会 ) 

今日は「ゆるゆるよが」  先生のかすみちゃんも茶事に参加。
秋は「珠洲焼」と「茶」三昧な能登を楽しむ季節。「茶経」というバイブルがこの世界には
あるが、さしずめこちらは「茶狂」か。

9月13日のお昼  志賀町の「寒山拾得美術館」にて、煎茶会をやることになった。
般若くんのつくった茶櫃に、縄文ドリポット、久保さんの茶碗、角居(金沢出身)くんの錫(すず)の茶たく
などが忍ばせてある。これで「珈琲点前」をやってみようと思う。

高校野球が終わる

能登にいる時、散歩をかねて徒歩20分(途中に棚田があったり、神社があったりして寄り道するので、
往復一時間以上は歩く)の酒屋さんにいく。
そこで能登ワインやビールや酒などを調達する。ちょうど甲子園のベスト8が決まる
星稜の試合を観戦していた店主が「優勝するかもしれんわい」と上機嫌でオロナミンCを
飲んでいた。

彼は現役時代は千葉で過ごし、定年後に能登にもどった、いわゆるUターン組。
「千葉の高校も応援するけど、やっぱり石川に力が入る」とのこと。
ぼくも能登に住民票を移したので、これからは石川を応援するかもしれない。なんとなく新しい気分。

昨日は昼間に買い物をしていると、肉屋のおやじが高校野球の決勝を見ていた。
ちょうど3回に逆転のホームランを打たれたシーンだった。星稜のピッチャーも
少し疲れているな、という感じだった。どちらのチームも全力をつくし、優勝と準優勝になった。おめでとう。

夜は北九州市立引野中学校の演劇部の同窓会。
4月にも、まったい、まっちゃんと、のんちん(ぼく)の三人で横浜で飲んだ。
昨日は、すえくんも参加して平河町の居酒屋で一献。すえくん、こと末松くんは外交官から政治家になった。今は北方問題に関する特別委員会委員長
として、尽力している。みんないいおっさんになったけど、時々あって飲むと、こころはあのころのまんま、「青春」だ。
あらためて、3人と名刺を交換した。松崎、松下、末松・・・半世紀くらいの竹馬の友に「松」が、を発見。

禅語に「古松は般若を談ず」がある。味わい深く、古色のついた松の盆栽を愛でながら、酒を飲んだ気分になった。感謝。

今日は「おんなかっぽれ」・・

昨日の夜、正確には本日の深夜、東京にもどってきた。

大都会・東京から、能登へ向かう時は、だんだん自然の豊かなとこへ移動する・・
という感じ。たぶん里帰りをする人たちも、同じような感覚やと思う。

反対に能登で10日くらい過ごして、東京に戻る時は、富山の街なんかがが「大都会に見える」(富山の人には申しわけないいいかた)
。まだ金沢にはいっていないけど、宗像までかえって、わざわざ人の多い博多の街へはいきたくない、と同じような感覚で、能登に住むと
金沢が「まぶしい」。
長野を過ぎて、群馬の富岡あたりにくると、やはり大都会にもどってきた感が強まり、だんだん町の灯りもまぶしくなり、
トラックの数も増え、ナビの住所が埼玉に入ると、「また都会での生活がはじまる」と気合が入り、首都高からスカイツリー
の姿が見えると、まな板の鯉のような状態になる。

朝飯前にビンカンなどのゴミを捨て(さすがに営業していないので少なし)、香取さまにお参りしながら散歩。
当たり前だけど、ひとが多い。その間に知っている7か8人に挨拶。その他すれ違う人は数えれれない。
昨日の朝は、志賀町で「燃えるごみ」を出した。ごみを出す間にあったのは、じいちゃんとばあちゃんと
ハクビシンの3人(ふたりと一匹や) 

「東京と能登の二股暮らし」・・・ただ二か所をいったりきたり・・・の簡単な生活、だと思っていた。
でも今月に北國新聞が「能登と東京のデュアルライフ」みたいな記事を書いてくれ、それを読んだ
テレビ局が取材をしたい・・しかも二社・・・・・・・とのこと。

東京に向かう高速道路の助手席で、テレビ局の人と電話で打ちあわせをしていると、運転している筆子さんが
「どこで暮らしても、おっかけられて、幸せな人やね」とポツリ。
自分的には、もう何十年も「竹林の隠居人」のような心境でいるのだが・・・

今日は「おんなかっぽれ」    

残り物には福が・・・

昨日は京都から織田流煎茶道の先輩夫婦が遊びにこられた。
金沢までサンダーバードにのって、そこからレンタカーでこられた。
煎茶は日常茶飯になっているので、玄関のテーブルに座ってもらって
「ほぼぶらじる」の「れーこー」(今は関西でもそうはいわないらしい  訳・・冷たい珈琲)
がウェルカムドリンク。

能登半島は発酵半島、といわれる。縄文時代から「イルカ」や「魚」を主食にしてきた
場所なので、それらの保存の文化がおのずから発達した。イシル、といわれる魚醤は最たるものだ。
「なれずし」というのもこの地から生まれたもので、今の鮨の原点みたいな食べ物。
昨日は「なれずしの名人ばあちゃん」にもらったアジのなれずしを酒肴に、酒を酌み交わし談論風発。

お茶の仲間と話だすと、茶・花・お菓子・掛け軸・建築・・・共通の話題に尽きない。
食事の後は、煎茶。お茶うけは、隣の畑でとれた自然農法の「すいか」。粋、という風情。

夜は「梅茶翁」の三輪福さんがきた。
冷蔵庫の中の残り物で、サラダやガレットをつくり、ほぼぶらじるの暖かいのん、で夕食。
三輪福さんと残り物で夕餉。まさに「残り物には福がある」だ。

今朝は朝から☔。朝からなんだけど冷蔵庫の残り物のカレーがあったので、それを食べ、
となりのおばあちゃんがくれたナシとスイカがデザート。
それらをゴミ袋に入れ、町指定の「燃えるゴミ」の赤いシールをはって、ゴミ置き場に・・・

この一週間は、「泳」での「おまかせ定食」(1500円×2人)と、徒歩25分の酒屋で買ったビール6本
1300円。一週間の食事代4300円也。

ご馳走とは、畑に走っていき、献立を畑と相談することをいう。畑の先に走ると海がある。
「庭付きの家」が日本人の長いあこがれの住居やけど、もっと目標を大きくもって「海付きの家」
にしたら、「ゆたかさ」の質がかわる。能登にはそんな家が、いっぱいあるよ、ほんと。

象印の保温ジャー

今日は「本」とかダンボール、小型家電を回収してくれる日。
東京と違って、分類が細かい。人口が違うし、焼却炉の性能が違う。

納屋の中に、おじいちゃんたちが大切に残してくれた「象印の保温ジャー」
があったので処分した。新品同様だけど、ごはんは土鍋で炊く、を基本にしていて、それで炊くと冷えても
うまいので、「保温・・」はいらない。テレビでも宣伝していたし、一世を風靡した家電。

この家を建てたおじいちゃんは船乗りさんやった。納屋にはそのなごりで、寅さんみたいな皮のトランクも
大切にとってある。押上文庫ちゃんが「これから旅することが多くなりそうなので、それよかったらください」とのこと。
なんとなく彼には似合いそうだ?

今日は京都と能登から二組の「お客さん」の電話・・・
「寒山拾得美術館」・・・鳥になってしかこれないような辺鄙なところにあるけど、千客万来だ。

石川県には、鈴木大拙先生、西田幾多郎先生のふたりの哲人を輩出したとこ。
どちらも「記念館」がある。うちの小さな美術館も、おふたりの「哲」を少し
感じられるような工夫を施してみた。

京都にいくと、襖や屏風や茶室の掛け軸なんかに「寒山拾得」を発見することが多い。
「あ、カンザンジュウトクだ」と、いうだけで、何かモノシリか博識?になった気分
になるけど、その実、その内容がよくわかっていない場合が多い。

「こうこうこう」と説明すればするほど、話すほうも聞くほうも、真理から遠ざかる。
「禅」とか「哲」には、そのような性質のものが多いのかもなんばん。

大拙さんは、西田さん宅で禅はこうゆもんだ、といって卓子(テーブルのこと)をガタガタ動かされた。
後日西田さんも禅はこういうもんだ、といってガタガタ卓子を動かした、という逸話が残っている。
「不立文字」(ふりゅうもんじ)とは、そうゆうことなんだろう。

9月1日(日)弾き語りシャンソン ライブ

演奏:上原英里(唄&ギター)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

21日(土) 吉良 剛ギターコンサート

演奏:吉良 剛(ギター)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

26日(木) 赤須バーライブin天真庵

演奏:赤須翔(ギター・蕎麦打ち)・バロン(ウクレレ他)

19時開場 19時半開演  ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)