ちーっと散歩

昨日は、山菜の天ぷらがうますぎて、「常きげん」を飲みすぎて上機嫌。

今朝は鳥の声に起こされて散歩。徒歩165歩の海にいく。
少し風が強くて、じいちゃんたちも海を眺めているだけで、伝馬船は港に停留中。

近くに棚田がある。「大笹浪棚田」といって、棚田百選にも選ばれたとこ。
そこからは、里山と里海が見え、棚田には田植えされたばかりの小さな稲穂が凛とたっていて、水面に
朝日があたった風景はまさに「人生の楽園」そのものだ。飲食店やコンビニや商業施設の看板もない、
ないないずくしの田舎だけど、「ゆたかさ」に満ちている。東京から車で能登にこられる人がいると、
ここで待ちあわせをする。「寒山拾得美術館」にこられる人もそんな感じ。

田舎で暮らしているじいちゃんばあちゃんは、朝から畑をやったり、山菜とりにいったり、
海に伝馬船で漁にいったり、よくはたらく。
でも「働いている」とか「こんなに働いているのに給与(もっとも給与制じゃないが)が少ない」
とか思っていないし、ここはブラック企業だとか、ブラック部落だ、とかきっと思っていない。
自然によりそうように暮らし、自然の恵みに感謝しながら毎日を過ごしている。

東京にいるとまず「お金」に換算する習慣が優先する。そして人生のものさしも「あの人はお金持ち」
みたいな基準で判断したりする。お金持ち、というのは、お金を有効に使えなくて、だぶついている人たちのことをいう。
「何に使ったか」とうのが大事じゃない。どんなに美田を残しても、残された人たちの争いごとの種になるだけだし、
相続する人がなければ国に没収されるだけだ。「なにしてお金を残したひと」よりも「なにをやろうとしたひと」のほうが富貴だ。
もっと極端なこといえば、「100年後は、いま生きている人は誰もこの星にいない」
そうすると「今やること」の優先順位がはっきりしてくる。

東京からもってきた「そばかす」でガレットを焼いて、珈琲飲んで、これ書き終わったら畑仕事。
散歩しながら農業の師匠の「マツキヨさん」にショートメール。
「大豆を植えようと思っているのですが、コツは?」と一行。
数秒後に電話がかかってきて丁寧にコツを教えてくれた。こんな友達がいると幸せいっぱい。
「いい友達」がいると、人生はゆたかになる。いい友達をもつコツは、「自分がいい友達になる」ことだ。
いつもそんなことを自分に言い聞かせながら、「悪い友達」の代表選手みたいなぼく。

今日の夜は「ライブ」。
「松尾栗園」の女将さんに「どうですか?」とさそわれ、内容も場所もきいていないけど、「いいね」
のノリでいってくる。
天真庵のライブは5月はお休み。6月には、素敵な若者がギターかかえてやってくる。
「松尾栗園」さんのブログは、おもしろい。東京や都会で「これからどうしよう。。。ボリボリ」なんて
している人には、ぜひ読んでみてほしい。