今日もお店の前の落ち葉を掃く。ぼくも寒山拾得の修行中。

いい天気が続く。
連休中は、地方に移住した人や、仕事で移転した人など、遠くから懐かしい顔を見せに
くる人が多くて、「友の遠方よりきたる またうれしからずや」な気分だ。
先日は神戸からそばのお弟子様が家族できてくれた。話がはずむ。美人の奥様は
伊予美人の血が流れている。書家であるおばあちゃんが、今治西高校の卒業生。
一度天真庵にこられ、二階の南條さんの寒山拾得(かんざんじゅっとく)を熱心に見ていた姿が懐かしい。
まだ女子高だった時代の才女さん。そこの一期生に渡辺さんという素敵な女子がいた。

若い時に旦那さまと死ぬ別れ、今治に「城山画廊」をつくった。今年卒寿を迎える
南條観山先生の最初の個展は、そこでやった。さすが正岡子規がでた土地であるので、ばあちゃんは
地元の俳句会のい審査員などをしていた。卒寿を超え100歳近くまで現役で画廊の店主をしながら
人生を全うした人だ。お金では買えない、貴重な「ゆたかさ」をいろいろ教えていただいた。

今治は「タオル」の町でもある。
インターを降りたら、「タオル美術館」なる看板がある。
そこで今、南條先生の「回顧展」をやっている。90歳で矍鑠としておられるが、
ま、「生前葬」?みたいなものかな?天真庵でやっておられたころも、一期一会で
「今年が最後」という気持ちで10年やった。ニューヨークにもふたりで、殴り込み個展?
をしにいった。ずっと住みつこうか・・?とふたりでバーで飲みながら笑ったことが昨日のようだ。
来週あたり能登からふらりと、見にいく予定だ。四国は「詩国」。文人たちが歩いた
道をお遍路さんみたいに巡る旅は風流そのものだ。
天真庵で「ほぼぶらじる」と人気を二分する「黒豆茶」も、愛媛の農業家につくってもらっている。

じっと寒山拾得の絵を見る。絵のほうもこっちをじっと見ている。
見る主体と客体は、実は同じではなかろうか。
東大をでて、米寿近くまで骨董屋をやっていた主人に教えてもらった哲学。

「楓橋夜泊 」(ふうきょうやはく)という寒山寺がでてくる張継の有名な詩がある。

月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘聲到客船

華僑の試験に落ち、客船で落胆していた時に、寒山寺の鐘がボーン、と鳴った。
その瞬間に「寒山拾得だったら、試験に落ちたくらいでくよくよせずに、笑っていたのではなかろうか」と悟り、
この詩が生まれ、世界的な詩人になった人だ。

踏み外したら また踏みなおせばいい
ころんだら また起き上がればいい
道に迷うたら 信じる道をまっすぐ歩いていけばいい