♪冬が来る前にもう一度あの人と・・

昔そんな歌が流行った。

先日、冬が来る前に、と思い立ち「ペレットストーブ」を導入し、柱時計の下に設置した。
試運転に火入れをした。廃材を粉砕し乾燥させ、小さな塊の木片、まるで猫砂のような
形状のペレットをストーブの上の蓋から入れ、スイッチをオンする。5分くらいすると、ペレットが自動的に
数個づつ燃焼するところにパラッパラッと落ちてきて、赤い炎をだしながら燃える。まさに♪冬がくる前に・・

薪ストーブやペレットストーブは、炭火や太陽熱と同じような「輻射熱」(ふくしゃねつ)を利用する。
遠赤効果で、その間の空気その他の気体の存在に関係なく、 直接電磁波の形で伝わる伝わり方を輻射熱という。
昔から焚火や囲炉裏の炭に人が集まってくるのは、自然に近い「ぬくもり」があるからだ。

「徒然草」の時代から、「家の作りやうは、夏をむねとすべし」とある。 この後に「冬はいかなる所にも住まる暑き頃わろき住居は堪へがたき事なり」と続く。
でも、能登に暮すようになり、真脇(まわき)の縄文住宅をたてるお手伝いをした時、「ちょっと、ちがうんじゃない?」と縄文人の声がした。
完成した縄文住宅で、煎茶を入れることを許され、三輪福さんと「縄文茶会」をした。家の床はそのまま大地。そこに穴をあけ火をつけ暖をとったり、
縄文土器で調理をしたりする。柱は木、屋根は草。日本の住宅の基本は「木」と「土」と「草」だ。
この風土で「気持ちいい」を実現するには、このあたりにヒントがある。そして、夏だけでなく、いや冬の寒さを「むね」としなくてはいけない
時代のように思う。いつまで化石燃料や原発を必要とするの?天真庵のHPの「のむら暮らし」に真脇の写真がある。

標語として、「エコ」だの「地球環境」だの「持続可能な生活」などといいながら、メラミン化粧板や、新素材を
つかった「気密性の高い家」に住み、電気・ガス・水道を湯水のごとく使う暮らしの中で生活している矛盾。

人も家も「持続可能で健康的なくらし」をするのは、薬にたよる医療、薬剤をつかった建材で寒さや暑さをしのぐのではなく、
自然とよりそいながら「調湿」しながら暮らすほうに、シフトする必要があるように思う。「呼吸する家」「腐る家」が大事。
天真庵の天井には、和紙の座布団みたいなものがぶら下がっている。「炭八」(すみはち)という。デザインは友人の藤井名人
がつくった。山林の木々は、手入れをする人(間伐)がいないので、危機に瀕している。その間伐材を炭にして、和紙の
座布団にいれたものだ。昔から家をたてる時に、土地に炭を埋めたり、水をためる甕(かめ)に炭を入れて浄化したり、
日本人の暮らしには「炭」がかかせなかった。
「炭八」は出雲の知り合いの会社がつくっている。40万個以上でているらしいが、一番需要が高いのは、東京のマンションと建売住宅だとか・・

能登の冬の寒さ対策のため、薪ストーブとか木材のボイラーとか、いろいろメーカを訪ねたり、導入しているお店
にいったりして研究した結果、「まず、東京の天真庵にペレットストーブをおいて、実験してみよう」
という結論になった。「二股暮らしはいろんな副産物をいただく」

朝は具沢山の味噌汁と土鍋でたいた米を喰う。漬物は「うめ星」入りの糠味噌でつくったものや、自家製の梅干し。
食後のデザートは「はったいこジュース(もしくははったいこヨーグルト)。
夏はなるべくクーラーに頼らず、汗をかいたら、梅シロップジュースで「クエン酸」を補給。季節季節の旬のものを
なるべく食べる習慣をつけ、冬はペレットストーブの炎を見ながら、家族で食事をしたり、お茶を楽しんだり、
縄文ドリポットをそこにおいて珈琲タイムにしたり、鉄瓶で熱燗をしたり・・・・無限だ。
都会で生活していても、炭をおこしたり、消したりする訓練をしとくと、田舎暮らしをする時に「昔とった杵柄(きねづか)」になる。

宇宙人はイチゴも好き?

なんどか紹介した「UFOとローマ法王、そして自然栽培」(高野誠鮮著 )
の、自然栽培のところに、無農薬・自然栽培でリンゴをつくった「奇跡のリンゴ」の木村秋則
さんの話がでてくる。能登と羽咋市は、UFOと木村さん指導の自然農法で「まちおこし」に成功した。
木村さんがUFOに連れていかれた話も、その世界では有名なお話。

昨日は「おんなかっぽれ」やった。二階で元気な「かっぽれじょ」たちが、♪あ、かっぽれ
かっぽれ・・・と元気に踊る。ぼくは典座のように下でそば会の準備をしながら、かっぽ酒?
その時に電話が・・・・「隕石屋のオヤジですが・・・・さしあげたいものがあって・・・」
「ええよ。今かっぽれ中やから・・・」と答えてすぐに箱をかかえた「王子さま」がやってきた。
UFO「イチゴ狩りにいったので・・これどうぞ・・・」ぼく「UFOにのって?」UFO「いや、車で・・・」

どうもこのイチゴも自然農に限りなく近いらしく、自然な土の味がした。
ちょうど、「骨董ハンター 南方見聞録」を読んでいた。
第9章が「月の石」 そのまま引用すると

 フィリピンには多くの隕石が降っている。それらは黒曜石のような石質で、丸型や棒状をしている。
激しいスコールの後、隕石は表土の現れた畑にポツポツと現れる。NSAもこの石の研究をし、
6500万年位前、月に大隕石が衝突し、それが隕石になって東南アジア一帯に降り注いだ、
ということが判明した。
 ルソン島バタンガス地方には面白い逸話が残っている。激しい雷鳴とスコールの後に隕石
が発見されるので、それは神の弾丸だというのだ。地上では窺い知ることができない神々の戦の弾
が地上に降ってくると信じられている。・・(略)それでこの大地を震わせるエナジーをもった隕石をもっていると、雷や災難にあわない、
という信仰が生まれた。彼らは災難除け、雷避けのお守りとして発見した隕石を小さな袋にいれ、首からぶら下げている。

なかなか神秘的でロマンのある話だ。
隕石屋さんは、押上から東銀座に移ったけど、次は能登あたりから宇宙に羽ばたいてもらいたいものだ。
イチゴは宇宙人に負けないくらい元気な「かっぽれじょ」たちとワイワイいいながら食べた。感謝。

 

風かおる五月

香、薫、馨・・・風興な言葉だ。

昨日は猛暑もやわらぎ、季節はずれのクーラーをかけることなく、
窓をあけっぴろげて、営業をしていた。

夕方、古希はとっくに過ぎたとおぼしき婦人が、にこやかに入ってきた。
「そばとアイスコーヒーのセット  ミルクはいりません」といってニッコリされた。
 「前から気になっていたけど、思い切ってくると、能登休み、だったり、定休日
だったり・・・死ぬ前にこれてよかった」とポツリ。
重たいポツリだ。

「ようこそ、おみえくださいました」と挨拶すると、「今日はお店の窓から聞こえる
ギターの音に背中をおされました」とのこと。
成川さんの新しいCDだ。

いろいろ世間話をした後、おばあちゃんは家路に向かっていった。
「書」の会の食事の用意をしていたら電話。
「ナルカワです。今仕事で東京・・これからいって蕎麦を手繰れます?」
不思議なシンクロニシティー。

はじめて、ご夫婦でこられ、奥様とはじめてお会いしたけど、ずっと四半世紀、か、
半世紀くらい前から知り合いのような気がした。
しばらく談論風発していると、「書」のメンバーたちがやってきた。
その中のふたりは、先々月の成川さんのライブにこられたので、「やあ・・」という感じだ。

そんな感性をいつも磨いている仲間たちがたくさんいて、毎日にぎやか。
今日の夜は「おんなかっぽれ」いつもぼくだけが♂で、女子会をのぞかせてもらってる気分。

6月は、若い風みたいなギタリストが天真庵デビュー。残りの席もあとわずか・・

15日(土)仲内拓磨ギターライブ

演奏:仲内拓磨(ギター) ゲスト=Kyouko(ヴォーカル)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

満つまめの会 閉会式

昨日は「満つまめの会」の千秋楽。3年くらいやったかな。
最初は、ぼくが五十肩になり、常連さんから「目が悪いけど、
すごく上手な気功整体師がいる」と紹介されて、まーくん
に整体を受けるようになった。

すぐに良くなり、しかも長年の「猫背」もよくなり、かっぽれの先生や生徒たちも
「すごい」ということになり、全員が受けるようになった。口コミで、遠く
から通ってくる人も増え、重い病気の人も軽くなったり、治癒したり、いろいろな
人を救ってきた3年。

今年になり、自身の目が悪化し、先月手術をしたけど、片目の光を失った。
お店のとこまでたどり着ければ、「勝手しったる我が家」よろしく、階段も
トイレもらくらくいける。でも自宅の向島から歩いてくる「道」が危ない。
とくに最近は、自転車が車道を走るようになり、信号無視やスピードが速い自転車が多くて危ないらしい。
そんなわかで、惜しまれながら、昨日で緞帳をおろした。
生きていくだけでも大変なのに、ほんとうに大きな修行をされていなさる。

今日は「書の会」 明日は「おんなかっぽれ」

今日の日めくりカレンダーの言葉がしみる

試練は 鞭ではない
愛なのだ 慈悲なのだ    真民

ビールで功徳?

まだ5月だというのに、真夏のような猛暑が続く。
やはりなんといっても枝豆とビールがほしくなる。

今月のはじめに大豆の種を蒔いた。種の袋には種まきは6月から7月
と書いてあった。枝豆は知らない人も多いと思うけど、大豆の若い豆である。
少しはやめの種まきだったけど、夏はそれよりもまだ早く勝手にやってきた感じ。
今は冷凍の枝豆など、季語を無視した食材だらけだけど、「季節のものを食べる」
というのは、体にとっても大事だと思う。

昨年からビールをやめて、白ワインや焼酎を炭酸で割るようにしている。
それだけで、夏のビール腹をだいぶおさえることができる。
もちろん、友達んちなどでだされたら、一杯くらい飲むけど。
ビールは高校くらいから飲んでいたけど、そのころ都市の商業ビルやデパートの屋上
はみな「夏はビアガーデン」みたいやった。
昭和のあの時代は、「喫茶店」や「ビアガーデン」にいくのが、なんであんなに楽しかったんやろ。
今より貧しい時代やったけど、みんな「夢」を語りながら生きていけた時代やったんだろう。

加川良の「下宿屋」というのがある。京都にあった高田渡の下宿屋が舞台らしい。
貧乏しながらも、二度とない青春を謳歌しているようで、ときどき「ゆーちゅーぶ」で聴く。

昭和50年はじめ、京都・仁和寺の近くに、ひごもんずが一階ずつ3人住んでいる古色蒼然とした3階建てのアパートがあった。
一番最上階の稲盛君の部屋は、6畳の間がよっつ、田の字になっていた。広いので、みんなの「たまり場」になり、
よく徹夜で酒を飲んだ。
♪三畳ひとまの小さな下宿・・・ではないけど、3畳か4畳半ひとつがそのころの学生のだった。

ある日の昼さがり稲盛くんから仕事場の喫茶店に電話があった。「さきほど、河原町のビアガーデンで東京からきた女子大生を3人ナンパしたばってん
、どげんしたらよか?。今晩うちで飲むことになった」とのことだ。
「とりあえず、銭湯にいって体をきれいにしたら・・・」と答えた。すぐに下宿生3人で銭湯にいったらしい。近くの友人も
なにかを期待していっしょに銭湯にいったとか。
仕事が終わって、車を走らせ、仁和寺の近くの彼らの下宿を訪ねた。
普段は熊本の焼酎「六調子」など、少し匂いのきつい焼酎を、パンツ一丁で飲んでるやつらが、襟付きのシャツ
なんかきて、きどってビールを飲んでいた姿を見て、ふいに噴出したくなった。

東京のシティーガールズたちと、京都の山猿のようなバンカラな男たちとは、なんのロマンもおこらず、
「あの夏の日」にも「夏の日の恋」にもならなかったけど、ときどきビールを飲むこの季節になると、
「あの日」のことを思い出して、ついニヤリと思い出し笑いをすることがある。

今日は「順受の会」。四半世紀続く「論語の会」
先生は「よかにせどん」のかごんまの人。肥後もっこすと同じく、気骨ある人らが多い。
みんな最近は酒量も減って、静かに飲むべかりけり、の境地に達する感があるけど、
始まったころは、みなハチャメチャだったような気がする。飲んで口論になる、は茶飯事。
ときどき殴り合い、というようなシーンもあった。♪それも これも青春!

月曜の朝は「卵かけごはん」
二階は「満つまめの会」

明日は「書をしようかい」

名古屋でそばを手繰るなら・・・

昨日の朝、携帯がなった。
「ふ~助」からだ。名古屋の動物園の近くに、「そば切り ふ~助」という蕎麦の名店がある。
開店が2007年の春で、天真庵と一日違い。無駄のない縁でつなっているようなお店だ。
電話にでると、女将さんの声で「今日、うちのアルバイトだった〇〇子が、天真庵に
そばを手繰りにいくそうなので、よろしく。金沢出身で美人でいいこ」とのこと。
まったく、そのまんまな、加賀美人がカウンターでそばを手繰りにこられた。

尾張名古屋は城で持つ、という言葉があるけど、「蕎麦屋はかみさんでもつ」
と昔から言われる。そもそも蕎麦屋のおやじというのは、少し偏屈や頑固な男
がやっている場合が多い。気にいらぬお客に対しては、「二度とくるな」
という顔をしているし、はっきり声に出したりする主人もある。
そんな頑固親父の酸性気質を中和してくれるのが、女将さんの役割だ。

先週もその女将が天真庵にくるなり、ピアノの上に飾った花を見て
「シャクヤクきれいだなあ」と独り言のようにつぶやいた。
知ったかブッタの場合は「ねえ ねえ これシャクヤクでしょ~ 私花を習っているからわかるの ボリボリッ」
となる。百年の恋も、ちょっとした知性も台無しになる。花に関心のない人よりましだけど・・

「立てば芍薬(シャクヤク)座れば牡丹歩く姿は百合の花」
美しい花を形容しているのではなく、所作、つまり立ち居振る舞いの美しさを表わしている。

名古屋といえば、「エビフライ」や「味噌煮込みうどん」が主流だと思っている人が多い。
いやいや蕎麦が美味い店もけっこうある。「ふ~助」にいき、蕎麦を手繰ってみると、
「なるほど」と合点がいくはずだ。カウンターでふ~助と談論風発しながら飲む時間は格別である。
旅先で美味い蕎麦屋の出会い、そこの地酒でそば前をやる。そんな至福なことはない。

今日は日曜日なので16時閉店。それから「蕎麦打ち教室」
今日のそばもんくんは3年選手。「そば切り ぷ~さん」なる看板を
掲げる日も近いか?ここのかみさんも美人で器量よしだ!
二階では「満つまめの会」だ。

♪みなと 横浜 気仙沼・・・

森進一の歌にそんなのがあった。

天真庵がはじまったころ(平成7年)、南條先生の家がある今治に寄り、八幡浜からフェリーにのって
別府に渡り、福岡の実家に帰る、という里帰りをよくやった。八幡浜にはトラックもいっぱいあり、
「四国のさいはて」という旅情がよかった。しかもそのころはチワワの元気がいて、客室には入れなかった
のでゲージに入れてデッキに座って、海を渡った。冬の寒いときは、元気をゲージからだして、バスタオルに
くるんで暖をとった。さながら「命からがら」の帰国船のようだった。
今は吾妻橋にある「塩パンや」さんが、八幡浜にあり、その店を中心ににぎわっている。

昨日書いた「伊予水軍」たちが基地にした港が松山の近くにある。「三津浜」という。
河野水軍などの伊予水軍のころからにぎわい。藩政時代には海運の要所として栄えた。坂の上の雲の「秋山兄弟」も
「正岡子規」も上京する時につかった港である。江戸時代から続く古い町並みや明治のモダンな洋風建築など時代を超えた建物が混在していて、最近は若者たちが町のあちこちで古民家をリノベーションしたショップやアトリエをオープンさせている。近所にいる「おっさ」や「ぬすみぐい」くんたちもときどき、遠征してイベント
に参加する。今回はじめて「三津浜」に立ち寄った。ひと時代を超え、置き忘られた感がある街が、若い人たちによって蘇る。そんな街が好きだ。
中国人観光客の騒音もなく、ゆっくり散策できるところ。

昨日は「ダメから始める中国語」だった。ぼく以外は女性。しかももみな健啖家で酒豪ぞろい、ときている。
昨日は「電気ブラン」の差し入れがあったので、四国の冷えた「はだか麦茶」をチェイサーに飲んだ。
誰かがトイレにいって、「真民さんの日めくりカレンダー」にビットがたった。
「真民さん」の説明をしながら、「はったいこ」を試食したら、また盛り上がた。あいにく「はったいこ」は完売で在庫なし。
月曜日に入荷する、といったら、「じゃ、月曜日にはったいこを買うついでに、論語の会にでる」とのたまう女子が・・・
たぶん、酔った勢いだと思う。ちがう会でも、「次の会は、能登でやろう」と盛り上がったけど、みんなまだバリバリの現役だったり、
子育て世代で、「計画練り直し」になった。
「いきなりステーキ」よろしく「いきなり能登」じゃ、大変だからゆっくりいこう、と返事をしたら、「密かに抜き打ち能登を計画中」
とメールがかえってきた。どの会も「女子が元気」だ。

本日のトイレのカレンダーの言葉もいい。

どんなに 私を苦しめる人をも
すべてをゆるすまで
広い心を お授けください   真民

四国 詩国 死国のパワースポット

昨日は、四国の南條さんの回顧展にいってくれたMくんが四国の
お土産話をもってきてくれた。あいかわらずのおかま言葉で「四国は楽しかったわ・・」から始まる。

彼は東京の生まれだが、先祖は四国の愛媛。しかも知る人ぞ知る「パワースポット」がルーツだ。
大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の神職の流れらしい。大山祇神社は、しまなみ海道の島、大三島にある神社です。村上水軍など海賊が覇権を握っていた時代に活躍し、古くから武将や朝廷から多くの尊崇を集めた神社だ。源平時代の有名武将や 戦国時代の著名な武将が参拝し、鎧兜の数は日本一。
村上水軍は、壇ノ浦の戦いなどで大活躍した「伊予水軍」だ。今治に「伊予水軍」という食べ物やがある。魚もおいしいけど、南條先生の寒山拾得の絵も飾ってある。

さっそく、地産地消よろしく、四国の「はったいこ」を同じ土地の麦茶と、能登の米飴とまぜ、飴をつくった。
能登と四国のパワースポットの合体飴?(自分でつくった顔しているけど、実は珈琲のお弟子様の料理教室の美人先生がメールでレシピ
をおくってくれた。感謝。)

四国には祖谷(いや、という)という平家落人の秘境がある。「かずら橋」が有名。
ここに旅した時、湯宿で食べた「そば雑炊」がうまかった。天真庵のライブの時にだす「そば雑炊」「精進いなり」の原点。(これもパクリ)
能登にも義経やわらび姫など、源平の物語が残っている。
そんな村には、必ずといっていいほど「そば」をはじめ、石臼をつかった「粉もの」の文化が残っている。

石臼は製粉機がない昔は、女性の仕事だった。母さんや娘が夜なべをして重い石臼をひく。
男は、少し下心もあり、手伝いにいく。石臼をひく棒に手と手があって・・・そのうち違う棒に・・
そんな情緒があった。浮世絵の春画などは、セックスもおおらかな時代の日本人のスケベ遺産でもある。
ネットの中でセックスまでが見られるような時代にはない風情や風土がある。

こんな粉ひき歌が祖谷に残っている

♪嫁じゃ 嫁じゃと 嫁の名をたてなよ
かわいいわが子も 人の嫁よ さーよいよいよ
いや といわずに また来てたもれよ
打って進じょう 祖谷の蕎麦よ さーよいよいよ

男も女も「おれ(わたし)のもの」
なんて思うと、いろいろ争いになる。
家族や子供や家などの財産・・・・みんな「借り物」。必要な時に神様が貸してくれて、必要がなくなればお返しするもの。
ライブや芸術家の個展の時に「わたし、彼(彼女)の熱烈なファンなの」という大きな顔した輩を
ときどき見かける。愚の骨頂やと思う。いいもの、すばらしいものは、みんなで共有する「お宝」だと思う。

今日は「ダメ中」だ。中国語のお勉強。

へちかんだウクレレ・ライブ

昨日は、赤須翔のギター教室。月に一遍ペースで天真庵で「教室&そば会」を
やってくれる。昨日はプラス・ミニライブで、高山からバロンさんが参加。
翔くんは、ときどき天真庵でライブをやってくれる。
最初はギターの井上智さんとやってくれた。
井上さんはニューヨークで活躍したジャズギターリスト。
ぼくと同じ年で同志社大学出身。しかも京都からふねや本店(下鴨神社の近く)
近くに下宿していて、ときどきぼくの珈琲を飲みにきていた。

おなじくニューヨークで活躍した「馬場かずこ」というピアニストがいて、
彼女が10年くらい前に天真庵で初ライブをやってくれた時に、井上さん
がギターを弾いてくれた。その日にたまたま、隣の隣のセシル(ジャズドラマー 2011年の夏 海で昇華)
が通りががり、英語で「なんや、なつかしいな。今日は天真庵でライブか。おれも蕎麦を手繰りながら、クロキリを飲みたい。こんどおれもかててや」
みたいな機関銃トークをしていた、のが懐かしい。

会が終わってカウンターで翔とバロンさんと反省会。
高山出身で「へちかんだグラス」をつくる安土忠久さんというのがいる。
天真庵のビールグラス・ジュースとか昨日は梅ジュースなどを入れるグラスは、安土さん作。
「珈琲韻」(カフェイン)という珈琲焼酎用のグラスもそうで、昨日は3倍づつ飲んだ。

少し酩酊して、ふたりが「天真庵でライブをやりたい」とのたまったので、9月
にやることになった。

井上さん、成川さんのギターは、還暦越えの円熟さとしぶさがある。少し若がえって、
アラフォー前の人たちの溌剌としてギターもおもしろい。

6月も30前のイケメンのギタリストが天真庵初舞台。山梨学園のマラソン選手だった。
元アスリートのギター爪弾く世界は、強さと繊細さが微妙に共鳴していて素晴らしい。

6月15日(土)仲内拓磨ギターライブ

演奏:仲内拓磨(ギター) ゲスト=Kyouko(ヴォーカル)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

なんとかなるさ

今日は全国的に雨模様。
先週、能登町の瑞穂(みずほ)にある梅茶翁の梅林にいった。
今年も小梅が元気に育っていた。梅は梅雨になり、雨に打たれる
ことに大人になっていく。6月末には、梅仕事で東京から梅林ガールズが集合する。
おんなの人が、涙を流すごとに、きれいになっていく、と同じように、神秘な世界。

昨日は、広島と小田原と青森から「リノベーションしてお店をつくり、町おこしをしたい・・隊長」が時間差で蕎麦
を手繰りにこられた」。東京もシャッター通りが目立ってきたが、地方はもっと深刻だ。
能登も移住してくる若者もめだってきたが、家主が高齢化で施設に入ったり、鬼籍に入ったりして、空き家
がめだってきた。さりとて、どこの馬の骨とも知らぬ都会育ちの若者に、賃貸したり、売ったりするのも
「抵抗」がある人が多い。日本ややはり島国であり、村社会でもある。
ここ天真庵のあるうらぶれたダウンタウンの十間橋通りも、立派なシャッター通り。
来年春には近くに大学とコンピュータ学院ができて、若者が増えるハズなのに、何の変化もない。

「町おこし隊」さんたちには、なんのアドバイスもできないけど、「〇〇リゾート」がコンサルして立て直した旅館が、金太郎あめよろしく、
どこへいっても同じ顔してるように、「コンサル」とか「行政」と手を組むと、ろくなものができない気がする。
その土地ならでは、その人ならでは、の「個」が大事じゃないかと思う。苦労はするけど、やったぶんの成果物は
物心両面に残るのではないかしらん。「リノベーション」という言葉も、手垢にまみれた感が強い。それを仕事にしているとこに
頼むと、やはり「金太郎」になる。「もういいかな」と満腹にゲップがでる、ときどき屁をこきたくなる、そんな感じ。

基本的に
「他人と過去は変えることができない。自分と未来は変えることができる」のだ。

「令和」になって、世界情勢も天気や自然災害も、「風雲急を告げる」感がある。
マスコミの情報やSNSの情報やまわりの話などに右往左往することなく、「なにをしたいか」を
腹決めるこっちゃない。
「はらさへきまれば、なんとかなる」もんだ。
「胆」が大事かもなんばん。

6月の梅仕事の前に素敵なギターのライブがひとつ。

15日(土)仲内拓磨ギターライブ

演奏:仲内拓磨(ギター) ゲスト=Kyouko(ヴォーカル)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)