掃除をするじいさんのことを「掃除じー」という

昨日はふたりの「そうじじー」みたいな人がお店にきた。
還暦を迎えたら、人生が一回りくるっと回って、「ゼロ」にもどる。
そこからは「おまけ」のような人生。あまり無理をせず、老子さんみたいに
「無為自然」にいきればいい、と思う。「なにもしない」のではないよ。
「運命や自然にまかせて、生きる」。「行先は風にきいてね」みたいに飄々と・・
その粋を目指すじいさんも「そうじじ~」

「順受の会」という不思議な論語の会が、天真庵の池袋時代から四半世紀にわたって
続いている。そこの幹事をずっとやってくれたSさんが九州にもどることになり、挨拶に
こられた。ぼくが蕎麦を打つようになったころ、群馬の山の中のキャンプ地に誘っていただいた。
ぼくは、そばを持参し、川の水を汲んで、ガスコンロの火に鍋をかけ蕎麦を出した。
そこの山登りのメンバーたちに、山菜の採り方やキノコの採り方を教えてもらった。
今、「能登と東京の二股暮らし」をやるようになり、その時の教訓が生きている。
というか「人生をゆたかにするコツ」を教わった。

今朝の味噌汁は、能登の門前総持寺(総持寺はもともと能登にあった)の豆腐と、能登の家
から徒歩165歩の海で採れた「わかめ」でつくった。
総持寺は曹洞宗。道元禅師が広めた教え。
道元禅師の書に「典座(てんぞ)教訓」がある。箒をもった「拾得(じっとく)」の心得がかかれたある。
昔から、禅林や絵描きが好んで描いた「寒山拾得」 筆と蒔絵を持ったほうが寒山。「寒山詩」を残した。
相方で箒をもったほうが「拾得」。典座(てんぞ)である。寺を箒で掃き、それを台所の火にくべ、
雲水たちの料理を作った。仕事は下働きのようなものだけど、位はたかかった。
つまり「精神的文化力」は、仕事の内容や貴賤とは関係がない、いうことやね。
道元さんも、箒をもった拾得のほうがえらいと思ったので、お寺を「そうじ寺」にしたのだろうね・・?

夕方は「翔くんのギター教室」のお弟子さまが、蕎麦会をやってくれた。
翔くんは、昨日のブログに登場する「香取神社」の「年番」をやっておられる。
簡単にいうと、お祭りの時にボランティアで、もろもろの掃除やまかないを手伝う人たち。
いまでは「年番」といってもみな馬耳東風というか「???」な感じになっているけど。
一度映画の「みこっちゃけん」を見ると、神社のことがよくわかる。
困った時だけ10円玉もっていく場所ではない、ことがよくわかる映画。

昨日の会に昭和29年生まれのギタリストが参加された。「ぼくはアルチュハイマー」と自己紹介された
彼の人生は波乱万丈に富んでいて、抱腹絶倒な蕎麦会になった。地獄を見た人にしかわからない
ような人生の妙味が話の端々やギターの音に吐露されている。

寒山拾得の絵を描き続け、ニューヨークでも個展をやった南條先生が卒寿(90歳)になった。
それを記念して、地元愛媛の「タオル美術館」で「回顧展」をやっている。17日から来月19日まで。
来月の能登休みは、四国にいくことにした。
「天真庵」のHPの「あかりちゃん」をクリックしたら、平成7年から池袋でやってきた「南條ワールド」
が写真入りで紹介しておりまする。過去はどうでもいいけど、いい部屋でもある(自画自賛)

今日から天真庵の二階は「京都」になる。

27日(土) 成川正憲ギターライブ

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

そめもん展 ”京の染工房 河野染色工芸スタジオの仕事”

◇こうげいヌーベルバーグの作家小物も販売いたします◇

19日(金)16~19時

20日(土)13~19時

21日(日)13~19時

じゅっとくさんに、枯葉をもらう

♪枯葉よ~

昨日の深夜、能登から無事もどってきた。
相変わらず、寄り道人生。大泊(おおどまり)という土地名にひかれ、車を海沿いに走らせ、あるお店へ。
海の先には、立山連峰が雪を冠にして光っていた。昔、IT企業をやっていたころ、黒部に取引先があり、
そこの社長が「ここにずっといても、立山連峰が見える日は少ない。しかも見えた次の日は、きまって雨」
だといっていた。

「なら、一緒に登ろ」と、ふいに酔った席でいってしまい、そこの社長と、5年くらい毎年
立山を登山した。今から思うと、ちょっと間違えたら死ぬ・・そんなところもチャレンジした。
「バカげのいたり」だ。でもそのころはお互いに「立山しかのぼらない登山家になろう」と真剣に
話していたことが、懐かしくもあり、若かったと思う今日このごろだ。

今朝は6時過ぎに置き、少し仕込みをして、近くの香取神社に参拝。
いつものように、宮司さんたちが、落ち葉を箒ではいていた。
「箒をもった人」はみな拾得(じゅっとく)さんだ。筆を持った相方が「寒山」
「寒山拾得」(かんざんじゅっとく)・・・京都なんかにいくと寺の襖絵とか、茶室の軸
に、ふたりの「ぼろ」を着た構図の絵を見かけることが多々ある。
「あ、寒山拾得だ」といえても、その実、その絵が何を表わしているのかわからない。
平成7年から、ずっと「寒山拾得」の絵を飾り、最近は能登に「寒山拾得美術館」までつくったけど、
まだまだ初心者マーク。でも「足るを知る」というのが彼らの役目ではありませぬか?
「知足」。いうは安き・・・安来節より難しい?

思い切って、箒の宮司さんに・・・
ぼく「この葉っぱくれませんか?」
拾得さん「?」
ぼく「能登の家のコンポストトイレに使いたいのですが・・」
拾得さん「???」
でも、結局一袋もらった。迫力勝ち?(大きな50Lくらいな袋)

それをサンタクロースよろしく天真庵まで担いで歩く。途中小学生たちがそろって登校していた。
横断歩道を誘導して渡らせる近所のおっちゃんが「それ何に使うの?」
と怪訝な顔して問う。新しいランドセルを背負った「ピカピカの一年生」が堂々と歩道を渡る。
ぼくも黙って、背を伸ばして、手をあげて、横断歩道を渡った。
ぼくもピカピカの一年生。百姓入門生、田舎暮らしの一年生。

寒山詩を残した寒山を、「文殊菩薩」の化身だと日本人は思ってきた。
典座(てんぞ)のように、箒を持ち、厨房に入る拾得は、「おまけ」みたいな存在やった。
拾得は、何も残さなかったけど、「普賢菩薩」の化身だと日本人は信じてきた。
大塚の「江戸一」をこよなく愛した高橋義孝先生は「寒山拾得を知らない日本人は日本人じゃない」といわれた。

でもよくよく考えると、何も残さない拾得のほうが、おもしろい。彼らの師匠・豊干禅師が「本来無一物」といわれた。
「いくら残した」・・・なんていうのが少し前の日本人がよく口にした価値観。
「いくら残した」よりも「何に使った」というほうが価値がある、そんな時代にシフトしそな時代。
できたら、「陰徳」ではないけど、「人知れず、誰か人のためにお金を使った」人に拍手をしたいし、
何も残さず、死んでいった人に「いいね」をおくってあげたい、そんな時代が「令和に迎えられたら、いいね、」と思う。

一代では何もできないけど、「何をしようとしたか」が大事なような気がする。

艀(はしけ)が水面(みなも)を走る

昨日は「友の遠方より」で、うれしい一日だった。
朝漁港ではかなぶりに終わったけど、季節の山菜などが台所にあり、
東京からそばの「かえし」や「甘醤油」などを持ってきていたので、
地産地消の酒肴を並べることができた。

11時に近くにある「棚田」のビュースポットで待ち合わせ。その前に徒歩20分
のところにある「よろずや」さんにて、「能登ワイン」を買った。
歩きながらショートメールをしている間に、軽トラにのったじいちゃんたち5人に話しかけられた。
わざわざ止まって、「今、きとるんね」とか「やっと暖かくなったんで楽しんでいって」とかいわれて。
こちらも少しずつ、「顔」と「名前」を覚えてきた。でもすれ違う人は「東京から移り住んできた奇人変人」
として、気さくに話かけてこられる。またまた一楽。

能登ワインはまだあまり知られていないが、能登も「人生フルーツ」よろしく、ぶどうやブルーベリーなどがおいしい。
11時に東京から車できた友人が到着。
客人の奥方が佐賀出身なので、昨日は「青花」のワインブラスを使ってブルーベリーワインで乾杯。

その後珠洲のホテルのチェックインがあるので、2時くらいを予定していた様子だが、談論風発が
止まらず、機関銃トークが続き、ここを出発したのが4時過ぎだった。
〆にお抹茶を入れた。お茶うけの「松尾栗園」の栗菓子は筆舌を超えたうまさだった。能登栗もうまい!
友の遠方より来る またうれしからずや、だ。

今朝は久しぶりに海が凪いでいる。こんな日は、男たちが艀(はしけ)、伝馬船(てんません)ともいうが、
木製のボートにエンジンがついてる子船を沖に走らせる音で目が覚める。ビニールゴミをだしにいったら、
砂浜においてある舟が空っぽだった。おばあちゃんたちは、岩場で義馬藻(ぎばさ)や、わかめをとっている。
田圃をやる男たちは、トラクターを運転しながら自分の田圃をめざす。山に入ると、山菜のオンパレード。
9割くらいが後期高齢者を超えた人たちだけど、自然によりそいながら、自然のめぐみをいただいている自然な姿
には、いつも感心させれる。「ほんとうのゆたかさ」とは、こんな暮らしではなかろうか。都会ではむずかしいが・・

今日は東京に向かう日なので、また徒歩片道20分の「よろずや」にいき、四方山話をして、パンと野菜ジュースを
買って今かえってきた。これから寄り道をしながら東京を目指す。
人は実相世界(あの世)と現象世界(この世)を往復しながら、修行をするらしい。
東京と能登の「二股暮らし」も、そのような転生輪廻を生きていながら体感する、そんな風情がある。感謝。

海は広いな大きいな

今日は燃えるゴミの日。
海まで165歩くらいだけど、少し坂になっている場所に、
風よけのように、鰻の寝床よろしくの集落。
みなさん漁師とか、外国船や国内の汽船の乗組員だったりした人ばかりで、
「海」と生きてきた人ばかりだ。だから人間性も大きく、世界的な視野でものを考え、生きているような人たち。

農業に使う一輪車や、軽トラにゴミ袋を積んで、海の見える「ごみ捨て場」にもっていく。
その横に、ベンチとテーブルがあり、昼間はおばあちゃんたちがお茶を飲む場所、
朝は舟がだせないような波であっても、じいちゃんが海を見ている。
ぼくも海を見ている。人はみな海から生まれてきて、海に帰っていく。

今回は二度も「燃えるごみの日」があり、合計10袋くらい出せた。粗大ごみも燃えないごみも
ダンボールの日もあり、部屋がだいぶかたずいた。
器もくぼみがあるから用の美となる。お部屋も空間があるから用をなす。老子の言葉だ。
人の頭も「空っぽ」にさせることによって、新しいコトが始まる。でもなかなか日常に流されて
いると、そうはいかないのが人間の性(さが)だ。

昔の「ゼロの焦点」のロケ現場になったところであるが、その映画さながらの風景である。
ゼロの焦点のクライマックスは、ヤセの断崖。ここから600mのところにある。その
並びに「義経の隠し舟」がある。兄から追われ、奥州に逃げる前に、能登にいる妻「わらび姫」
にあいにいった軌跡が界隈にはいくつもある。弁慶と碁をやった場所、弁慶が切った岩、義経が篠笛を吹いた岩・・・
半官贔屓の日本人は、義経が大好きだ。

今日は東京からお客さんがくる。朝起きて近くの漁港に買い出しにいく。
ここ二日ばかり海が荒れていたので、市場は休み。世界中から冷凍された魚
が飛行機にのってくる豊洲とは事情が違う。
地産地消で、ここでとれたものを使ってもてなすとしよう。

明日朝に東京に向かう。木曜日がギタリストの翔くんが蕎麦会をやってくれる。
終末は京都風になる。池袋時代から続いている「染めもん展」

◎そめもん展 ”京の染工房 河野染色工芸スタジオの仕事”

◇こうげいヌーベルバーグの作家小物も販売いたします◇

19日(金)16~19時

20日(土)13~19時

21日(日)13~19時

27日(土) 成川正憲ギターライブ

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

のむら暮らし ぱあと2

昨日は「波並(はなみ)で花見」だった。梅茶翁は、珈琲(ほぼぶらじる)を供するお店を出店。
まきり包丁が有名な「ふくべ鍛冶」さんや、漁師さんがやっている民宿、狩女のカレー(ジビエのカレー)、
豆腐屋さんのおからドーナツ、栗園の人がつくった栗羊羹、能登牛丼・・・能登町界隈のがんばっている人
たちが、勢ぞろいしていた。野外ステージでは、歌あり、フラメンコあり、多士済々のアーチストたちが出演。
あいにく午後から雨が降ったけど、たくさんの人たちとふれあえた。

会場になった公民館兼保育園は、この「波並で花見」を含め、いろいろなふれあいイベントが評価され、全国
の公民館の大会で金賞をとった、らしい。能登の子供たちも、遊び方、食べ方、泣き方、みなワイルドで元気。
自然にむきあい、海山のものをいらない加工を加えてないものを食し、早寝早起きして体をめいっぱい動かしているからだろう。
とても貴重な花見を体験させてもらった。
能登にある遺跡の四平方メートルくらいの広がりの中には、海あり、山あり、川あり、沼あり、森林あり、潟ありの
地形だ。縄文人たちの英知や自然に対する畏敬の念など、自然の神に対しての「宗教心」みたいなものは、
日本人のこころの原点ではなかろうか。

家に帰ると、隣のおばあちゃんが「さかながはいっとったけん、お裾分け。」(刺し網漁をしておられる)
といって、カレイ、ハチメ(めばる)、アイナメなど10匹くらいいただく。
ちょうど三輪福さんから、お手製の「アップルパイ」をいただいていたので、半分をお裾分けして、「原始的ぶつぶつ交換」ができた。
さっそく、ふくべ鍛冶のまきり包丁をだして、カレイを5枚におろし、アイナメも刺身にした。
白身の刺身を久保さんの絵志野の四方皿にのせると、料亭の逸品になる。(自画自賛)
ハチメは、神子原(みこはら)村の村営の売店で買った生姜を使って煮物にした。
竹葉という能登の地酒を、囲炉裏の五徳の上の鉄瓶でぬる燗にして飲む。幸せな一刻。

能登の「のむら暮らし」もだいぶ自然になってきた。天真庵のHPの「遊山」を「のむら暮らし」に変更。

◎そめもん展 ”京の染工房 河野染色工芸スタジオの仕事”

◇こうげいヌーベルバーグの作家小物も販売いたします◇

19日(金)16~19時

20日(土)13~19時

21日(日)13~19時

27日(土) 成川正憲ギターライブ

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

のむら暮らし

昨日は、いただいてきた「有楽椿」を挿し木にした。
織田有楽は、織田信長の弟で、武将であると同時に茶人やった。
不肖のむらが先生をやらせてもらっている織田流煎茶道も、
有楽翁を初祖とする。♪有楽町で逢いましょう
の有楽町も彼の屋敷があったところから命名された。またまた一楽。

木のプランターに鹿沼土を入れ、花はもったいないけど切り落とし、
葉も三枚くらいにして、斜めに土にさし、水をあげる。東京でも
この方法で、椿を育てているので、きっとうまくいくと確信している。

倉庫の隣にある畑を耕していたら、隣のおばあちゃんがやってきた。82歳。
おばあちゃん「土がふわふわになってよかったね。(耕して、雑草がなくなり、石や根っこがかたずいた状況を、かく語りき。)」
不肖のむら「まだまだ初心者なんで、いろいろ教えてあげてくだ~さい」
おばあちゃん「なにを植えるかね」
ぼく「からみ大根と九条ねぎを植えようと思うとる」
おばあちゃん「そりゃ、まずいし、いいがね」(いのししにとって、まずい。だから荒らされない、という意味)
「じゃがいもなんかつくると、すぐに掘り返しにやってくる。」
ぼく「人は襲わないのでしょ?」
おばあちゃん「去年、知り合いのじいさんが、やられた。まっすぐかけてきて、前にいた犬
が逃げて、じいさんの股間にぶつかった」(そういって、股間に手をやって笑った)」
ぼく「じいちゃんの大事なもんがのうなった?」
おばあちゃん「いや、めすのいのししやったんで、少し傷ついただけでよかった、ゆっとったわ。
オスだったら、切られていた、ゆうとった」といってまた笑う。
ぼく「メスやったから、股間を狙ったんじゃない?オスやったら、うしろからけつの穴を・・」
といいかけたら、おばあちゃんはケラケラと声を出して大笑い。
そして「男も女もへその下が大事やけんのう」といって、鷹の爪をくれた。

それを畑にまくと、猪がこなくなるらしい。おばあちゃんがかえって、鷹の爪を
手でこまかくして、畑のまわりにまいて、五月の陰で仕上げに立小便をした。
ばあちゃんは、この五月の花咲くのを楽しみにしている。
へそから下の大事なところが、ヒリヒリした。これも田舎で生きている証だ。
今日のおばあちゃんの会話は、話の筋はノンフィクションだけど、方言はめちゃくちゃ。堪忍。

これから、三輪福さんたちにあいにいく。能登町の「波並」(はなみ)という場所で花見のイベントがある。
「能登くらし」の入門編みたいな「のむら暮らし」

珠洲の旅

昨日は朝起きて、顔を洗って、車で珠洲を目指した。
今月に知り合いが二組、能登を旅する。一組はソフトバンクの創業期に
いっしょに仕事をした夫婦。奥様は新卒で女学生みたいやった。
旅の途中にココ寒山拾得美術館にも立ち寄ってくださるらしい。

もう一組は、東京の天真庵の常連夫婦。珠洲のSという宿に二泊しながら、奥能登を
旅するらしい。残念ながらココは閉館で東京にいるけど、「旅の報告にあがります」とのこと。
彼は昨年デジタルマーケティングの本を著して、その世界では有名な人だ。

海沿いの景色を堪能しながら、大石学さんのCDをかけ、走っていると、「しおcafe」
なる看板が目に入って、車をとめる。珠洲は昔から「揚げ浜式の塩つくり」が伝承されていて、このお店
も店の近くで同様の塩つくりをしている。
天真庵の味噌作りや梅干しつくりにも、大活躍しているのが珠洲の塩。砂浜に海水をまき、
天日で浮いてきた塩と砂をあつめ、それにまた海水を入れて濃い海水をつくり、それを大きな鉄の釜で
20時間くらいかけて塩をつくる。言葉でいうと「それだけ」だけど、炎天下で家族でやっている
昭和33年の記録映画を近くの「道の駅」で見たけど、想像を絶する作業だ。思わず二度見た。

塩をきかせたノンアルコールのカクテルを飲んだ後の昼ごはんは「つばき茶屋」。
漁師さんが海の見える椿の里でやっているお店。あたり前だけど、魚は美味い。刺身定食(1500円)
に、ブリ、メバル、カワハギ(椿のようにさしみを飾る)、に山菜のテンプラ、しただみ(小螺)
が入った味噌汁がついてくる。イカの定食が「いかさま定食」だって・・なんとなく天真庵と同じにおいがした。
窓際に珠洲焼の花器に、淡いピンク色の椿が投げ込んであった。女将に「これ素敵ですね」
というと、「今朝山菜をとりに山に入った時にとってきた」という。山形に鳥海山というとこがある。
鳥になって海と山を自由に遊ぶ、そんな意味だが、ここ能登も海と山が近く、その風情がある。
「千枚田」と観光名所になっているが、そんな自然と特徴を生かした生活の知恵のなす技である。
お土産に女将が、たぶん有楽椿(織田有楽が茶室に好んで飾った)の枝を5本くれた。

満腹のまま、ある夫婦の家を訪ねた。昨年、能登の家の
近くの「道の駅」で手作りジャムを見つけ、九州の実家の土産にしたところ、大変喜ばれた。
退職後に「お互いに好きなことをしよう」ということで、自宅の倉庫を改装し、だんなさんは
「焼き物」、奥様が「ジャムつくり」の工房にしている。古希を超えているがおふたりとも
「いきいき」と生き暮らしている。「引退してからのゴールデン人生が素晴らしいですね」といって、
握手して別れた。今朝は、「いちごジャム」をヨーグルトにまぜて食べた。秀逸で筆舌を超えた滋味だ。
まさに、能登の「人生フルーツ」

その後は「珪藻土博物館」。珠洲の珪藻土を使った七輪は遠赤効果が強く、焼き鳥屋などで使われ、
品切れ状況が続いている。本家本元まで訪ねたけど、やはり品切れで、昔ながらの卓上の七輪をひとつ買った。

その後は、「宝湯」でひとっぷろ。珠洲温泉の公衆浴場。
ここは源泉を「重油」から「薪ボイラー」に変えて沸かしている。それから「お湯がよりやわらかくなった」と評判だ。
我が家も石油を入れれば、お風呂が沸くようになっているのだが、なるべく化石燃料に頼らなず生きる、を
テーマにしたいので、「薪ボイラー」にしようかと思っている。
「令和の五右衛門風呂」・・・古くて新しい風呂になると思う。
能登はやさしや土までも・・・という言葉がある。湯も人もやさしい。東京などか来るには、日帰りは
無理だけど、ここ「宝湯」では、泊まることもできる。前が酒屋(同族経営)で、宗玄など地酒も
買える。ガイドブックには載らない旅だけど、素敵な自分流の「たから」が見つかるかもなんばん。

万葉集の大伴家持の歌にこんなのがある  能登の生活をうたったものだ。

香島嶺の 机の島の 小螺(しただみ)を い拾ひ持ちて 石持ちて 付きやぶり 早川に
洗いすすぎ 塩辛に こごと揉み 高坏に盛り・・・

里山里海の朝

昨日は一日雨だった。
粗大ごみをだす。「フランスベッド」。これ昭和のころ一世を風靡した。
つぎに洋服箪笥。上の段(洋服をかける)のと下は引き出し三段。
宗像の実家にも去年まであった。
あとは本畳2枚。立って半畳寝て一畳どんなに飲んでも二合半。

納屋の中には、「昭和の家電品の博物館」のように、冷蔵庫とか洗濯機とか炊飯器とか保温ジャー
などが展示?されている。テレビは運べたけど、冷蔵庫などは「軽トラ」が必要だ。
落ち着いたら、かわいらしい色の軽トラを家族にしたいと思っている。

今回、東京の天真庵の玄関横に置いてあった「石仏」(いしぼとけ)を能登にもってきた。こちらも玄関
のところに飾った。中越地震の一か月前に、小地谷ちじみの浴衣をつくりに新潟にいった時、
そのお店の前の骨董屋でニコッと微笑みかけてきたので、東京に連れてきた。
道祖神であり、昔は子供を10人産むと、半分しか生きなかった、その人たちを供養するためにつくったらしい。
今回は雪のために新潟はゆっくり下道を通ってきた。きっと彼(彼女?)にとっては懐かしい
里帰りだったに違いない。

そこには「ふ~じいさん」の地蔵の絵が飾ってある。
ふ~じいさん・・・笠間の陶芸家だった。本名は知らないけど、みんながそう呼んだ。
100近くまで飄々と生きて、風のように旅立った。陶器はひとつも買わなかったけど、
その絵と、宗像の実家の元気が眠る庭に、石作りの六地蔵が置いてある。この夏帰省する時に
もってくる予定だ。

今朝は快晴。朝からうぐいすとホオジロが鳴いている。裏の畑の五月にはジョウビタキが
つがいで仲よく遊んでいる。

ホオジロは「一筆啓上つかまつりそうろう」と鳴く。
幼きころ山の中を野鳥を見に遊んだころの気持ちがよみがえってくる。
「自然の中にいる」と自分も自然の一部分である、が体に染みる。
うまくいえないけど、学校や順受の会(25年続く論語の会)でも「老子」
はやっていない。「無為」とか「自然」とかいう概念がスーと細胞まで入ってくるようだ。
20年くらい前に「まったい」にもらった「老子」の本を酒を片手にゆっくり飲んだ、いや読んだ。
能登の門前は「禅の町」でもある。この地に「寒山拾得美術館」を置く、というのも天の計(はからい)やないかと
思う。感謝。

♪雪でした・・・

昨日の営業が終わって、かたずけをし、そばを手繰り8時半くらいに車で能登に向かった。

いつもは「松代」のパーキングでで仮眠して、朝そこの「朝そば定食」を食べる。
すそば(すうどんと同じく、ネギをきざんだんだけのシンプルなそば)とごはん、生卵、納豆、漬けもんで550円。
朝七時開店やけど、けっこう人気がある。「松代」は、さきの戦争の時、皇室や行政機関を東京からどこに移そうか、
とした第一候補地。たぶん近い将来、首都圏に集中しすぎる機関の分散化は必須になると思う。
「小布施」とか「松代」などは、風光明媚なとこがいっぱいあるし、「人間らしく生きる」には、東京の100倍
以上暮らしやすそうだ。能登も負けないくらい住みよい。なにせ縄文人が4000年も定住したいたのだから。

なんの営業が知らないけど、スーツをきた「営業チーム」も、おなじものを4人くらいで食べ、談笑のような
ミーティングをしながら...みたいな光景をよくみる。最近の東京ではこんな「楽しそうなチーム」
みたいなんがあまりない。「おれおれ詐欺」の営業ミーティング(するんやろか?)って明るくならへんよね、きっと。
「ほんとうにいいもの」「ほんとうに人の役にたつもの」を提供する自信がある会社だったら、こんな
楽しそうな毎日になるのであろう、と思う。ソフトバンクの創業期がそんな雰囲気があった。
来週は、その当時のバンク創業時代の戦友が、ここ「寒山拾得美術館」にくる予定だ。(3年前に初めてきて、能登が気に入って
、毎年夫婦で旅しているらしい)

朝飯を食べて、出発したら「信州中野」で、タイヤのチェック。夜中に雪が降って、冬タイヤ
が必要らしい。スタッドレスタイヤを先月脱いだので、高速道路を降ろされた。
一瞬とまどったけど、先を急ぐ旅ではない。CDを成川さんの「おぶせびと」にして、長野の雪景色を堪能しながら、親不知まで3時間走る。
ついでに、そこの海岸で「ひすい拾い」をし、たら汁街道でたら汁を食べ、能登半島に到着し、
ローマ法王に献上したお米というのを買い、志賀町役場で粗大ゴミの券を買い(明日が粗大ごみの日)、
「ころ柿の里」の温泉に入り、どんたくで買い物をし、能登の家について、いろいろ運んだりしたら、
8時くらいになった。どんたくで買った「お魚」(地ものの「いわし」「すずき」「かれい」・・・3点どれでもで合計980円)
それを買って、久保さんの絵志野の四方皿に盛り、能登の地酒「竹葉」を飲みながら、これを書いている。(いわしは特に、その日とれたてが美味い)

でも明日は北関東も「季節はずれの雪」という予報。「なごり雪」もこんな不安定な季節や時代の中で生まれたのだろう。
「雪月花」雪もまたまた一楽。

能登前鮨を食べて・・・

昨日は「能登前鮨を自分でにぎるかい」。今年はすでに8回目。
「佐賀のがばいじいちゃんのすし会」を3年前までやっていた。
押上に「春慶寺」という名刹がある。そこで蕎麦会をやった時、
「寿司屋を昔やっていて、今はがんで闘病中だけど、どこかで鮨会をやらせたいじいちゃんがいる」
という話を聞いた。じいちゃんが天真庵にきて、檜のカウンターを見て「寿司屋にあるごたー、立派な檜ばい」
とのたまわりんしゃった。そこから毎月8人限定のすし会をやるようになった。じいちゃんが召される数か月前まで。
まさに「死ぬまでやるばい」という信念を貫かれた。「気骨のすし会」やったな。

じいちゃんが「これおいていくので、使って」という「すしの道具」が遺品になった。
それから、「すしを自分でにぎる」というスタイルになった。
能登の漁師のしんごちゃんから「ブリがとれた」とか「まぐろがあがった」とかいうショートメールが
くると、仲間にショートメールで「〇日にすしかいをやります」と送る。会費5000円。各自日本酒4合瓶持参。
みんな「十間橋太郎」よろしく、能登前であり手前でもある鮨を上手ににぎる。
「味噌をつくる」「梅干しをつくる」「そばを打つ」「すしをにぎる」の会がある。
「令和」の時代は、自分に投資し、自分の人生の精神的文化力を高める時代、かもなんばん。

昨日はマツキヨさんがライブの日に土産にもってきた「白菜の花」をお浸しにして前菜とした。
葉っぱも花を春を告げる「やさしさ」があり、55度くらいでじっくり温泉につかるようにゆで、そばつゆ
に浸す。天真庵流。葉っぱは60度を超えるとビタミンがなくなる。のでそうしている。するとシャキッとした野菜
をサラダにするような歯ごたえと、甘味やうまみを増加させるものと何倍も楽しめる。

明日から「能登時間」
もともとは、椅子や茶箪笥や蕎麦道具をつくってくれた般若くんと、天真庵の玄関の引き戸の金具
や、茶たくとかを作ってくれた角居くんが、金沢の「浅野川画廊」とかで個展をやっていたので、
毎年金沢にいき、それから能登の真脇遺跡にいく、というのがならわしになった。

それから三輪福さんたちが、真脇遺跡の近くに移住し、梅仕事をするようになり、縁あって志賀町に美術館になりそうな家
を見つけて、「能登と東京の二股くらし」になった。
そしてまたそれに続けと、東京から能登に遊びにくる人
が増えてきた。みんなそれぞれのスタイルで旅の「コト」を楽しんでいるみたいだ。車でくる人、飛行機とレンタカーで
くる人、新幹線とレンタカー、新宿から和倉温泉へ深夜バス・・・・千差万別。道もスタイルもいろいろ。

旅も観光会社が企画するようなものから「自分流」なものへ、大きくシフトしている。
「京都の有名な旅館に泊まって、祇園で懐石食べて・・ボリボリ・・・」とかいっている連中は時代おくれだ。
能登の門前あたりは、世界中から「坐禅」にくるような外人がいっぱいいる。やはり精神的文化力を高める時代。

でもみんなには、「真脇遺跡」は必ずいってね、と伝える。日本人の原点がある。「遊山」に真脇遺跡の写真がある。
縄文時代前期から晩期までの約4000年間、人々がソコで住み続けた集落遺跡。縄文人後期に米つくりが始まる。
それまでは、狩猟中心で縄文人たちは狩りをしながら移動して暮らしていた、というのが定説。同じ場所で4000年
というのは、言葉でいうと「ソウ」だけど、スゴイことやと思う。春に藤の花が咲くころ、イルカがやってくる、ことを知っていて、
みんなで協力してとった。それを発酵させ保存する「醸し」の技も取得し、戦争もせず、みなで協力しながら
「持続可能な暮らし」をやっていたのだ。日本人の宗教観や生活観の基本はそのころから続いている。
生き方に迷ったりしたら、真脇遺跡にいって、縄文人に聞いたら、ヒントをくれると思う。
聞こえない声に全身全霊を傾けて聴く。これもこれからの時代のキーワード。
坐禅してみる。坐は、土の上にふたりの人がいる。「自我」と「自己」。いろいろな声が聞こえてくるはずだ。