今日まで京の染めもん展

能登の「寒山拾得美術館」の床の間に、和気亀亭(わけのきてい)の涼炉(りょうろ)がおいてある。
京焼の祖のひとりといわれる陶芸家だ。和気、つまり岡山(岡山県和気郡和気町)がルーツで京都で花開いた。
先週は東京から茶のお弟子さまがきて、「松尾栗園の焼き栗棒」をお茶請けにお抹茶を一服した。
茶碗は久保さんが作った唐津焼に、東大寺の清水公照さんが絵付けをし、絵唐津に
なったものだ。能登の里山に咲く山桜を見ながらの幸せな一刻。

今日まで染めもん展。
京友禅というのも、どうもルーツは京都ではなく石川にあるらしい。
友禅染は、江戸中期に京都東山に住む扇絵師、 宮崎友禅斎(みやざきゆうぜんさい)が創始した。京都のものは京友禅 、金沢のものは加賀友、として独自
に発展してきた。京都よりも加賀のほうが「原点」に忠実にきた、らしい。出生にもなぞが多いらしいが、最近金沢の東山ひがし茶屋街の近くの龍国寺にころがっていた墓石を立てると、それに「宮崎友禅斎」と刻まれていたらしい。京都と金沢の「ひがし」を報復して、友禅染を広げた、それだけで粋なおひとだとわかる。

能登の家は、そのうち女性専用の「(お世話)しあうハウス」にしようかと思っている。シャエハウスではない「しあうハウス」。
人は最後は「ひとり」になる。ずっとひとりの人の割合も増えているようだ。
血縁やお墓などに縛られるような時代ではなくなりそうだ。気のおけない仲間たちが、自分たちの「ぶん」と、
役割を生かしながら、自然の中で協力しながら生きる、というスタイルが始まりそうだし、すでに田舎暮らしにシフト
している人たちも、あまた見かけるようになってきた。仲間が死ねば、焼き場にいき、骨を近くの海で散骨する。「令和の野辺おくり」
「しあうハウス」になっても「ひとりの時間」は大切だ。自然によりそういながら、自分の時間を持つ、そこにの
真ん中には、「お茶」があってほしい、と思う。そうゆう暮らしを目指すといろいろな問題も「なんとかなる」じゃない。

そんなことが実現すると、ぼくは男なので、京都の「祇園」か金沢の「ひがし」の近くの老人ホームに入り、
毎日夕方になると、馴染みのお店にいって、かっぽれでも踊りながら酒が飲めたらいいな、と思う。
年をとってくると、想像力が若いころよりたくましくなる。でも、だから酒がますますうまくなる。

今日は日曜日なのでお店は16時まで。二階の「染めもん展」は、日が暮れるまでやっておりまする。感謝。