里山里海の朝

昨日は一日雨だった。
粗大ごみをだす。「フランスベッド」。これ昭和のころ一世を風靡した。
つぎに洋服箪笥。上の段(洋服をかける)のと下は引き出し三段。
宗像の実家にも去年まであった。
あとは本畳2枚。立って半畳寝て一畳どんなに飲んでも二合半。

納屋の中には、「昭和の家電品の博物館」のように、冷蔵庫とか洗濯機とか炊飯器とか保温ジャー
などが展示?されている。テレビは運べたけど、冷蔵庫などは「軽トラ」が必要だ。
落ち着いたら、かわいらしい色の軽トラを家族にしたいと思っている。

今回、東京の天真庵の玄関横に置いてあった「石仏」(いしぼとけ)を能登にもってきた。こちらも玄関
のところに飾った。中越地震の一か月前に、小地谷ちじみの浴衣をつくりに新潟にいった時、
そのお店の前の骨董屋でニコッと微笑みかけてきたので、東京に連れてきた。
道祖神であり、昔は子供を10人産むと、半分しか生きなかった、その人たちを供養するためにつくったらしい。
今回は雪のために新潟はゆっくり下道を通ってきた。きっと彼(彼女?)にとっては懐かしい
里帰りだったに違いない。

そこには「ふ~じいさん」の地蔵の絵が飾ってある。
ふ~じいさん・・・笠間の陶芸家だった。本名は知らないけど、みんながそう呼んだ。
100近くまで飄々と生きて、風のように旅立った。陶器はひとつも買わなかったけど、
その絵と、宗像の実家の元気が眠る庭に、石作りの六地蔵が置いてある。この夏帰省する時に
もってくる予定だ。

今朝は快晴。朝からうぐいすとホオジロが鳴いている。裏の畑の五月にはジョウビタキが
つがいで仲よく遊んでいる。

ホオジロは「一筆啓上つかまつりそうろう」と鳴く。
幼きころ山の中を野鳥を見に遊んだころの気持ちがよみがえってくる。
「自然の中にいる」と自分も自然の一部分である、が体に染みる。
うまくいえないけど、学校や順受の会(25年続く論語の会)でも「老子」
はやっていない。「無為」とか「自然」とかいう概念がスーと細胞まで入ってくるようだ。
20年くらい前に「まったい」にもらった「老子」の本を酒を片手にゆっくり飲んだ、いや読んだ。
能登の門前は「禅の町」でもある。この地に「寒山拾得美術館」を置く、というのも天の計(はからい)やないかと
思う。感謝。

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