さよならだけが人生だ

京都から東京に移住してきた時、最初に住んだのは荻窪やった。
南口から徒歩10分ほど歩いたところにあった小さなワンルームマンション。
創業期のソフトバンクに在籍していたので、実際は会社か、会社の近くの四番町
の「社員寮」(二部屋くらいの賃貸マンション・徹夜ぐみがそこで寝起きしていた)
で泊まることが大半で、荻窪には週末だけ帰る、そんな生活だった。今は昔だ。

そのころ、荻窪には「荻窪風土記」「山椒魚」を書いた、井伏鱒二先生が住んでおられた。
先生が、于武陵の詩「勧酒」を訳した有名な文が、「この杯を 受けてくれ、どうぞなみなみ注がしておくれ、花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ。」である。実に味わい深く、年を重ねるほど、別れも多く体験し、特に感慨も深くなるように思う。だから酒がますますうまくなる。

2年前の4月1日に「天真の香り」という自作の歌をつくってくれて、山本ひかりちゃんが「10周年ライブ」をやってくれた。
昨日もピアノの弾き語りでその曲を歌ってくれた。今日で天真庵が12年を終え、明日から13年目になる。
「毎日が一生であり、毎日が創業日」だと思って、繰り返しの「生・滅・生・滅」の毎日の土を耕しているようなものだ。
最近は「不耕な人生」をあらため、能登では毎日鍬をもって土を耕したりしはじめた。すべて「おわりははじまり」
だ、ということが体でわかってくる。

山本ひかりさんは、早稲田の大学生だったころから天真庵でライブを毎年やってくれている。最近は春と秋の二回。
いつもだったら春が終わったら、秋のライブの日程をきめるのがならわしになっていたが、昨日はきめなかった。
今年入籍をし、第一子を宿った、というおめでたである。天真の香りのする元気な子供の顔を楽しみにする好々爺の気持ち。

その子には、久保さんの盃をプレゼントしよう。たぶん彼女に似て酒豪になるだろうから。久保さんの斑唐津がいいかも。
昔から酒豪が好む酒器に「備前の徳利に斑唐津のぐいのみ」というのが定番だ。
これも井伏鱒二先生がいいだしっぺ、というのが定説である。
出会いや別れの春。今年は「平成」ともお別れし、古い時代と新しい時代の端境期で、大変革な年ではなかろうか。
どんな時代や、どんな困難な待ち受けていても、酒でも飲みながら、飄々と乗り越えていきたいものだ。
ちなみに、小生の「まいぐいみ」は、久保さんの斑唐津であ~る。備前の徳利は、厨房に並んでござるよ・・・

今日は日曜日なんで16時閉店。  夕方は「ゆるゆるヨガ」
梅林ガールズたちがきて、ヨガる。もうすぐ彼女たちと「能登の梅仕事」が始まり始まりである。

今日も春のボサノバライブにて、16時閉店

昨日は、山根さんのクラリネット、藤田さんのピアノの音楽会。「天国の君たちへ」とプログラムにかかれていた。
山根さんの同級生で音楽仲間で、天真庵のライブにも何度もきてくれたおふたりが今年はじめに、黄泉の国にいった。享年53歳。
山根さんは天真庵で25回目。藤田さんもかなりやってくださっている。
3年くらい前、宇部でこのふたりのコンサートがあった。
そのころ毎月宇部から古流のお花を指導にきておられた原田先生。
山根さんや赤松林太郎くんなど一流の音楽家たちも、安重のはさみをもって
花を習いにきた。そのお礼に、原田先生夫妻を招いたコンサート。

それから一年以内に原田先生が昇華された。花のような人生やった。
その後指導にあたってくれた武内さんも、一昨年の暮れ58歳で召された。彼女も華があった。
最初のころの弟子に「ワカ」もいた。天真庵がライブハウスみたいになるきっかけ
をつくってくれた。彼も56歳の時に旅立った。IT業界の重鎮だった。

桜の咲くころというのは、昨日も書いたように別れの季節でもある。
春爛漫という空気とうらはらな悲しさがある。
音楽も、刹那というか、その瞬間に消えていく芸術。
人が生き暮らしていく中で、恋をしたり、失恋したり、家族や恋人を失くしたり
する煩悶や苦悩を表現したものが多い。そんな音楽を作曲したひとも、聴いているぼくたちも、
みんな100%死んでいく。死があるからこそ生きている毎日の刹那が輝いているのではあるが。

マリアカラスの十八番(おはこ)だったサン・サーンスの花劇「サムソンとデリラ」の「あなたの声に私の心は開く」
やモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」の「さあ、窓辺においで」など、情熱的な恋の中にただよう耽美の世界を
昨日は桜とおなじように逍遥するような音楽会やった。

願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃(西行法師)
昨日は、誰もが、そんな心境を味わったに違いない。

今日もひかりちゃんのライブ。

桜の木の下には・・・

梶井基次郎の代表作に「檸檬」というのがある。
それの中にでてくる八百屋が、京都の寺町にあり、通っていた大学のすぐ近くなので、
そのころ読んだ。「 桜の樹の下には 」というのもある。

・・・桜の樹の下には 屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。 なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。 俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった...

昭和20年3月の東京大空襲で下町の10万の人が一夜で死んだ。その屍は、学校の校庭や公園や空き地に積まれた。体験した人たちは、
歩いていて石にぶつかってつまずいた、と思ったら、黒こけた死体だった、と語る。生き残って屍を運んだ人も、その塊のひとつひとつ
が、「生きていたひと」だということを感傷するような余裕もなく、無心で運んだに違いない。
この季節にこの界隈の公園に咲く桜を見るたにに、この小説を思い出し、そこに無念にも眠る精霊に手をあわせたくなる。知らぬが仏、みたいな話ではあるが・・

昨日はそんなことを思い出させる錦糸公園の横を過ぎて、よくいく骨董屋をのぞいた。
昨年の秋にまだ50になったばかりの奥様をなくされ、ここんところ元気がない。天気がいいので店の前に椅子をふたつだし、
自販機のミネラルウォーターを飲みながら、骨董談義。「明日で死ぬ」という日、どんな茶碗でお茶を飲むか?
酒はどんな酒器で飲むか?終の棲家はどこにしようか?庭には何を植える?灯籠は?茶室は・・・・・
たわいのない話をあれこれ談論風発しながら、水盃よろしくペットボトルが空になる。話す内容も空だが、
若いころにはない「空想力」や「妄想力」がでてきたように最近おもう。

今日はN響のやまねさんが、藤田さんと素敵な音楽会をやってくれる。16時閉店。
山根さんのコンサートによくきてくれた素敵な女性も先月若くして旅立たれた。
今日はその国からコンサートを聴きにこられるのではなかろうか。
ショーケンも68歳で逝った。平均年齢は延びているようだが、人生は思ったよりも短いような気がする。

今本屋に「古民家カフェ日和」(世界文化社 川口葉子著)が積んであると思う。
東京の古民家のカフェを紹介してくれていて、天真庵も末席にちょろっとのっていて、
お味噌作りや、音楽会につならがるピアノのエピソードなどが彼女の言葉でやさしくつづられている。
明日も素敵な音楽会。

29日(金) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・藤田朗子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

30日(土)ボサノヴァ de 花見

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

お米がうまい

日本は瑞穂(みずほ)の国と呼ばれた。みずみずしいお米がとれる、ということだ。
そんな「ことだま」を冠にした銀行もあるし、土地名もある。
先日、「神話の世界」の舞をした三輪福さんの「梅茶翁」も、能登の「瑞穂」
という土地にある。

昨日すし会の準備をしていたら、三輪福さんがそばを手繰りにこられた。
能登前のまぐろは、先週梅茶翁から東京に運ばれた。「参加する?」
と聞いたらふたつ返事だったので、「能登前鮨を自分でにぎるかい」に参加。
能登でもやったことがあるので、上手なすしができた。

すしがうまい、の条件で「しゃり」をちゃんとする、も大事な要素だ。
まず、お米を研ぐ。水はできたら、ミネラル水以上のもので洗うといい。
最初に入る水が、東京水だと?うちは、東京水をブリタで漉し、その水を
「うめ星」入りのポットに入れ、お米や珈琲をいれる時に使っている。
二度くらい洗い、お米を笊の中に入れ20分。(20分の法則)
その後に土鍋に入れ、適量の水と「うめ星」を入れ、20分で炊き上げる。(3合までだと15分)
それから20分蒸らす。そうすると「銀しゃり」といわれるようなごはんが炊ける。

今日は「書をしよう会」
明日は「おんなかっぽれ」だ。

金曜日土曜日が素敵なライブの連荘

29日(金) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・藤田朗子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

30日(土)ボサノヴァ de 花見

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

能登前鮨

すしのことを「江戸前」という。
東京湾がきれいで、おいしい魚介類が豊富だったころの話。
昨日は八百万の神々をテーマにしたイベントにいってきたが、まさに
江戸前の魚ですしがにぎれるのは、神話みたいな遠い過去。

今では世界中から冷凍された魚が飛行機にのってやってくる。
それを解凍して、切り身にしたり、加工したりしたものが流通され、消費者の
わたくしたちが対価をはらう。当たり前だけど、魚の航空機代や冷凍器具や電気代なども
その中に含まれる。すしやのカウンターに座ると、そこに技術料やそのお店の家賃などの経費も
のせられ、銀座あたりにいくと「おひとりさま」で、何万円ものお勘定になる。

バブルのころは、盛り場の寿司屋などは接待族であふれていた。みな領収書がきれるし、
ぼくのまわりの社長連中は、ずけなどをたらふく食べたりしたあと、お勘定も「つけ」にして、
一ケ月づつ会社の経費で落とす、というのも普通だった。今考えると、普通ではない。
みんな「ただ酒を飲んだ時代」。帰りのタクシーも、「タクシーチケット」をパスモみたいに
日常使いにしていた時代でもある。

能登で暮らすようになり、海で釣りをしたり、漁師さんと話をしたり、港町で魚屋さん
と話をするようになり、「魚の危機」を身近に感じる。東京のスーパーに並ぶ魚は、パスポート
があるわけでもないけど、ほとんどが外国さんだ。
今年はブリも捕れなかったが、イワシやイカや鯵など、庶民の食卓にあがる魚も不漁らしい。
昨日の新聞には「海苔のダメだ」ということだ。

今日は「能登前鮨を自分でにぎるかい」をやる。今年7回目になる。
秋田杉のおひつも、3日前から米のとぎ汁でなじませ、今日がおひろめの日になる。
「江戸前」というおおざっぱな言葉で、すしややスーパーや回転ずしでも「すし」は食べれるけど、
顔の見える漁師からゆずってもらった魚を、顔の見える知人がつくったお米を「20分の法則」で
焚き、酢飯をつくり、おひつにいれ、自分たちでのぎり、久保さんの器にのせて食べる。
今日は信楽の有名な陶芸家も参加するので、彼女のぐいのみで酒を飲もう。いい会になってきた。

明日は「書をしようかい」だ。

乞食みたいな恰好して、古事記の神にあいにいく?

昨日はえりちゃんのシャンソンだった。
福岡出身の先輩が「ここで、歌わせたい歌手がおるっちゃん」といって、10年近く前
に連れてきた。そのころは大塚でバーをやっておられた。そのバーを管理するおっちゃんは、
大分の前津江村出身の人で、偶然にもぼくが主催していた「ねっと21」のメンバーでもあった。
えりちゃんのお店とその不動産屋さんは、お隣さんのような距離だった。

その不動産屋のK社長は、毎月のように前津江村に帰っていた。20年くらい前津江村を訪れたことが
ある。古色蒼然たる実家で、友達が釣ってきたアユを囲炉裏端で焼き、自然農の野菜などを堪能した。
トイレを拝借しようとすると、「そこの畑でして」と真顔でいう。これが循環型の田舎暮らしの原点だ、と悟る。
たらふく飲んだ後、「温泉にいこ」と軽トラにのって近くの温泉にいった。「捕まったた大変ですよ」
というと、「この村には警察はひとりしかいなくて、彼が実家の里帰りしたので大丈夫」とのこと。
もう時効のような話だが、そんなおおらから時代があった。30年くらい前は、ゴルフ場でビールを飲んで
から高速道路を走る、は、日常茶飯だった。

kさんは、もうかれこれ85歳。3年くらい前に、村の森を買い、ボランティア活動をしながら、
そこの木材で、古色蒼然とした家を建て替え、五右衛門風呂をつくり、子供や孫たちを
ときどき東京からまねき、「田舎暮らし」を伝授している。
もちろん、普段は大塚で仕事もしている。スーパージジーだ。

昨日のライブも、矍鑠とした高齢者が奥のテーブルを占めた。ボーリングをしていて、
足をくじいた人は、傘をツエにして歩いてきた。まさに傘寿?
蕎麦焼酎を生で飲んでいる人、35度の「珈琲焼酎」(カフェインという)を飲む人・・
今日国立でライブがある(英里さんは今月あと5回やるらしい)ので連荘の人・・
「すごい」のひとこと。年をとると(若いのも)出不精になって、「ひきこもり」
みたいな生活している人ばかりが目立つけど、元気な人は元気だ。

今日はぼくも国立にいく。三輪福さんが踊る。5月はヨーロッパでも踊る。
寒いので、ジーパンの切れ端を刺し子のようにしてつくってもらった「和っふるコート」
を着ていこうと思う。いつ天災にあっても、路上生活ができるように、と、12年前に
自分でデザインしてつくってもらい、そう命名した。
一度これを着て福岡にもどったら母が「大学までいったのに、乞食みたいな恰好して・・」
と嘆いた。でも甥っ子の翔太くんが「空港で降りてきたとき、おじちゃんが一番かっこよかった」
といってくれて、味方ができ、母の見方も変わった。

国立の「宇フォーラム美術館」で「野生の青空」(古事記の神々に捧ぐ)
がある。(問い合わせ  070-5010-1447 ハナ・ジャスミン)

今日は「満つまめの会」お店は16時まで。

論語の会

昨日は「順受の会」という25年くらい続く会。通称、「論語の会」をやった。
一番長老は、79歳。数えで「傘寿」。詩吟の先生で、ハレの時には、大きな声で吟じてもらったりする。
「大きな声をだす」というのは、健康的なことやと思う。
この会の先生は、かごんまのよかにせどん(鹿児島産でよい男)で、還暦と古希の真ん中くらい。
一番若いのは、40前後。一時間勉強して、後は蕎麦会。このジェネレーションギャップが酩酊すると、
不思議なハーモニーを醸し出す。長老が大学をでて、初任給が2万円だったらしい。古希あたり人が
大学をでた初任給が8万円。先生あたりのころ、10万円を超えたらしい。
ぼくは、よそんちで働いたことがほぼんばいけど、ソフトバンクの創業当時は、20万くらいだったと思う。
そのような変遷を語っていると、平成になってからの30年というのは、あまり給与があがっていないかも。

昨日は能登からつれてきた「まぐろ」のアラで、ブリ大根もどきの「まぐだいこん」をつくった。
昼間、金継ぎ教室にきた若い女子に試食してもらったら「オリ・・・(近くのスーパー)の魚とぜんぜん違う」
と、まぐろのように大きな目をして叫んだ。
だいこんも、能登の家の隣のおばあちゃんが、珈琲豆と「原始的ぶつぶつ交換」でゲットした「自然農野菜」。
だから皮をむいたら、それを「きんぴら」にしても安全で健康的な逸品ができあがる。

三輪福さんといっしょに摘んだ「ふきのとう」は「フキ味噌」にした。ごはんによし、酒によしの「おかず」。
冬眠から目覚めた熊が、最初に食べる「春のめざめの草」。薬は、草を食べたら楽になるよ、という漢字。
理屈ではなくよくわかる。

しめのそばは、その大根でつくった「切り干し大根」ともやしのスープに、「そばどん」(そば切りの後に残ったそばを、
もう一度こねて、うどんの太さのそばをつくる。うどんとそばのあいの子で、そう命名)を投じる。
長野の「とうじそば」をアレンジしたもの。
ごはんは「豚めし」。先生の郷土鹿児島の郷土料理。黒豆茶を入れてごはんをたくと、なんともいえない「うまかめし」になる。

最近、「フリーズド味噌汁」とか「飲むおにぎり」やら「飲むカレー」・・・など、調理も咀嚼も
簡素化したものが、お店にあふれている。
「かもす」とか「噛む」とか「こころのこもった」をはぶいたものを、口にいれても、「元気」とは程遠くなるように思うけどな~!

気のおけない仲間たち、同じ道を歩む友が、遠方より来る、うれしからずや、だ。

今日はえりちゃんのシャンソンライブがあるので16時閉店。

手仕事

能登の「梅茶翁」の梅の花も咲き、6月の梅林ガールズたちとの再会を待っている。
梅には、うぐいす、といえばおいちょかぶの構図だが、春爛漫をたたえる風情がある。
能登のあて(ひば)の葉は、松のように緑がきれい。門前にある「手仕事や」というそばやでは、
その葉っぱの上にそばを盛る。土の香りを風が運んでくるようなそばだ。

来月はタケノコが旬を迎える。能登町にある「ふくべ鍛冶」の店先には、鍬(くわ)が並んでいる。
刃先が丸と四角いのがある。土地の土によって、使い分けているらしい。男女別になっていて、
女性用は赤い。「まきり包丁」は、厳しい能登の自然によりそってきた人たちの「手」であり、
そこにいくと「手仕事」のお手伝い用品がいっぱいある。

「能登」という地元の季刊誌がある。最新号は「薪」の特集だった。
「薪ストーブ」が流行っていて、古民家やお店などでも、よく見かける。
薪ストーブの前の椅子に座って、ウイスキーなんかを飲む。なかなかかっこいい生活スタイル。
能登の家にも一台置こうか、なんて考えてみたけど、能登ヒバの「あて」をふんだんに使った
伝統的な日本家屋で、和室ばかりなので、今のところ囲炉裏や手あぶりや長火鉢に「炭」を
中心に暖を得ている。もっとも一番寒い一月の末から2月いっぱいは「味噌作り教室」を
東京でやるので、炭ですんでいる。

今日は「論語の会」(順受の会)
明治の実業家、渋沢栄一翁は「論語とそろばん」を唱えた。
そろばん(もうけ)も大切だが、論語(道徳・気品)も大切にせんとあかんよ、ということだ。
二律背反することだけど、そのあたりのバランスは、どんな世界でも共通する。
「中庸」というのは、ある意味、そんなところのニュアンスを含んでいるのだろう。

明日は「新春シャンソンショー」があるので16時閉店。
日曜日はいつも16時閉店。

(3月の素敵なライブ)

23日(土)弾き語りシャンソン ライブ

演奏:・上原英里(ヴォーカル&ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

29日(金) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・藤田朗子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

30日(土)ボサノヴァ de 花見

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

気骨のすし会

帰る日の朝に、「まぐろがとれた」と漁師からメールがきた。
ちょうど、能登町のすしやに寄って帰る予定だったので、港まで
車を走らせ、すしをつまんで「本マグロ」を一本まるごと旅の友にして
東京までかえってきた。

今日は「蕎麦会」が入っているので、明日の朝に「ひとり解体ショー」をして、マグロ
は、四五日おいたほうが美味いので、25日(月)の夜に「気骨のすし会」をやろうと思う。

今回の「能登時間」は、畑を耕し、九条ネギを植え、セリやふきのとうを自分でとって料理もしたし、
地元のタコも料理したり、だいぶ田舎暮らしも本格的になってきた。

来月は「筍」が旬を迎える。三輪福さんと「めんまを作ろう」と約束。梅仕事の前に
「もうひとつの手仕事」の課題ができた。
ときどきまかないで「そばらーめん」を作る。ラーメンとそばの麺だけが入れ違う。
丼も雷文の模様がはいった昔のもの。具は、「とんさま」の豚があるし、ガレットに使う海苔
やら、マツキヨ自慢の深谷ネギ、・・・ここに「手作りのめんま」があれば・・といつも思っていた。

今回も「総湯」や「柳田温泉」で、汗を流した。
能登の家にも風呂があり、灯油ボイラー(能登では一般的)に灯油を入れれば、お風呂と給湯
ができる。でも風呂は「五右衛門風呂」か、それに準ずるものにしようと温泉につかりながら考えた。
なるべく「電気や灯油」を使わなくて持続可能な生活を実現させたいと思う。

羽衣伝説

風光明媚な海岸には、昔から羽衣伝説があまた残っている。
少し難産だったけど、その代表格の三保の松原は世界遺産にまで上り詰めた。

能登の家の近くに海水浴場がある。「琴ケ浜海水浴場」といい、
鳴き砂で有名なとこ。昔、そこに美人の「おさよ」さんがいた。北前船で
にぎわう遊郭に身をおき、重蔵という同郷の漁師と恋仲になった。

ある日、重蔵の乗った船が遭難し、帰らぬ人になり、毎日おさよは海を見て
泣いた。それから身を患い、故郷に帰り、美しい海に身投げして死んだ。
それから、そこの海岸を歩くと、キュキュッと悲しい音がするようになり、
地元の人たちが「重蔵を思うおさよの泣く音だ」というようになった。

しばらく海の遭難が続き、おさよの黒髪を奉納して「黒髪神社」というのが立ち、
今でも8月には「おさよ祭り」というのがあるらしい。
昨日、海のものを買いに「立ち寄りパーク」に車を走らしていたら、新しいトンネルを
くぐった。入口に「おさよトンネル」と刻まれている。
名もないひとりの恋物語であるけど、海水浴場になったり、神社になったり、
トンネルになって、生きている。

ナビができて、効率よく道を案内してくれる時代になったけど、きまぐれに
「立ち寄り」ながら、旅をしていると、不思議な縁みたいなものに引き寄せられる
ことがある。道草や立ち寄りの「おかげ」で、おさよのような「恋」の物語も生まれる
のである。効率や損得だけで生きていると、濃い恋はできない。(ばくちのコイコイはできるかも)

人のいく 裏に道あり 花の山     

である。