ギバサ

昨日は春のようなポカポカ陽気だった。
2月は定休日も味噌作りをやるので、なんもない、ボーッと生きていられる唯一の休日だった。
青山の古本屋にいき、お茶の本と能の本や雑誌などを買い、老舗の喫茶店で珈琲を飲みながら読書。
その後少し界隈をぶらぶら散歩し、原宿駅まで歩いてjRにのり、大塚の骨董屋にいく。

そこは、マンションの一階にある。そのマンションは、30年くらい前に、ゴルフ仲間が住んで
いてよく車で迎えにいった。警察のOBで警備保障会社の社長だった。65を過ぎてゴルフを
はじめ、75歳くらいにゴルフ場で倒れ、すぐに天国に召された。それまでは釣りが趣味だったけど、
社長室にあったロッカーの中は、釣り竿がひしめいていた。ゴルフを始めたら、釣り道具は空になり、
その代わりにゴルフ道具がスーツなどの間にひしめき合っていた。もちろんパターの練習器具もそこにあった。

ゴルフを始めて同時に車の免許をとった。すぐに日産シーマを買った。まだゴーンはいないころのお話。
それから彼がぼくの家に迎えにくるようになった。高速で150キロくらいだして運転していた。
飲みすぎた朝など眠いのに、瞬きもできないくらい横に乗っていて緊張した。「つかまりますよ」
と注意しても「殺人以外なんとかなる」みたいなことを真顔で言う。その横顔を見ていると、ほんとうに
二人ともここで死ぬのではないか?という気持ちになったことを昨日のことのように覚えている。

ある夏の日、北海道にゴルフにいった。羽田空港の搭乗口で、彼が「ちょっと」といわれ、係員に持ち物のチェックが
かかった。ポケットあたりを上からチェックされている時、大きな声で「こんな屈辱初めてだ。やめてくれ」
と叫んだ。短気だけど、さっぱりした性格なので、そのまま機内に入ると上機嫌。
少し寒かったので大きな声で、乗務員さんに「キャディーさん、毛布もってきて」と大きな声で叫んだ。
もうゴルフ場にきているつもりだったのだろう。一時が万事そんな調子だった。今は昔の懐かしい先輩。

その一階の骨董屋にはずいぶん通った。表にはいい感じの蹲(つくばい)がおいてあり、いつも清らかな水がはってあった。
中に入ると、主人が丁寧に玉露を入れてくれた。錫の茶たくに六兵衛や道八の染付の煎茶碗ででてくる。
それを飲みながら、煎茶道具のことや掛け軸のことを語ってくれた・・・煎茶を正式に習おう、と思ったのは、ここの主人と
出会ったおかげだ。喜寿を迎えるころ、この骨董屋は緞帳を下げ、中国人がオーナーになった。
最初は電話も看板もそのまま使っていたが、今はかわった。中国と日本をいったりきたりしながら、
忙しそうに仕事をしている。ときどきいっては、前の主人が残してくれた煎茶道具などを買ったりしている。

帰りは大塚駅前から錦糸町までのバスの旅。ロッテ会館の近くの居酒屋に立ち寄り、「ギバサ」の豆腐あえ
などを酒肴に、3合だけ飲んで帰った。残念ながらギザサ風だった。アカモクだ。(ほんとうのギバサはホンダワラの若い芽。お店の人にはいわなかったけど・・)
能登でも「ギバサ」をよく食べる。義経が兄頼朝に追われ、奥州に逃げる時、最後の一目みたさに、能登のわらび姫のところに
立ち寄る。敵方の重鎮・平時忠の娘。その時えさがなくて、馬の脚にからみついた海藻を飼葉かわりにした。「義経の馬の海藻」で「義馬藻」(ギバソウ)
。それが「ギバサ」になり、能登から秋田あたりまで今もそう呼ばれている。半官贔屓の日本人は「義経」が大好きである。冬の奥能登の海は岩礁に
白い泡花が飛び交う。ふたりの儚い恋を今なお語っているがごとくに・・。

二月はそんなこんなで能登にいけなかった。3月が待ち遠しい。3月は素敵なコンサートが目白押上。

23日(土)弾き語りシャンソン ライブ

演奏:・上原英里(ヴォーカル&ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

29日(金) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・藤田朗子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

30日(土)ボサノヴァ de 花見

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)