ちんこも焚かず ・・屁もひらず

昔から、こんな落語のネタのような話がある。

昨日、蕎麦のお弟子様が遊びにきた。いったことがないけど、「武相荘」という
白州正子さんとこにいったらしい。お土産に「お香」をいただいた。
白檀と沈香と伽羅が入っていた。今朝は久保さんが作ってくれた「眠る香炉」に
沈香を焚いた。小さな紙に解説が書いてある。

沈香 伝承の香木  純粋な自然の沈香木でございます。
残り香が 心にひびく名香でございます

昔、ある政治家が、「沈香も焚かず屁もひらず」を間違えて、「ちんこも焚かず 屁もひらず」と演説した。
正確には(じんこうもたかず、へもひらず) 沈香を焚いたような芳香もないが、臭いおならもないということから、
「格別よいところもなければ、悪いところもなく、 平凡な日みたいな」のたとえだ。

それだけ「沈香」(じんこう)が日常だったけど、その政治家にとっては、「ちんこ」のほうが日常茶飯だった?

彼女がもっていた白州さんの著書をパラパラとめくってみると、黒田辰秋さんのことが書いてあった。
もともと京都の塗師(ぬし)屋の息子だった彼が、18歳のころ三角堂といういう画廊を通ったら、
飾り窓においてあった河井寛次郎さんの二彩の香炉を見て「ふあーと酔ったような気分になった」らしく、
その一瞬で人生がきまり、木工に励んで、人間国宝にまでなった。
やはり「いい器は先生」である。芸術にはそんな力がある。

「眠る香炉」に沈香を焚く。そんな日常の中に、生涯の一転機となく刹那が香っているかもなんばん。

ちんこもたたず、屁もひらず  こうなると線香の前の写真立てに入ることになる。感謝。