火曜日は、あこがれの彼とガレット

春眠は暁を覚えず・・・
昨日の論語の会で少し飲みすぎて、まだ目がさめない。

常識というは堪忍  春眠し

原理原則や、当たり前のことに縛られすぎると、窮屈になる。
世界情勢や日本の政治のおそまつさなどを見ていると、茶番をこえて
眠くなってくる。「おわりの始まり」のようなことが多い今年なのか?

昨日はスカイツリーの下の名店「隕石直売所」の主人が蕎麦を手繰りにこられた。
同郷しかも、ふるさとの「丁目」の前まで同じという奇縁で繋がれている。
お店の前に「隕石直売所」なる旗が風に揺れていて、大石さんのCDがよく
流れていて、どことなく「天真のかおり」を感じる店?かもなんばん。

うちのお客さんが、その界隈を散策し、お店に立ち寄ったりしたもんだから、
主人がある日お店ののれんをくぐり、「いつもお世話になっています」
と挨拶し、蕎麦を4人前ペロリと手繰ったところから、いろいろなドラマが始まった。

業務提携先ではないけど、「うめ星」は、宇宙と地球の共同開発みたく、
自然発症的に生まれたものだ。天真庵の「うめ星」の部屋にいろいろな実験結果を
公表しているので、暇で興味のある人はのぞいてほしい。
けっきょくは、それぞれの人の「気持ちの気」に働きかけるようなモノなので、
それぞれの人の「五感」、しかもなにも常識とか原理原則とかにしばられていない「きれいな感性」
をもった人にしか、「わからない」ような商品である。

昨日も、味噌や塩や、「食の原点」のような話を、機関銃トークしながら
お互いの脳みその味噌の味を、共有するような時間を持った。

TQ技術の山田先生のHPが、天真庵のHPの「リンク」のところにある。
彼は東大にいっただけの頭があるので、普通の会話でも、凡夫の人には理解できないことが多いが、
文になると、なお一層チンプンカンプンになる。
でも昨年の12月9日?あたりの文に、「アメリカのハーバード大学で宇宙人に関するレポート」
みたいなものが紹介されていて、興味深かった。

TQ技術というのは、簡単にいうと「花が咲く時のエネルギー」。今は毎日大豆で味噌つくりを
しているけど、花が咲いたり、発芽したりするエネルギーというのは、まことに神秘的なものだ。
宇宙とか生命の領域は、「神域」に違いないが、だんだんナゾ説きが近づいてきた感がある。
「おわりが近い」証拠かもしれないけど・・・

今日は「書の会」
明日が「おんなかっぽれ」

今週で2月が終わりだ。一月はいく、二月は逃げる。もうすぐ春だ。
3月は、素敵なライブをみっつご用意。

23日(土)弾き語りシャンソン ライブ

演奏:・上原英里(ヴォーカル&ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

29日(金) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・藤田朗子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

30日(土)ボサノヴァ de 花見

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

月曜の朝は卵かけごはん

昨日は日曜日だった。いつもの日曜日と同じく、16時まで営業をやり、
それから「蕎麦打ち教室」。天真庵の酒をお願いしている酒屋の娘が初挑戦。
そばと酒は昔から、恋人同士みたいなもの。このお弟子様がそばをやると、家業はますます繁盛するだろう。
蕎麦屋で、まず「焼き味噌」とか「卵焼き」を頼み、一杯やることを「そば前」という。
開店して12年。うちの「そば前」は、四つ木の「杉浦酒店」である。世継ぎのSくんも
元気に幼稚園に通い始めた。かあちゃんが打つそばを横で興味深く見ていた。いい光景であり、よき後継でもある。

今日は少し曇っているけど、これから「卵かけごはん」
今日の夜は「論語の会」(順受の会)。
明日は「書の会」
水曜日が「おんなかっぽれ」

今週で2月が終わりだ。一月はいく、二月は逃げる。もうすぐ春だ。
3月は、素敵なライブをみっつご用意。

23日(土)弾き語りシャンソン ライブ

演奏:・上原英里(ヴォーカル&ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

29日(金) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・藤田朗子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

30日(土)ボサノヴァ de 花見

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

自由気ままに暮らし隊 隊長

昨日は天気予報では雨のはずだったけど、快晴だった。
IT企業と農業法人のふたつの社長をやっている友人から朝メールがきた。
「春一番のプレゼントをもって蕎麦を手繰りにいきます」とのこと。

開店と同時に美しい女性を連れてやってきた。お土産は、蕗の薹と菜の花。春の香りを都会に連れてきてもらった。
この人が連れてくる人は、不思議なんだけど、その後すぐに味噌作りに参加したり、
梅仕事を手伝いにきたり、濃茶を飲むように、濃い関係になることが多い。さっそく名刺を交換。

肩書が「自給自足で暮らし隊(随時隊員募集中)」だ。
「料理研究家」みたいに、いったもんがちみたいな肩書はあまたあれど、これは新鮮で感動的だ。
裏には、家族構成・・・・既婚 娘一人 息子一人 孫一人
その下に「いろいろな隊-隊員」の肩書が・・8つ  そのうち半分を紹介すると

自然農で自給自足し隊-隊員
古民家で暮らしたい-隊員
味噌・醤油を作り隊-隊員
いつも自由でい隊-隊員

なんとなく、こちとらと同じ系列のような「におい」がする。

はじめてなのであまり深くは聞かなかったが、今年中に「おひとり」で田舎へ移住する計画らしい。
「あたらしい女性の生き方のひとつ」だと痛感した。
帰りに「 啐啄焙煎塾」に入会するといって、元気に帰られた。

「啐啄」(そったく) 鳥の卵が孵化するとき、中からひな鳥がつつく。「啐」という。同時に親鳥
そこをつつく。「啄」という。親子の阿吽の呼吸の妙を語る言葉で、禅では「啐啄の機」とか「啐啄同時」
とかいって、その呼吸の大事さを説いてきた。まさに「悟り」とか「巣立ち」が感じられる
一日だった。

夜のヨガの時、蕗の薹を能登の塩でさっとゆがき、水でさらした後、かえしに少し砂糖を足して佃煮にした。
少しほろにがい春の香りを、梅林ガールズたちと味わった。彼女たちの出番も近い。能登の梅がまっておられる。

醸す

昨日の朝、近くの香取神社に散歩にいったら、梅が満開になった。
冬の寒さを耐え、春一番を告げるような華憐な梅の花。昨日もポカポカ陽気
だったので、どこか拍子抜けするような感じでもあるが・・

先月能登の梅茶翁の梅の木を剪定した。きっともうすぐあちらの梅も満開になるに違いない。
瑞穂(みずほ)という古式ゆかしい土地に、梅の木が20本ちょっとある。昨年は実家の父の具合が悪くなり、
小松空港から福岡にとんぼ返りをして、梅の収穫祭には参加できなかった。今年はまた梅林ガールズたちと、
梅仕事ができるのが楽しみである。近くのマルガージェラートも楽しみである。

何十回と読み直した本に「土を喰らう日々」というのがある。水上勉さんの本だ。
若いころ、若狭から京都の寺に預けられ、「典座」(てんぞ)よろしく、老師の食事や身の回り
の世話をしていたころに身につけた精進料理を書いた本だ。「梅仕事」を書いたところにこんな文
があり、何度かを読んだ時に赤鉛筆の線がひいてある。

手作り梅には、手をつくすだけの自分の歴史が、そこにまぶれついている。(略)
人は、手でつくることにおいて、はじめて自然の土と共にある。
たとえ、一粒の梅であれ葡萄であれ、西の人であれ、東の人であれ、ちがいはしない。

今日の夜は「ゆるゆるヨガ」
そういえば、昨日はじめて味噌作りにきた女性も、ヨガの先生だった。
薬膳料理の先生もやっているらしく、味噌つくりの後に、「中島屋」を飲みながら話が尽きなかった。
「菌活」で醸す仲間の輪も、静かに優美に広がっていく。

明日は日曜日。16時まで営業。それから「蕎麦打ち教室」
月曜日の朝は「卵かけごはん」

黒豆

今年の味噌作りも佳境を超え、ゴールが見えてきた。
昨日もそばのお弟子様や、お茶のお弟子様が5人こられ、にぎやかな「菌活日和」。

10年近くやっているけど、今年はじめての試みがある。
ひとつは、大分の耶馬渓に移住したTくんの自然農の大豆を希望者は使っている。できあがりは年末にしか
わからないけど、大豆を煮る香りが、滋味深く、発芽という神秘世界に誘われる感じ。

ふたつめは、「黒豆茶」をつくってもらっている四国の農家さんの黒豆を採用。
これは、水につけている段階で色が黒くなり、体によさそ。湯であがったものを、麹と塩で
まぜると、小豆アイス?みたいな色になり、つまみぐいしたくなる。(実際には塩辛いけど)
煮汁がすごい。「これメニューにいれたらどうですか?」と飲む人みんなが叫ぶ、くらい美味いし、体によさそうだ。
黒豆、黒ゴマなど、は昔から、女性、とくに子宮に病気がある人にはとくにいい、らしい。

黒豆は、大豆と同様、発芽の神秘の世界にあり、この覆われている黒い皮にはすごいパワーがあるらしい。
それはブルーベリーで有名になった「アントシアニン」。
「アントシアニン」とは抗酸化物質であるポリフェノールの一種で、老化の原因とされる活性酸素を抑える抗酸化作用があり、とくに女性や子宮にやさしい。

昨年仕込んだ「黒豆でつくった味噌」を来月あける予定。どんな味になっているかとても楽しみ。

今年試したみっつめ。これは、なんで今まで捨ててたんやろ?という「大豆の煮汁」。
これを味噌作りの後に手を洗い、その手をふく前に、大豆の煮汁につける。
平成生まれの人は、5つくらい若返る気分になるし、昭和生まれの人は、「私平成に生まれた?」くらいの「つるつる肌」
がよみがえってくる。

ここんところは能登から大きな寒ブリが二尾、まぐろが一尾飛んできて、開店前に「ひとり解体ショー」をやった。
魚には、どくとくの「匂い」があるけど、まな板や包丁を「大豆の煮汁」で洗うと、ウソのように消える。

今日も5人の味噌つくり。味噌汁は「飲む点滴」

ギバサ

昨日は春のようなポカポカ陽気だった。
2月は定休日も味噌作りをやるので、なんもない、ボーッと生きていられる唯一の休日だった。
青山の古本屋にいき、お茶の本と能の本や雑誌などを買い、老舗の喫茶店で珈琲を飲みながら読書。
その後少し界隈をぶらぶら散歩し、原宿駅まで歩いてjRにのり、大塚の骨董屋にいく。

そこは、マンションの一階にある。そのマンションは、30年くらい前に、ゴルフ仲間が住んで
いてよく車で迎えにいった。警察のOBで警備保障会社の社長だった。65を過ぎてゴルフを
はじめ、75歳くらいにゴルフ場で倒れ、すぐに天国に召された。それまでは釣りが趣味だったけど、
社長室にあったロッカーの中は、釣り竿がひしめいていた。ゴルフを始めたら、釣り道具は空になり、
その代わりにゴルフ道具がスーツなどの間にひしめき合っていた。もちろんパターの練習器具もそこにあった。

ゴルフを始めて同時に車の免許をとった。すぐに日産シーマを買った。まだゴーンはいないころのお話。
それから彼がぼくの家に迎えにくるようになった。高速で150キロくらいだして運転していた。
飲みすぎた朝など眠いのに、瞬きもできないくらい横に乗っていて緊張した。「つかまりますよ」
と注意しても「殺人以外なんとかなる」みたいなことを真顔で言う。その横顔を見ていると、ほんとうに
二人ともここで死ぬのではないか?という気持ちになったことを昨日のことのように覚えている。

ある夏の日、北海道にゴルフにいった。羽田空港の搭乗口で、彼が「ちょっと」といわれ、係員に持ち物のチェックが
かかった。ポケットあたりを上からチェックされている時、大きな声で「こんな屈辱初めてだ。やめてくれ」
と叫んだ。短気だけど、さっぱりした性格なので、そのまま機内に入ると上機嫌。
少し寒かったので大きな声で、乗務員さんに「キャディーさん、毛布もってきて」と大きな声で叫んだ。
もうゴルフ場にきているつもりだったのだろう。一時が万事そんな調子だった。今は昔の懐かしい先輩。

その一階の骨董屋にはずいぶん通った。表にはいい感じの蹲(つくばい)がおいてあり、いつも清らかな水がはってあった。
中に入ると、主人が丁寧に玉露を入れてくれた。錫の茶たくに六兵衛や道八の染付の煎茶碗ででてくる。
それを飲みながら、煎茶道具のことや掛け軸のことを語ってくれた・・・煎茶を正式に習おう、と思ったのは、ここの主人と
出会ったおかげだ。喜寿を迎えるころ、この骨董屋は緞帳を下げ、中国人がオーナーになった。
最初は電話も看板もそのまま使っていたが、今はかわった。中国と日本をいったりきたりしながら、
忙しそうに仕事をしている。ときどきいっては、前の主人が残してくれた煎茶道具などを買ったりしている。

帰りは大塚駅前から錦糸町までのバスの旅。ロッテ会館の近くの居酒屋に立ち寄り、「ギバサ」の豆腐あえ
などを酒肴に、3合だけ飲んで帰った。残念ながらギザサ風だった。アカモクだ。(ほんとうのギバサはホンダワラの若い芽。お店の人にはいわなかったけど・・)
能登でも「ギバサ」をよく食べる。義経が兄頼朝に追われ、奥州に逃げる時、最後の一目みたさに、能登のわらび姫のところに
立ち寄る。敵方の重鎮・平時忠の娘。その時えさがなくて、馬の脚にからみついた海藻を飼葉かわりにした。「義経の馬の海藻」で「義馬藻」(ギバソウ)
。それが「ギバサ」になり、能登から秋田あたりまで今もそう呼ばれている。半官贔屓の日本人は「義経」が大好きである。冬の奥能登の海は岩礁に
白い泡花が飛び交う。ふたりの儚い恋を今なお語っているがごとくに・・。

二月はそんなこんなで能登にいけなかった。3月が待ち遠しい。3月は素敵なコンサートが目白押上。

23日(土)弾き語りシャンソン ライブ

演奏:・上原英里(ヴォーカル&ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

29日(金) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・藤田朗子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

30日(土)ボサノヴァ de 花見

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

今日の東京は涙雨

久しぶりに雨が降るらしい。
今年は雨が少ないので、玄関の戸があきにくくなる。
打ち水をする時、残りの水を戸にかけると、スムーズに
開くようになる。建付けが悪いわけではない、家も生きているのだ。

先日、近くに住むMくんからショートメール。「こないだみた魯山人の小福茶碗いいですね。大兄も
お抹茶を飲まれては・・」みたいなことが書いてあった。返事に「今年は抹茶も日常の中に入れようと
思っている」とだしたら「健康的にですか?文化的にですか?」とかえってきた。「なんとなく抹茶を飲む」
と書いておくったら、電話がかかってきた。

「今のお抹茶は細かく挽きすぎて、繊維質が少ないらしい。
そこで粗びきにしたお抹茶をお客さんにいただいたので、半分おわけします」とのこと。健康的なお抹茶の紹介だ。
徒歩5分のところに住んでいながら、普段はショートメールでやりとりをすることが多いMだが、
時々電話がかかってきて、会うと、茶の原田先生を紹介してくれたり、骨董屋を紹介してくれたり、
不思議とこちらの半歩先につながる「こと」を紡いでくれる人だ。その「まめ」さに感謝。
一歩踏み込んで、「電話をする」ということがだんだんおっくうになってきた。反省。

そんなことを思っていると、古希から喜寿の間に違いないけど矍鑠としたご婦人がそばを手繰りにこられた。みごとに「おたぐり」
になった後、「今日は伝言をお伝えにきました」といい、「昨夜杉並に住む友人のSから電話があり、
わたくしの近くにひとりで住んでいた加藤雅子(仮名)さんが一月末に自宅で亡くなっていたことを、天真庵の主人に
連絡してほしい。加藤さんに連れられて、天真庵にそばを食べにいったことがあるので・・」
とのことだった。加藤さんは織田流煎茶道の先輩だ。ご主人に先立たれてからひとり暮らし。
すぐに家元に電話したら、「雅子ではなく、京子ですよ。人違いでなのでは・・」
とのこと。なんとなく、うん、そうか・・・と思いしばらく、「雅子さん」って誰だろうと思っていた。

夕方になって胸騒ぎがするので、加藤さんと親しかった茶の先輩に電話してみた。
「う~ん。彼女の可能性がある。一月の終わりにメールをしたけど、返事がこない。今までそんな
ことなかったけど、忙しくしているんだろう、と思っていた。ちょっと電話をしてみる」との
ことで中断。10分くらいして電話がなった。「携帯電話がつながらなくなっている」・・・

だしたメールに返事がない。そんなことは日常茶飯なことだが、そこに生き死にのことが存在することがある、
というのを実感した。これから「ひとり」で生活する人がますます多くなる。メールで「つながっている」
と思っていても、実は何も「つながっていない」ことと同義語でもある。
ときどきは電話をして、実際に会う、ということも大事なことやな、と思う。
その大先輩は、「今度機会があったら、このお店いって」といって「いいお店」を何軒も紹介してくれた。
そしてそのお店にいくとかならず、「彼女からです」といって、そのお店の料理にあうワインや日本酒がでてきた、そんな良き時代
の先輩でした。鎮魂。

卵かけごはん

昨日も開店から忙しく、二日続けて開店中にCDを
かえる暇もなく「ヤスクウケ」のピアノを日がな一日かけていた。
シャッター通りの十間橋通り、誰も歩いていないような東京の過疎地
によくきていただけるものだと、感謝。

日曜日なので16時に閉店し、味噌作りの人たちと近況を話ながら、すし会の準備。
別名「十間橋太郎をめざそうかい」というこの会は、基本的にぼくのそばや茶や珈琲
のお弟子さまが参加して、「すしを自分でにぎる」を基本ルールにしている。

昨日はファッション業界で活躍している人たちと、8人ですしをにぎにぎちぃーぱっぱ・・
2月11日さばいたマグロ。その日もうまかったけど、4日5日冷蔵庫で寝かしたものがよりうまい。
なので4日たって冷凍庫にいれたものを自然解凍して、食べた。その味は筆舌が及ばぬほどうまい。
全国いろんな場所にいって展示会やファッションショーなどをやる連中なので、これからは
全国に「十間橋次郎」が増えていくに違いない。

今日はこれから「卵かけごはん」  今日も明日も味噌作り。100人の家庭の味噌をつくる。
ちょうど折り返し地点から少しいった感じ。今日も東京は晴天なり。

♪梅が咲いた 梅が咲いた まっかな梅が

バラが咲いた、の替え歌?
昨日、いつものように近くの香取神社に散歩にいったら、神主さんや地元のお歴々?
みたいな人が集まっていた。この界隈は「梅園」として江戸時代は名所だったところ。
昨日は「梅まつり?」 そんな感じだった。

昨日は開店早々からお祭りのように人がいっぱいきてくれて、2時過ぎに蕎麦が売り切れた。
味噌作りの準備などがあり追い打ちはせず、そのまま鍋の中は、「政治家状態」(ゆーだけ)。
昨日は5人味噌作りにきた。

二階では「普茶料理の会」
4人で畳の上のテーブルを囲み、大皿にのった蕎麦豆腐、そば寿司などを、分けて食べる。
隠元和尚が伝えた料理なので、中華料理のような風情がある。ただし、基本的に魚や肉はださない。
だから、昔から「もどき料理」といって、うなぎのかば焼き風なものを、豆腐や山芋をつかってつくったり、
かまぼこや卵も「もどき」を工夫しながらつくった。宇治の黄檗山や京都では、普茶料理のお店がある。
昨日は北海道と沖縄の人が飛行機にのって普茶料理の会に参加された。
東京は梅も咲く小春日和だったけど、沖縄は24度あったらしく、その人はホッカイロをしても寒い
といっていた。ホッカイドウの人は、夏みたいといってコートをぬいでおいでになった。
日本列島も広い。

今日は日曜日なので、16時閉店。味噌作りは夜まである。
夜二階では「気骨のすし会」  今年五回目。今日は平均年齢が30歳くらいで、
ファッション業界で大活躍しているアーティスト6名のすし会。
どの世界でもそうだけど、「芸術」というものの根本のところに「食」がある。
ただ専門分野を浅くやっているような人は、一流にはなれない。
朝から久保さんの器などを選びながら、準備に忙しい。
精進料理をやったり、すしをやったり、着せ替え人形みたいに変化しておもしろい。感謝。

明日の朝は「卵かけごはん」

アンヂェラスのケーキ

バレンタインの日、かいらしいお弟子さまが、「チョコレートかわりの義理ロールケーキ」といって
アンヂェラスのケーキをもってきてくれた。浅草の仲見世で働いている子で、こないだは「天真庵」と書いた
千寿札風シールもいただき、自家製の柚子胡椒に貼っている。

70年以上も続く浅草のカフェで、芸者や芸人や江戸っ子が「モボ」とか「モガ」とか
呼び合っている時代から流行った老舗。突然来月に閉店するので、朝から行列で、ロールケーキ
が品薄状態らしい。
この店の名物に「ダッチ珈琲」がある。水出し珈琲のこと。それに自家製の梅酒を入れて飲む。
奇妙キテレツな組み合わせだけど、70年以上愛されたドリンクだ。閉店後に天真庵の新メニューにしようか?
実はときどき、うちの水出し珈琲に自家製の梅酒を入れて飲んだりする。いい塩梅だ。

浅草に江戸時代から続く銭湯で「蛇骨湯」(じゃこつゆ)というのもある。ここも今年緞帳を下げる。
知ってのとおり、浅草は朝から外国人でにぎわっていて、ホテルなど再開発がすすんでいる。
観光立国として生きていくことは大事なことやけど、その陰で大事なもんが失われていく。
京都や金沢なんかもしかり。経済は「お金」が最優先だけど、お金で買えない価値あるものが、
どんどんなくなっていく。

今日明日は味噌作りのピーク。
今日は二階で「普茶料理の会」  二月は「すし会」と「そば会」が目白押上。感謝。