ホンモノの陶器は師匠だ。

昔の日本の家は、どこも床の間があった。掛け軸がかかり、
季節の花が花器に投げ入れられ、香炉にお香の香りが煙たっていた。
日本中のどの家も、「小さな美術館」だった。今は昔。

昨日は銀座の骨董屋をまわった。やはり世界の東京の銀座、ギャラリーや骨董屋も
緞帳を下げるお店も多いけど、残っているところは、みなホンモノであり、ホンモノを
扱っている。久保さんと最初に出会ったのも、銀座のギャラリーで彼が陶展をやっていた時。
もう20有余年前の話だ。

それから三重のアトリエにお邪魔して、焼き締めの急須をいただいた。今でもぼくのお点前用
の茶櫃には、「やまがら」のような風合いのその急須が入ってある。奇しくも、その翌年に
織田流煎茶道の家元と青山のギャラリーで出会い、そのまま入門し、今では煎茶を教えるような立場にある。
いわば、いとつの「急須」が、師匠みたいなもんや。
昨日銀座にもっていった陶器は「ロ」の、「小福茶碗」。昔は旅にお茶道具を持参して茶を
楽しんだので「旅茶碗」ともいう。

「ロ」は「器は料理の着物」という名言をはいた。世間的には、偏屈じいさんで通っていたふしがあるけど、
彼の作品や著作を読むと、「大きな人間力」なるものを感じること多し、だ。
「美術品は人生の先生だ」ともいった。けだし名言。

「ギャラリーアビアント」で「生井厳展」をやっている。(30日まで)
天真庵のHPに「寒山拾得美術館」という部屋があり、その中に入ると、1996年
ころからの天真庵の写真が飾ってある。1997年?に尺八を弾いてる生井さんの写真。
うちではじめてライブをやってくれた人だ。60歳の時に脳梗塞になり、70歳で
ガンで「余命三か月」と宣告されたけど、「あ、そうですか」といったきり飄々と
生き、絵をかきつづけている。
その70歳の時、もらった賀状には、自作の戒名が最後に書かれていた。

「前立腺院癌山居士」

こんな人は、末期ガンも閻魔も歯がたたないらしい。彼もまた「人生の師」
である。「うんこビル」の近くのギャラリー。人生をこれから楽しくいきたい、
という人は、ぜひのぞいてみてやってください。感謝。