能登ではマグロの稚魚(といっても40cmくらい)をシビコと呼ぶ。
さばをさばいたお礼?にいただいた。昨日はさっそくそれをさばいて、近所の人にお裾分け。
「うめ星」のふるさと、「隕石直売所」がスカイツリーの麓にある。店主は同郷でもあり、
「うめ星プロジェクト」の同志でもあり、魚好きでもあるので、さっそく「メジコ」と依頼されていた
「麦茶」をもっていく。さっそく「お茶でもどうぞ(喫茶去)」で、うめ星入りのガラスのカップで
初煎会よろしく、小さなお茶会のような素敵なひとときをご一緒した。
お茶というと、お点前とか形式が優先するけど、それにこだわりすぎると「修業」の域を超えられない。
「自分」というのが出すぎてしまう。「おもてなし」というのは、あくまで「利他」、つまり相手の方に
重点をおいて自然体で茶を施す。それがほんらいの「修行」である。まだ主人は40前で、自分のせがれのような若者
ではあるが、なかなか教えられるもの多し、でもある。
アメリカの天文学の権威者グループが昨年末に「宇宙人 UFO」の存在を認める論文を公開した。
そもそも、この星の中では、生きとし生けるものの最高峰に「人間」が君臨しているかのごとく、威張って
いるのだが、広い宇宙の中にあって、われわれだけが「特別」である、というのは、はなはだ井の中の蛙以下の発想である。
福岡に隕石が落ちた、というわれる神社がある。山口の「下松」(くだまつ)という場所も、「松が下ってきた」
という地名よろしく、隕石の伝説をもった神社がある。能登の羽咋(はくい)というところも、同じような言い伝えがあって、
「コスモアイランド?」だったか、宇宙をテーマにして、村おこしに成功された。
大所高所にたって、発想を自由にして、物事をすすめていくと、小さい次元で右往左往している小さな自分を笑うことができる。
松、というのは、この地球ではじめてできた植物、ということになっている。
でも下松の言い伝えのように、植物もひょっとしたら、宇宙から下ってきた、という可能性もなきにしもあらずだ。
「天真庵」のHPに、「うめ星」の実験写真がいっぱい掲載してある。毎日、ごはんを焚いたり、珈琲やお茶を入れたりする時、
「うめ星」を使っているけど、人参の実験をした時、「この地球上の常識を超えた何か」を感じた。
サムシンググレート、というか、人知を超えたところの「何か」は、ロマンがいっぱいある。
今日から通常営業。夜はかすみちゃんの「ゆるゆるヨガ」 呼吸を整えて、宇宙の波動にあわせて自然体にする・・・
お茶やお花と同様、「道」なる命を体感できる。そんなことを知らずに死んでいくのもいいけど、知るともっといい。
ボーと生きていくのも一生だけど・・
明日は「満つまめの会」 お店は16時までで「蕎麦打ち教室」が始まる。