向田邦子さんのエッセーに「眠る盃」というのがある。
先月実家の本棚の片隅にあったので、隣の隣のボンに「押し売り」ならぬ「おしあげ」
をし、「これはかあちゃんにあげて」と渡した。
土井晩翠のうたで「荒城の月」というのがある。
♪春 高楼の花の宴 巡る盃影さして 千代の松が枝(え)分け出でし 昔の 光今いづこ
秋 陣営の霜の色 鳴きゆく雁(かり)の数見せて 植うる剣(つるぎ)に照り 沿ひし 昔の光今いづこ
彼女は昔、「巡る盃」を「眠る盃」とづっと勘違いしていた。人にはそんな思いでがひとつやふたつあるのでしょう・・・
そんなエッセーが入ったおもしろいエッセー本だ。
ぼくの古い友で、共同通信の記者をしていたやつが、飲むと「おんなひとり」を歌った。
♪ 京都大原三千院恋に疲れた女が一人結城に潮風 のすがきの帯が池の水面に揺れていた京都大原三千院恋に疲れた女が一人
この「三千院」を「三千寺」と歌っていた。「京都にはそんな寺ないぞ」と何度もいったけど、48歳で召されるまで飲むと
「さんぜんじ」と歌っていた。
昨日は父親が生きていたら94回目の誕生日。母と妹は実家にもどって、お祝いをしたらしい。
亡くなった人とは、自分も黄泉の国にいかないと会えない、とは限らない。「忍ぶこころ」
の中に、いつまでも生きているようにも思う。
父が生前つかっていた久保さんの斑唐津の盃を東京にもちかえった。昨日は皇室御用達の「御苑」(みその)を
その盃で飲んだ。暮れと正月の疲れもあり、すぐに酩酊して寝た。これもまた「巡る盃」であり、「眠る盃」
でもある。
明日は「お休み」
今月26日に予定していたギターのライブですが、仲内拓磨さんが手を骨折したため中止になりました。
手術をして開腹したら、必ずリベンジいたします。悪しからず!