無用の用

昨日は「用の美」にふれた。
ようするに、「使えないものはダメだ」ということ。
煎茶ブームで、急須が海外の人に売れているらしい。
どこのギャラリーにいっても、あふれている。でも
「使える」ものは、あまり最近みない。急須を見れば、陶芸家の「手」がわかる。
ぼくは、毎日久保さんの焼き締めの急須でお茶を入れる。20年以上使っている。

でもつまらないし、きれがいい。(茶がまわらない)。
ただし、最近はやりの「深蒸し茶」は、ベターッとだらしなく葉がひろがるので、
いい急須には向いていないような気がする。ちゃんと手で一芯二葉でつんだ茶
を使うときこそ、用の美の神髄がわかる。

最近、「ラボット」(ラブ ロボット なる言霊)が話題になっている。情熱大陸でも
取り上げられ、知らない人も知っているようなニュース。
このプロジェクトに友人(正確には、そばのお弟子様)がかかわっていて、秘守義務があったので
黙っていたけど、このロボットのコンセプトは「役に立たない」ということ。
つまり「無用の用」を開発の中心にしている。
スイッチひとつで何でもでき、悩む暇もないくらい情報があふれ、スマホやAIが進化しつづけ、
自動車も自動運転がまじかで、空まで飛ばそう・・・・

そんな中で「役にはたたない でもいるとかわいい」
そんなコンセプトが、温故知新で斬新だ。便利なものを追求していくと、しまいには
チャップリンの「モダンタイムス」よろしく、人間の存在理由がなくなる。
今の時代は、まさにその地獄の入り口のようなとこかもなんばん。

床の間に「歌川芳春」の寒山拾得を飾ってある。
寒山拾得が、坊さんや絵描きが好んで描いた理由も、まさに「無用の用」や「知足」(足るを知る)
の世界を表現するためである。掛け軸、そのものも、ある意味「無用の用」かも。
でも、これを床の間にかけ、季節の花を投げ入れ、お香を焚く、と「凛」がただよう。
日本人はそんな風雅な美意識を日常に楽しんできた民族だ。今は滅びにいたるような風前の灯だが・・

今日から3日間、「年越しそば」を打つ。
本日二階ではまーくんが「満つまめの会」 世の中が渾沌としてくると、
一番大切なことは、「自分の生き方をちゃんとする」ことだ。
そのために大事なことは「健康」
一に健康 二に健康 三四がなくて 五は「遊び?」「哲?」