安夜香炉  今日はライブなので16時閉店。

実家の本を整理していたら、志賀直哉の「暗夜行路」があった。高校時代に
読んだものだ。ブックカバーが小倉の本屋になっているので、あるいは、予備校時代
に読んだのだろう。

実家の本がかたづくと、「居場所」がなくなる寂寥感がある。
仏壇も整理され、線香をあげる場所もなくなった。「わたしはここにいません」
という声は聞こえないけど、亡くなった親や先祖は、仏壇の前でなくても、どこでも
「思いをはせれば」、いつでも会える気がする。昨日、そんなこちらの気持ちを察してか?
久保さんから、「線香を立てるのではなく、寝かせて使える香炉」がおくられてきた。

火が危ないからということで、葬儀場で「電気の蝋燭」をもらった。しばらく使っていたけど、
なんとなく違和感があったので、捨てた。やはり「火」というのは人間が発見した神事にかかせぬものだ。
線香も同じようなリスクヘッジで、最近は短いものや、蚊取り線香型のものなどがでまわっているけど、
なんとなく違和感がある。あの長さは、きっと「拝むに必要な時間」が計算されているのではなかろうか?
一日に一回は、ゆったりした気持ちで線香の香りにつつまれながら先祖に感謝するくらいの気持ちは必要かも。
「火をつけても安心だし、黄泉(よみ)の国におられる先祖さんたちの供養にもなる香炉」で、名付けて「安夜香炉」。
茶道具としてもなかなかいかしたフォルムだ。一家にひとつ置かれるようになると、まだ日本人が残っていく、そんな気がする。

最近まわりで、離婚する人が多い。天真庵のトイレには、「夫婦がうまくいくコツ」のような詩が
飾ってある。誰から結婚式の祝辞で述べた言葉らしい。若いカップルは、「夢いっぱい」でボリボリ
馬耳東風だろうが、「結婚生活は忍耐の場だ」などと悟ってくると、「なるほど」というものがいっぱいつまっている。

「こんな詩」

2人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい

立派すぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい

2人のうちどちらかが ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても 非難できる資格が
自分にあったかどうか あとで 疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい

立派でありたいとか 正しくありたいとかいう
無理な緊張には 色目をつかわず ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい

健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい
そして なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても 2人にはわかるのであってほしい