ご志納

「ごしのう」
この町にきてはじめて、知った。「寸志」とはニュアンスが近いけど・・
「畑を借りる」「車庫につかう土地を借りる」・・・そんな場合「ごしのう」
といって、年に一回お支払いをする。ちなみに、車庫のある土地は、隣の集落の人の
持ち物。先日、棚田のビュースポットのあるその集落のおばあちゃんに「ごしのう」にいってきた。
年間5千円。車庫の土地と後ろの畑つき。「原始的ぶつぶつ交換」の原点みたいなとこが、暮らし
の中にいっぱい残っている。「ゆたかさ」を感じること多し、だ。

これから東京。畑が隣のおばあちゃんが「明日、野菜を倉庫のところに置いていくから、東京にもっていって」
とのこと。「春には、おたくの畑のサツキを楽しみ、秋は栗とか柿をもらったお礼」とのこと。
愛情たっぷりな大根とかキャベツや白菜をいっぱいもらった。

昨日の「森信三」語録から・・・

「知的障害者や身障児を持つ親は、悲観の極、必ず一度はこの子と共に身を滅したいとの念いに駆られるらしいが、
しかもその果てには、必ず、この子のおかげで人間としての眼を開かせてもらえたという自覚に至るようである。」(信三)

この季節は年賀状を準備する。「年年歳歳・・・変わらぬことのおおかりき」を嘆くことしきり。
でもほんとうは「念々死を覚悟して初めて真の生となる」らしい。そうありたいものだ・・
昨日は、大学の後輩が北海道からおくってくれたショコラのクッキーとハーブティーを飲みながら、
「哲」させられた。かえるちゃんありがとう。感謝。