サムタイム

昨日は、大石学&杉山千絵さんのライブだった。
大石さんのピアノと京女の千絵さんの歌・口笛・トークが絶妙で
京都の河原町の路地裏のジャズバーで飲んでいるような気分になった。

今日は吉祥寺の「サムタイム」で、ふたりは昼ライブをやる。東京のジャズの老舗。
こんどの二人の「CD」も素敵なので、吉祥寺土産にしてください。
「サムタイム」・・・ときどき

ピアノの横に南條先生が書いた「泣くも 笑うも 人生よ」という額がある。
先日の国貞雅子のライブの時、彼女がなんども大きな声で「そうよ・・みなさん・・泣くも笑うも人生よ」
と叫んだ。ときどき、人の琴線にふれるようだ。

能登の「寒山拾得美術館」には、南條先生の額がいくつも飾ってある。床の間の脇の棚に
小さな額があり、「さざえ」がふたつかかれてあり、そこの「ときどきは外を見る」と
いうのがある。鎧兜みたいなスーツきて、まわりは競争相手ばかりで、SNSみたいな顔も見えない
世界と繋がっている(もしかして、つながりたくない)ような毎日。きっと疲れるよね。

「ときどきはライブにいく」「ときどきは田舎にかえる」「ときどきは掃除をする」「ときどきは銭湯にいく」
「ときどきは居酒屋にいく」「ときどきはアホになる」・・いろんな「サムタイム」がおもしろい。

昨日はMさん(一度聞いたらわすれられない名前)がきてくれた。
ぼくの主催していた「業界団体」に参加されてからの付き合いで、30年近くつきあっている。
IT企業と農業法人の社長でもあり、南島原の蕎麦会や能登の梅仕事にも参加してもらった。
「なにをやってもうまくいくひと」ということで、みなに紹介する人。昨日は「能登で蒔いて」と蕎麦の種をくれた。
彼がときどき、その業界団体に所属していた人を連れて蕎麦を手繰りにくる。
100社くらいのコミュニティーではあったけど、ITというポッとでの人間の集団で
あったので、ぼくには見えてなかった話が聞けて、いまさらながら「人の勉強」をさせてもらったり反省することしきりの毎日。
「先生」とか「社長」とか「理事長」とか言われている間は「ダメ」だと痛感する。

明日は「順受の会」 23年続く論語の会。
20年くらいは、天真庵を会場にしてくれている。
「ときどきはいってみるか」という人も参加されにぎやかに忘年会、忘平成会ができそうだ。
古い友人でもある「ひとりの男」をデキンにした。個人的な好き嫌い、でデキンにするほど、いい商売ではない。
「もてなす」というのは、ある意味、命がけでやらないといけない場合もある。美人キャスターが「お・も・て・な・し」
でボリボリする(東京オリンピックのCM)ほど簡単ではない。
ちっぽけな店だけど、小さな単位ながら「家族」のようなコミュニティーが形成される。そこには「ルール」がある。
ルールを守れない人には去っていってもらうしかない。

「お金を借りるのがうまく、ぜったい返さない人」や「信仰の自由をたてに特定宗教に勧誘する人」・・・
そんな人はどの会にも参加してほしくない。

時代小説にでてくる詐話師の話など、読んでいても少し笑える人情味なんかがあるけど、最近の
詐欺師や詐話師の話は、時代を反映しているのか、ささくれだった話が多い。しかもSNSなどを巧みに
利用するので、なおさらたちが悪い。

えらそうなこといいながら、骨董屋に借金がある身。
暮れまでには、返さないとぼくも「デキン」になる。くわばらくわばら・・・

二階では「満つまめの会」  今日は16時閉店。それから「蕎麦打ち教室」
明後日から「能登」
いよいよ「自分で年越しそばを打つ会」や「年越しそば」の注文がきはじめた。感謝。