奇人列伝

昔から普通の人よりも、奇人変人といわれる人のほうがおもしろい。
普通の人の基準で見るから「奇人」だけど、自然の目でみると、そちらのほうが普通かもしれない。
江戸時代に文人茶として流行した煎茶の世界にも、あまたの「奇人」がいて、
伴蒿蹊の著した『近世畸人伝』を読みながら煎茶を飲むと、江戸時代にスリップする旅気分になる。

その本の中に、池大雅と奥方の玉蘭が紹介されている。ある日大雅が写生ででかけるのに、筆を忘れて
いった。おいかけて筆を渡そうとする玉蘭に「どちらさまか存じませんが、ご親切にありがとう」
みたいなことをいった、というような逸話が紹介されていた。

こないだの京都工芸繊維大学のOBの会に、ぼくの煎茶のお弟子様がいて、二階に飾ってあった玉蘭の絵
にくいついた。「この掛け軸の写真を撮っていいですか」という。
彼も絵をたしなみ、外国で個展をやるくらいの腕前で、お茶の手前も無手勝手流ながら、それらしき風格がある。
玉蘭の絵は、古信楽の破れ壺らしきものと蘭の葉が描かれていて、そこに祇園の芸子が詩をさらさらと揮毫している。
その詩を読み解きたい、らしい。その軸を手に入れた銀座の骨董屋は、東大をでて高級官僚をやっていたが、
野にくだって骨董屋になった。池大雅の研究家としても知られた。箱の中には、そのおやじの解説文もある。
でも、少し納得いかぬところがあるらしく、今朝メールで「読み解いた」というのが届いた。
こんな奇人がまわりにいると、人生は10倍楽しくなる。

そゝ出で 葉色艶やかに清く
咲そふ花の處 芳しく
にほひみちぬれば 山林閑居も
かくれえぬものから あかず愛ずる
こそいとめでたけれ

これを書いた芸子さんも「近世畸人伝」に連なる奇人である。