耶馬渓の風

今年の6月に、大阪の泉大津から門司港までの阪九フェリーの中で、平魚泳さん家族
がライブをやった。そのフェリーでは、30分ほどライブをやると、乗船料が一人分免除される。
遠距離のトラックの運ちゃんや、遠くからの旅人たちは、車の運転からひと時離れ、露天風呂も
あるので、空の青や海の青を眺めながら、ひとっ風呂あび、沈む夕陽を眺めながら食事をし、
その後でライブを聴く、というのは至福の時間である。

ライブが終わった後、彼らのCDを買いながら、四方山話をしていた。
ふと7年前に耶馬渓(やばけい)に移り住んだTくんの話をしたら、
「こないだまで、隣同志でした」という不思議な偶然にビックリした。
そして、9月に天真庵でライブをやってもらった。

昨日そのTくんが、7年ぶりに天真庵に蕎麦を手繰りにきた。
手土産に彼がつくった無農薬のお米をもらった。大豆も無農薬でつくっているというので、
来年の菌活の会(味噌作り)には、耶馬渓産の大豆も加わることになった。

「不思議な関係性」というか、いろいろ縁ある人が、縁ある地方に移り住んで、
梅林を整えたり、漁師になったり、田んぼや畑をやったりしている。またその人
たちが、里帰りのように天真庵にきてくれる。それに影響され、ダウンシフターズ(減速生産者)
になろう、という若者もつぎつぎと現れ、地方に移住したり、ぼくらみたいに地方と都会との
「二股生活」をしたりする人が増えてきた。まるで「@都会と田舎の鏡屋敷」みたい。

昨日の夜は二階で「普茶料理の会」
「普く大衆に茶を施す」という意味で、江戸時代に隠元和尚が中国から宇治の黄檗山に
きて伝えた料理。宇治にくる前に長崎にいたので、長崎にも「しっぽく料理」
という精進料理が伝わった。隠元豆というように、当時としては新しい野菜も
中国から伝えてくれ、お茶と禅をその地に根ずかせてくれた。
時々天真庵の二階でのお茶会に、隠元和尚の掛け軸を披露することもある。

今日は二階では「満つまめの会」
夜は「英語でそば会」

明日はお店は休みだけど、国貞雅子のライブ。できたてのほやほやのCDを携えてやってくる。楽しみ。
木曜も休みだけど、午前中は「焙煎教室」で夜は「おとこかっぽれ」

年末の「自分でそばを打つ」というやつも、予定表がぼつぼつうまってきた。