泣くも笑うも 最後の日・・

年末の3日は「年越しそばを自分で打つ」というのと、「お持ち帰り」
をやっている。29日は初心者組。だいたい2時間くらいかかる。(ひとり)
昨日今日はベテラン組。昨日の一番は、ぼくの押上の「一番弟子」。家族が増えて
2.4K(普通の3倍)をさくさくと打つ。還暦を超えたけど、ゴルフは片手シングルで
先日も生涯3度目のホールインワンを達成した怪物くんである。こんな元気な60代
が増えると、日本もまだまだ元気だ。

その次は織田流煎茶道の先生。今年のはじめ、能登へ片足をシフトしたので、「無茶しいの会」
をいったん閉じた。その中でも熱心な女子がいたので、彼女に指導を引き継いでもらった。
「そば懐石」とか「普茶料理」みたいな伝統をなんとか引き継いでいってほしい期待の先生。
いいそばが打てた。

深谷ネギをつくっている友人が、午後、深谷からそばを打ちにきた。
するとそこに、埼玉と栃木の境界あたりにある「古賀」から、常連さんが走って蕎麦をとりにきた。
「約65kあって、7時間弱できました」とさらりといって、カウンターで酒を3合飲んでいった。
ねぎの神様もびっくりして、蕎麦を打ったあと、カウンターでふたりで話ながら3合飲んで帰った。
もちろん、その青年は帰りは「電車」で帰った。

今日は、10時から夕方までびっしり「そばもん」がやってくる。

時代が大きく変わろうとしている。そんな時は、変化が起こらなかった「少し前の生活」
に焦点をあててみると、「時代を生き抜くヒント」がいっぱいつまっているように思う。
「自給自足」といかないまでも、「安全なもの、自分でできることは自分でする」
と思うと、生活スタイルがかわって、キラキラするものも見えてくる。
毎日食べる「味噌」や「梅干し」「醤油」(これはやったことがない・・)、ハレの日に食べる「そば」
くらいは、自分で打ちたいものだ。

ぼくは来年は「蛸とり名人」を目指そうと思っている。不幸にもこれまで「不耕な都会人」だったので、
百姓をしながら百笑できるような後半戦を過ごしていきたいと思う。
いろいろなことがあったけど、新しい一ページをめくる準備はできたかな、と思う。感謝。

明日から正月3日は、営業。

無用の用

昨日は「用の美」にふれた。
ようするに、「使えないものはダメだ」ということ。
煎茶ブームで、急須が海外の人に売れているらしい。
どこのギャラリーにいっても、あふれている。でも
「使える」ものは、あまり最近みない。急須を見れば、陶芸家の「手」がわかる。
ぼくは、毎日久保さんの焼き締めの急須でお茶を入れる。20年以上使っている。

でもつまらないし、きれがいい。(茶がまわらない)。
ただし、最近はやりの「深蒸し茶」は、ベターッとだらしなく葉がひろがるので、
いい急須には向いていないような気がする。ちゃんと手で一芯二葉でつんだ茶
を使うときこそ、用の美の神髄がわかる。

最近、「ラボット」(ラブ ロボット なる言霊)が話題になっている。情熱大陸でも
取り上げられ、知らない人も知っているようなニュース。
このプロジェクトに友人(正確には、そばのお弟子様)がかかわっていて、秘守義務があったので
黙っていたけど、このロボットのコンセプトは「役に立たない」ということ。
つまり「無用の用」を開発の中心にしている。
スイッチひとつで何でもでき、悩む暇もないくらい情報があふれ、スマホやAIが進化しつづけ、
自動車も自動運転がまじかで、空まで飛ばそう・・・・

そんな中で「役にはたたない でもいるとかわいい」
そんなコンセプトが、温故知新で斬新だ。便利なものを追求していくと、しまいには
チャップリンの「モダンタイムス」よろしく、人間の存在理由がなくなる。
今の時代は、まさにその地獄の入り口のようなとこかもなんばん。

床の間に「歌川芳春」の寒山拾得を飾ってある。
寒山拾得が、坊さんや絵描きが好んで描いた理由も、まさに「無用の用」や「知足」(足るを知る)
の世界を表現するためである。掛け軸、そのものも、ある意味「無用の用」かも。
でも、これを床の間にかけ、季節の花を投げ入れ、お香を焚く、と「凛」がただよう。
日本人はそんな風雅な美意識を日常に楽しんできた民族だ。今は滅びにいたるような風前の灯だが・・

今日から3日間、「年越しそば」を打つ。
本日二階ではまーくんが「満つまめの会」 世の中が渾沌としてくると、
一番大切なことは、「自分の生き方をちゃんとする」ことだ。
そのために大事なことは「健康」
一に健康 二に健康 三四がなくて 五は「遊び?」「哲?」

今日まで通常営業 明日からは「年越しそば」モード

水曜日は歯医者にいって、夜がかっぽれ。
なほちゃんが、ピアノを弾いてくれたり、けいちゃんが三味線で端唄をやってくれたり、
にぎやかな忘年会になった。みんなかなり飲んでいったけど、十間橋から飛び降りたりするほどバカく
ないので大丈夫。

昨日は酒々井の蕎麦屋「蕎麦みなもと」に年越しそば用の蕎麦をとりにいった。近くにアウトレットができたりして、
道が整備され、インターからのアクセスがすごくよくなってきた。開店以来12年そば粉をお世話に
なっているお店。お店の前がそば畑。秋には白い花の絨毯ができ、日本ミツバチが楽しげに遊んでいる。

13年くらい前。目白の「ヨネクラボクシング」(会長の体調不良で昨年緞帳を下げた)で汗をかいた後、
「S」さんという骨董屋で四方山話をしていた。彼は「使い古した珈琲屋のネル」に美を見出すような不思議な人で、その世界では重鎮である。
よくその世界では「用の美」というけど、「用の後の美」みたいな・・
寿司は博多のYがいい、なんていう話になり、「蕎麦は?」と聞くと、にやりと笑い、「この近くのIというところが美味い。女性が打つのですが・・」
ということになった。さっそくその足でIにいき、蕎麦を手繰る。さすがsさんの舌を魅了した味だった。そこの美人女将が毎日打って
いた蕎麦が「みなもと」のそば粉だった。その縁で天真庵では12年間、酒々井産の蕎麦粉を使っている。

あれから時が12年、つまり干支がひとまわりした。
Iもお店を閉店し、ぼくに蕎麦を教えてくれた高橋さんも体調をこわし、九州の蕎麦屋は開店休業のような次第。
ネルドリップの博多の「美味」のマスターも鬼籍にはいられた。寿司屋のYは、星野村の茶会であったきりだが、お店は
相変わらず繁盛している様子。ただし、半分が中国人、というのも、時代の流れかもなんばん。

来年の干支は猪。先月、能登の家の畑を耕してくれた形跡がある。あちこちで畑を荒らしているようだ。
そばも芽がでると、鹿に食べられたり、その後に🐗がきたり、で大変らしい。
でも結局は、この地球の環境を破壊してきたぼくたち人間のツケだ。
電気を張り巡らせた柵をつくる。その中で畑作業をしていると、まるで「人間のいる動物園」だ。
よくよく鳥瞰図みたいな視点で眺めてみると、私たちの住んでいるところは、みな動物園かも。
とくに東京は「世界一」なんじゃない?いろんなめずらしい国から、いろんな種類の「にんげん」が集まっている。

発売日にまさこが来た

昨日はクリスマスイブ。
回転と同時にごったがえしていたけど、3時前には
落ち着いた。クリスマスだし、ワインでも飲もうかな・・
などと思っていたら、生・国貞雅子が玄関から入ってきた。

さっそく新しいCDと予約のお客さんのCDにサインをしてもらった。
往年のニューヨークで活躍したジャズのジャケットのようだ。
夜はグレコでライブなので、酒を飲まず、珈琲を一杯飲んで
いった。来年は大きく羽ばたいて、世界を舞台にしてほしいものだ。

年末の「年越しそば」の注文も終わる。今年は蕎麦のできが悪い。
あの夏の暑さと、大雨や台風地震の影響でどこも今いち。
今年はほんとうに「天変地異」の一年だった。当たり前に思っていることが、
当たり前でなく、ありがたいものだ、というのを感じた一年。
今日と同じ日が続くとは限らない、突然日常の生活が壊れたり、命を召されたり
するのが日常茶飯になってきた。だから一杯のお茶やごはんにも、感謝せんとあかんね、ほんま。

今日は「書の会」
京都のお坊さんみたいに「災」でも揮毫しようかな。同じさいなら「祭」のほうがいいか。
ほなさいなら。感謝。

Stand 今日発売!

まさこ、こと国貞雅子の新しいCD「Stand」が今日発売になる。
今月のはじめに天真庵でライブをやった時、サンプル版を置いていった。
それを聴いていたら、「満つまめの会」(気功整体)のマ-くんが、
「施術中にお客さんにも聴かせたい」というので、昨日はひがな「Stand」
が二階で流れていた。

年末で連休中だったこともあり、一階のお店も蕎麦を手繰る音、カウンターの常連客は「能登」
という雑誌を読んでいたり、ケロリンの話などをしながら、休日を楽しんでおられた。
「年越しそば」を注文にくる人たちも、正月用に「いぶりがっこ」を買っていかれたらり・・・
なんとなく「年末気分」。
12年お店をやってきたけど、初めて「正月三が日に営業する」。田舎に帰らない人、仕事で帰れない
人たちと新年を共に過ごそうと思う。今年は月中の10日間くらいを休みにして、能登と福岡と東京の
「三つ又暮らし」の実験をした。来年は東京にいる時間がもっと短くなる気もする。初めて正月をシェアリング。

今日は大塚の「グレコ」というジャズがメインのライブハウスで国貞雅子のライブがある。
折戸通り、といって、串駒さんや「ますみ」という経師屋さんのある通りにある。
ママさんがきれいで、近くだったこともあり、よく通った。
ぼくのそばのあまり優秀でないお弟子さまのMに、「まさこのCDを4枚買いなさい」
とショートメールをしたら、「24日に生のライブにいきます」と返事がきた。
「クリスマスなので、かわいらしい女子といくように」と、説教がましいメールで返したら
「G弁護士といきます」とかえってきた。

ぼくの会社ややっていた組合の顧問弁護士(両方とも貧乏してたので顧問料は格安だった)。さっそくG弁護士にもショ-トメールで
「まさこの新しいCDを45枚買うように・・」とおくる。45枚と思ったのか(シゴマイのつもり)
「そんなに買っても・・」とかえってきたので、「まわりの友達や困ったお客さんにわたして」
と返事をした。長い付き合いでもメールでやりとりすると、うまくつたわらない。
同じくM氏にも「まさこのCDを45枚買うように・・」とメールを打った。返事はこなかったけど、
彼なら「ヨンジュウゴマイください」と言うような気もする。

これから「卵かけごはん」
環境が変わって音楽がタダできけて、CDも売れないし、ライブに足を運ぶ人も減っているそうだ。
世の中「シェアー」が流行ってきているけど、「いっしょに生のライブを聴く」という文化的なシェアー
は、シェアーハウスやカーシェアリングよりも、もっともっと価値があると思う。
例外的だけど「旧邸」という近くのシェアハウスには、庭と茶室のような空間があり、掛け軸が飾ってある。
そこのオーナーは、ぼくのお茶のあまり優秀ではないお弟子様。蕎麦のお弟子さまでもある。
最近は書を習いにきている。

明日はその「書の会」
文人と呼ばれる人たちは、きちっとしているもの、みんなと同じようなもの、おもしろくないもの
には興味がないみたい。世間からは「わかりもの」とくくられることが多いけど、これからの
新しい時代はきっとまた「でばん」ではなかろうか。そんな気がする。
世の中は「陰陽でできている」。つまり「男と女」である。生きている限り、そんなことを
楽しみながら生きていくのが、よろし。
「Stand」聴きながら、哲する年末年始。日々是好日なり。

ケロリンがやってきた

銭湯やゴルフ場や温泉場などの風呂には、「ケロリン」の桶が定番
のようにおいてある。先の東京オリンピックの前年に誕生し、
今でも年間5万個くらい生産しているそうだ。隠れた長寿商品。
能登にいく途中、富山のサービスエリアに立ち寄ると、必ず売っている。
「富山の薬売り」はすごい。

昨日は「ゆさそばライブ」だった。相変わらず、大阪あたりから新幹線にのって、
わざわざこられるファンなどにささえられ、「ゆさそばライブ」も5年になる。
席をキチキチに摘め、昨日は20人が不思議な「そばエンターメント奏者・ゆさそば・新そばライブ」
を堪能した。ますますパワーアップ。
大晦日に東松山の蕎麦屋でも「年越しそばライブ」をやるらしい。どうぞ興味がある人
は「ゆさそば」で検索してみて・・・

昨日は雨もようだったので、ケロリンくんが特別参加。雨の日は、かえるがよく似合う!
今話題のガチャポン奏者。「ケロリン ガチャポン奏者」で検索すると、いろいろおもしろいものがでてくる。
うちの常連さまの務める会社がだしてる「オタマトーン」でも演奏した。
音楽の融通無碍な世界を堪能した一日だった。
忘年会やクリスマス会など、みんな楽しんでいるだろうけど、何か「自分だけの芸」を磨くと、
場が引き立つ。酒を飲む席くらいは、「アホ」になってほしいものだ。スーツという鎧兜を着、
いいたいこともいえず、能面みたいな顔しながらスマホやっていると、そのままの姿であの世までいくの?
という感じの人ばかりがうじょうじょいて、気持ちわるくなる時がある。
時代が変わるよ、スマホ人よ、そろそろスマホなんてほかそ!

ケロリンの風呂桶、関西と関東ではサイズが違う!
関西のほうが小さい。
器もすだけど、関東より関西のほうが、小ぶり。とくに京都は「京都のサイズ」がある。

今日は日曜日なので、16時閉店。
今日二階では、「満つまめの会」
明日は「卵かけごはん」
明後日が「書の会」
水曜日が「おんなかっぽれ」

年越しそばの予約も増えてきたけど、年末には「いぶりがっこ」があると便利。
今年も知り合いの農家さんが昔式でまじめに作ったものが入荷。「そくのみ党」の酒肴。
「ゆず胡椒」もできた。30本限定早い者勝ち。
「梅味噌」や「味噌」や「柚子胡椒」を台所に常備するだけで、料亭気分の「そくのみ」が誰でもできる。

そして仏様のところに「安眠香炉」(あんやこうろ)を置き、線香を焚く。   来年の開運間違いなしだ。感謝。

安夜香炉  今日はライブなので16時閉店。

実家の本を整理していたら、志賀直哉の「暗夜行路」があった。高校時代に
読んだものだ。ブックカバーが小倉の本屋になっているので、あるいは、予備校時代
に読んだのだろう。

実家の本がかたづくと、「居場所」がなくなる寂寥感がある。
仏壇も整理され、線香をあげる場所もなくなった。「わたしはここにいません」
という声は聞こえないけど、亡くなった親や先祖は、仏壇の前でなくても、どこでも
「思いをはせれば」、いつでも会える気がする。昨日、そんなこちらの気持ちを察してか?
久保さんから、「線香を立てるのではなく、寝かせて使える香炉」がおくられてきた。

火が危ないからということで、葬儀場で「電気の蝋燭」をもらった。しばらく使っていたけど、
なんとなく違和感があったので、捨てた。やはり「火」というのは人間が発見した神事にかかせぬものだ。
線香も同じようなリスクヘッジで、最近は短いものや、蚊取り線香型のものなどがでまわっているけど、
なんとなく違和感がある。あの長さは、きっと「拝むに必要な時間」が計算されているのではなかろうか?
一日に一回は、ゆったりした気持ちで線香の香りにつつまれながら先祖に感謝するくらいの気持ちは必要かも。
「火をつけても安心だし、黄泉(よみ)の国におられる先祖さんたちの供養にもなる香炉」で、名付けて「安夜香炉」。
茶道具としてもなかなかいかしたフォルムだ。一家にひとつ置かれるようになると、まだ日本人が残っていく、そんな気がする。

最近まわりで、離婚する人が多い。天真庵のトイレには、「夫婦がうまくいくコツ」のような詩が
飾ってある。誰から結婚式の祝辞で述べた言葉らしい。若いカップルは、「夢いっぱい」でボリボリ
馬耳東風だろうが、「結婚生活は忍耐の場だ」などと悟ってくると、「なるほど」というものがいっぱいつまっている。

「こんな詩」

2人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい

立派すぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい

2人のうちどちらかが ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても 非難できる資格が
自分にあったかどうか あとで 疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい

立派でありたいとか 正しくありたいとかいう
無理な緊張には 色目をつかわず ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい

健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい
そして なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても 2人にはわかるのであってほしい

大都会・東京

昨日は、朝まずめに釣りをした。ふぐが3匹釣れた。
そんじょそこらの「雑魚」(ざこ)でエサ取りのフグではなく、
ちゃんと引くし、竿はしなるし、釣りの醍醐味を味わえる。

漁師さんたちは、海で内臓をとって、塩洗いして食べるらしい。「ときどき、ビリっとくるけど・・それが美味い?」とか。
かなり大きなフグだったので、何人かの漁師さんが「ちゃんとうまくさばかないと、危ない」
とのこと。先週一年半まって出来上がった「まきり包丁」をもっていたので、その場でさばこうか?
とも思ったけど、東京に帰る日に「ビンゴ」で、砂場に埋められて毒抜きされたり、
下手したら病院や天国に運ばれたりするのも、なんやから、静かに三匹のフグ(下関ではフク)
を海に返して、ぼくらも東京に出発。これまで、縄文時代からどれだけの先達たちが犠牲になったろう?

七尾の和倉温泉の「総湯」に入り、しばらく下の道をてくてく走りながら、東京へ東京へ・・
500kちょっとなんで、九州までの半分。ゆっくり走った。寒くなったので、「たら汁街道」(富山)
でも寄ろうか?などとのんびり走っていたら、氷見で「すしのや」という看板が目に入った。
「よしのや」ではない。「すしのや」。
確か、ギターのジンジンさんが「回転ずし」とは思えないレベルだと力説していたすしや。運転中の筆子さんは
「能登でもすし食べたし、おいしい魚を食べたので、わたしは、よしのや、のほうがよい」とのたまう。
無視して「すしのや」に入る。

今年はまだ、水揚げが少ないならしいが、「寒ブリ」や「がんど」(寒ブリまでいたらない大きさのブリ)
あたりを適当に握ってもらって、ノンアルコールビールで乾杯。
冬の能登や氷見や北陸は、「宝がいっぱい」で、ノンアルコールビール一杯ではちと寂しい!
「当たり前に美味いレベル、が、東京とは大違い」。テレビのCMみたいに、出すほうも、食うほうも
「おおげさ」なあのテンションどうにかならないもんか、と思う。テレビは見ないけど。。東京の「すしや」にも
いかないけど。。

今日は朝から仕込みで、明日から通常営業。
明日は「ゆさそばライブ」があるので、16時で閉店。(超満員)
明後日も日曜日の夕方は「蕎麦打ち教室」なので、16時閉店。
月曜日の朝は「卵かけごはん」
火曜日が「書の会」
水曜日が「おんなかっぽれ」
すると年末の「年越しそば」が始まる。

ご志納

「ごしのう」
この町にきてはじめて、知った。「寸志」とはニュアンスが近いけど・・
「畑を借りる」「車庫につかう土地を借りる」・・・そんな場合「ごしのう」
といって、年に一回お支払いをする。ちなみに、車庫のある土地は、隣の集落の人の
持ち物。先日、棚田のビュースポットのあるその集落のおばあちゃんに「ごしのう」にいってきた。
年間5千円。車庫の土地と後ろの畑つき。「原始的ぶつぶつ交換」の原点みたいなとこが、暮らし
の中にいっぱい残っている。「ゆたかさ」を感じること多し、だ。

これから東京。畑が隣のおばあちゃんが「明日、野菜を倉庫のところに置いていくから、東京にもっていって」
とのこと。「春には、おたくの畑のサツキを楽しみ、秋は栗とか柿をもらったお礼」とのこと。
愛情たっぷりな大根とかキャベツや白菜をいっぱいもらった。

昨日の「森信三」語録から・・・

「知的障害者や身障児を持つ親は、悲観の極、必ず一度はこの子と共に身を滅したいとの念いに駆られるらしいが、
しかもその果てには、必ず、この子のおかげで人間としての眼を開かせてもらえたという自覚に至るようである。」(信三)

この季節は年賀状を準備する。「年年歳歳・・・変わらぬことのおおかりき」を嘆くことしきり。
でもほんとうは「念々死を覚悟して初めて真の生となる」らしい。そうありたいものだ・・
昨日は、大学の後輩が北海道からおくってくれたショコラのクッキーとハーブティーを飲みながら、
「哲」させられた。かえるちゃんありがとう。感謝。

哲学の道のはじまり・・

京都に「哲学の道」という場所がある。
南條先生が南禅寺近くの「野村美術館」で毎春に「寒山拾得展」
をやっていたので、その時には必ず散策した。
個人的には、南禅寺まわりの「桜」が一番好きだ。

なぜ京都に「哲学の道?」と思われる人も多いのでは・・?
そんなこと考えてもない人は「ボーと生きているんじゃないよ!」と喝が飛んでくるかもなんばん。
京都大学に西田幾多郎という哲学者がいた。彼が思索しながらその道を歩いていたので、
その名がついた。

先週九州に帰る途中、石川県の「かほく市」の道の駅に立ち寄った。そこの便所に
「石川県西田幾多郎記念哲学館」のポスターがあり、彼が石川県さん、と知る。
鈴木大拙先生も石川。やはり下学から哲をした、「晴耕雨哲」な人生。

西田先生に9年も師事した「森信三」という人がいる。なぜだか、宗像の本棚
には彼の著書があまたあり、一冊を能登につれてきて、昨夜読んでいた。

冒頭に
◎「天地終始なく人生生死あり」・・・これは頼山陽が13歳の元服に読んだ「立志の詩」
の一句ですが、これをいかに実感をもって我が身に刻みこむかが、笑われの問題です。
とあった。

若いころ読んだ時は「ピン」とこなかったが、還暦を超えて読むと、染みるものがある。
南條先生の掛け軸にも「立志の詩」がある。今朝は朝から雨が降って(みぞれ)いるので、釣りと畑
はあきらめて、掛け軸をかえて、お茶をのみながら、読書をしよう。

その本は、森先生の「ことば」を選りすぐって紹介していて、項目ごとに、かこわれた
「坂村真民さん」の詩がのせてある。真民先生は「詩国」という詩集を四国に住みながら書いた詩人。
生前「森信三先生こそ、21世紀の扉を開く唯ひとりのお方です」とのたまっていたらしい。

「ありがたさ」
夜があけるということは なんとありがたいことだろう
光がさしてくるということは なんてうれしいことだろう  真民

朝起きる、というのは潜在意識に包まれた世界そのもの。「生かせれている」に
感謝するその時こそ「哲の原点」でもある。       天恩感謝。