こころを糺す森

京都下賀茂神社の中に「糺(ただす)の森」がある。「からふねや」の本店が近くだったので、
毎日のように散策していた。中国人たいが占領しているような街になってから、まったく京都
にいく機会が減ったけど、あの森はときどき歩いてみたくなることがある。
緑と水は、人やこの星に同居する動物たちにとって、心身ともに大事なオアシスだ。
昨日は織田流煎茶道の同心たちが蕎麦を手繰りにこられ、能登の話で盛り上がった。
お茶を入れる、というのも「水」があり、緑(茶花)を愛でたりすることだ。
手前やなによりも、自分と向き合ったり、人の顔を見ながらふれあっていくのがよろし。

今朝も蕎麦打ちの後、香取神社にお参りし、古本屋カフェを準備中の友達の家を
曲がり、「ハラヘル」の前を通り、キラタチ(キラキラ橘商店街)にいくと、「朝イチ」をやっていた。
この通りは以前は日本で一番人口密度が多い商店街だった。長屋の一階が仕事場で家族総出で
「ものつくり」をやり、汗をかいた夕方には銭湯にいき、湯上りに珈琲牛乳を飲み、キラタチで
晩御飯のお惣菜を調達し、長屋の畳の間で、ちゃぶ台にて夕餉、というような暮らしが一般的だった
と思う。

ぼくが生まれ育った北九州も、新日鉄という大企業の城下町だったけど、関連した会社や
中小零細の工場もあり、溶鉱炉の火を消せないので、みな三交代で「甲乙丙」組にわかれ、
24時間働いていた。朝仕事が終わる人のために、朝から「角打ち」(かくうち)という
立ち飲みの飲み屋がたくさんあって、労働者たちでにぎわっていた。
みんな貧しかったけど、明るい未来を信じて、日本人そのものが、大きなちゃぶ台を囲む「大家族」
のような感じやった。今は昔である。

「自然が最高の脳をつくる」(NATURE FIX・NHK出版)を読み終えた。
人生観を変えさせれれる本だ。2008年を境に、都市に住む人がこの星の中で50%を超えた
らしい。みんな「便利な暮らし」にあこがれ、国としてもGDPとか、経済の効率はあがったらしいが、
過酷な競争などで、こころを病む人が増え、振り子がふれようとしている分水嶺みたいなんが「今」。
フローレンス・ウィリアムズという女性の著であるけど、訳がいい。

12章だったか・・・都会にいて、大自然の力を享受することは不可能だけど、「一本の木」
を愛でるだけでも、心がほっとする、ようなことが書いてあり、最後にこう結ばれていた。
「さよならだけが人生だ」という名訳もあったが、それにも匹敵する名訳ではなかろうか。

「樹木は地球のお役に立つべく、すでに気をつけの姿勢で立っている」

「いずまい」を糺したくなり、星野村の玉露を入れて一服。日々是好日の茶。

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