昨日は、秩父にいってきた。
毎年この時期になると、紅葉狩り、辛味大根、干し柿、新蕎麦、温泉・・・
少し欲張りだけど、一日でぜんぶ調達できるので、秩父にいくのがならわしになっている。
平日だけど、都内からも2時間くらいでいけるので、たくさんの人がきている。
蕎麦屋は、山の奥のほうにあるので、知る人ぞ知るような蕎麦屋。でも「わざわざそこまで」のファンも
増え、温泉に入って1時を過ぎていたけど、席は4人掛けのところがひとつだけだった。
さっそく、冷ややっこと「武甲」のぬる燗を頼む。つきだしは、小松菜(たぶん、地元の菜)に、胡桃味噌を
あえてある。これがたまらない。運転をする筆子さんに悪いので、一合でがまん。3合は飲める。
その後に「野菜の天ぷら」 田舎の蕎麦屋で天ぷらを食べると、野菜も美味いけど、空気までからっとあがって
いるようでうまい。やはりここで一合追加。
〆のそばを手繰り、お勘定。その蕎麦屋の玄関に、今はなきおばあちゃんが蕎麦を打っている写真がある。
その笑顔がいいのである。おそばで満足になった幸せ感を倍増させる力がある。その蕎麦屋のそばも女将さんが打つ。
代々、日本の家では、おかみさんが「そばもん」だったのだ。いい時代だ。
インターの近くで、干し柿用の渋柿などを買って、車で帰ろうとした時、隣の軽トラックに
じいちゃんがキャベツをのせていた。こちらにむかってニコッと笑い、何かをしゃべろうとしていた。
ので、筆子さんが窓をあけたら、「これ、ひきあげ品だ。もっていかないか?」とのこと。
筆子さんは、引き上げ品だから、「えっ。いいの、うれしい」と、くれるものと勘違い。
おじいちゃん「ただでもっていく?」とまた笑顔。「いくら?」と聞くと、「120円」。
とシールに書いてあるまんま。「え、ひきあげ品がまんま?」と応対したら、ニッコリ笑って
「じゃ、110円にまけとく」といって、決着。でもなんだか、なごやかで豊かな気分になった。
かえってきて、夕食は、豚の味噌漬けに、おじいちゃんのキャベツをきってへんてこ豚料理。
豆源郷の豆腐に「梅味噌」をのせる。それに、風呂吹き大根。
蕎麦屋の近くの酒屋さんで調達した「武甲」をぬる燗にする。3合飲めた。
おじいちゃん、おばあちゃんが元気で笑っている。そんな国はどこも豊だ。
今日は「珈琲の焙煎塾」 二階は「満つまめの会」
人は人生の後半に「ひとり」で生活することが多くなる。たぶんこれから、徳に
その確率があがる。
「ひとり」になった時、「ひとり茶」や「ひとり珈琲」を、こころから楽しめる人は、充実した時間を
人生の後半に手にいれる「ゆとり」があるのではなかろうか?
お茶も、手前や袱紗などいらない。お気にいりのお茶を、お気に入りの作家の急須や茶わんで楽しめればいい。
珈琲も、できたら自分で焙烙で焙煎し、縄文ドリポットならずとも、ドリッパーでていねいに落としていただきたい。
笑顔にだまされた男や女の昔咄などを思い浮かべながら飲む一服は、至福の一滴時間になるに違いない。