天真庵の前の道は「十間橋通り」という。「じゅっけんばし」とほとんどの人がよぶ。
でも正確な日本語は「じっけんばし」だそうだ。12年前に池袋から越してきたころ、
街の先輩たちに、執拗にいわれた覚えがある。今は昔である。
浅草通りから、まっつぐ(江戸弁)歩いてくると、古色蒼然たる建物が右手にある。
それが天真庵。そこからまだまっつぐ歩いていると、白いフェンスに囲まれた空き地がある。
まだ名前がきまっていないけど、コンピュータの学校を建設中。その隣に「中小企業センター」なる建物。
そこに千葉大学の一部が引っ越してくる。ふたつで、推定1000人くらいの「わかもの」が、この地を
「学びや」にするらしい。界隈には、古い長屋などが並び、木密地帯とかいって、防災上は難あり物件
と危惧されており、この好機にと、時代おくれの地上げ屋や解体やが顔をきかせ、なんとなく「お金」のにおい
がする今日このごろ。
そこに亀戸線の踏切があり、わたって左側に「撮影所跡」の看板がある。昔、この界隈は「映画の街」
として栄えた。「きらきら橘商店街」という名前は、「きらきら館」という映画館の名前の残り香である。
かの月光仮面は、ここらの神域「香取神社」で撮影されていたらしい。
その看板を100mくらいまっつぐ歩くと、「狸小路」というラーメン屋がある。正確にはあった。
何年か前に廃業し、看板だけが居残って、下町の雰囲気を醸し出したままになっている。
誰か「ラーメン屋」をやりたいと思っている人は、一度検討してみたらいかがだろうか?
こんなに高齢化や過疎化がすすむ中に、突然1000人くらいの「わかもの」が集まる街になる(2020年)
そのあたりの「元ケーキ屋」の後に、友人のMくんが「古本屋カフェ」を10年かかって準備中だ。
Mくんは、ときどきおもしろい本をもってきてくれ「これ読んでみて、あげるんじゃないよ、貸すんだよ」
と念を押す。その時、ぼくの本で気に入ったものがあると「この本、明日か明後日に返すんで、貸して」
といってもっていく。その後返してもらったことがない。またぼくも返したことがないし、お互いに催促をしない。
2年前に「100年の梅仕事」なる本をもってこられた。それから能登の「梅仕事」が始まり、「梅林ガールズ」
が結成されたりする。お花の原田先生を天真庵にそさったのもMである。名門麻布高校の茶道部をつくったのも彼で
不思議な茶人?の風格ももっている。本だらけの部屋には、古い文人や禅林の書いた「掛け軸」があまた積んであり、
傍らに、高取とか唐津などの抹茶碗や水差しなどが、ころがっている。
そして先週また一冊の本をもってきた。昭和51年にでた「瑞牆の香木」という本。京都上賀茂神社に
まつわる話をエッセーにしたものだが、学生時代には見えなかった物語や、美術品にまつわる名エッセー
があまたつまっている。「能登休みに読んでみたら」といつものようにおかま風のい流し目されて置いていったが、
なるほど、いろいろなことが勉強になる本である。昭和51年といったら、大学一年生で京都に上洛した年だ。
ぼくよりひとまわり下の申年のMが、こんな本を紹介してくれる。なんとも不思議な悪友であり、ありがたい友である。
お酒が一滴も飲めないけど、酒場にいくと、誰よりも酩酊した風で、談論風発の真ん中にいる。あれも「たぬき」か?