白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり

水曜日・木曜日は、定休日だが、
「おんなかっぽれ」と「ダメから始める中国語」だった。ぼく以外はみんな女子。
かっぽれの日は「おでん」。昨日はみんなで「白玉」をつくり、冬瓜や白菜、大きな椎茸、豚のミンチ・・・
などの「中華風鍋」をつつきながら、遊んだ。5・6回で終了の予定(先生の腹積もり)が、来年で10周年になる。

時々は餃子などを皆で作り、漢詩を中国語で朗々と読み、中国語で「北国の春」などを歌ったりしながら10年。
その間に、日本は観光立国をめざし、中国人を見ない日はない。浅草や京都なんかは、「占領」されているような感もある。
骨董屋さんにも訪れ、「里帰り」現象のように「煎茶道具」が渡っていく。昔は中国から日本にくる道具を「渡り」
といった。今は逆になった。そして日本人に、煎茶道具やお茶道具などが「ほんとうにわかる人」が絶滅危惧種
になりつつある。天真庵にも、台湾や中国人の人がきて、二階にある煎茶道具を欲しがるときがある。
もう半分以上は、能登の「寒山拾得美術館」にもっていったけど・・・

今日は京都工芸繊維大学の建築家のOBたちが集まっての「墨交会」
発起人のF氏は、ぼくの煎茶のお弟子様で、宇治出身。「書の会」にもきていい字を揮毫する。
彼らの先輩に世界的な建築家・白井晟一がいた。天真庵には時計など生前彼が使っていた「もの」
や揮毫した書が飾ってある。白井さんは幼少期に書を「黄檗山」で学んだ。
彼が黄檗もの(黄檗山の隠元和尚や木庵などの掛け軸)を、読み解きたいとのことなので、
本日はそれらを展示している。12月の中には、それらも能登にもっていく。

水曜日は、巣鴨の古本屋で「だから日本はズレている」(古市憲寿著)を見つけ、読んでみた。
「ダウンシフターズ(減速生活者)」というところがおもしろかった。ダウンシフトしていく人たち。
あくせく働くのではなく、野にくだって、ダウンサイジングの生活をしながら、残った時間を
有効に活用しながら生きていく。その中で池袋の小さなバーが紹介され、たまたまそこに
いった時に、カウンターにとまっていた青年たちの話があった。「くらしの実験室」の人
たちらしい。
カリスマとかを自分でいうバカモノや、ぱっとでてぱっと散るようなトレンドに踊らされる人が多いが、
これから「一燈照隅」の時代かも。カリスマとかひとりのヒーローが日本を変える時代ではない。
世襲制のバカな政治家の時代でもない。ゴーンも除夜の鐘の前に舞台を去った。
天下国家を語るよりも、家族や仲間を大事にし、名利や財産は残さずとも、「そのひとらしく」
まるく ゆっきり すこやかに 自然によりそいながが生きていく。そんな人が優美に「元気」
や「健康」を広げていってくれる時代。

こんどの日曜日はお店を休みにして、その「暮らしの実験室」で、蕎麦打ちをやる。
蕎麦打ちは、ぼくが教えているけど、若い彼らが、都会から茨木の八郷に移住し、
集団で野菜や鶏を育てている「くらしかた」には、いろいろ学ばしてもらっている。
無為自然・・・・いろいろ悩みごとも多い時代だけど 「どうにかなる」  感謝

おでん 熱燗 昔の女

月曜日が「論語の会」 火曜日が「書の会」だった。
どちらも「文人好みの会」だ。

今日は「おんなかっぽれ」
朝、おでんを仕込んで、歯医者にいく。近くではない。
巣鴨まで電車を乗り継ぎ、「おじいちゃんおばあちゃんの原宿」を抜け、
滝野川、という、昔住んでいた町で通っている。マルジの赤パンや巣鴨酵素風呂やすっぽんのお店などがある。
赤いパンツをはき、酵素風呂に入り、スッポンドリンクを飲むと、「生涯現役」かもなんばん。
障害があるひとにはおすすめ。

医院長は、少し中性な人だ。ゆえに、女性スタッフとの人間関係が
スムーズなような気がする。街はずいぶんマンションが増え、変わっていくけど、
そこだけは、「変わらない聖地」のようなホッがある。ぼくの担当はSさん
という美人の先生。20年以上お世話になっている。

「のむらさん、どこか染みたりしませんか?」と聞かれたので、「秋は熱燗が染みます」
と答えたら、「え、あたたかいものが染みるようになったの?」と言われたので
「いや、こころに染みるのです」と答えたら、医院長が横から「ばかね、風流心ってものがないんだから・・」と
横車を入れる。そんなアットホームな歯医者。

いつも電車の中では「本」を読む。眠くなるので、何度も読んだことのある本を読む。
「論語の会」や「書の会」で、ときどき「老子」の話がでる。今日は「老子」を読みながらいった。
有名な言葉に「谷神は死せず」というのがある。万物を育む大いなる大地は、巨人軍より永遠に不滅である。
巨人・・は削除して、だいたいそんな風な解釈が多い。無難で優等生的だ。
これを「玄牝」(げんびん)と呼ぶ。「母なる大地」ともゆう。

引退したら田舎でじっくり読もう、と、以前から古本屋で「老子」の本を何冊か買って宗像の実家に
おくってある。今日はその一冊を読みながら、往復した。

簡単に説明すると「スケベな老人」くらいにしか思われないけど、老子のタオ(道)というものは、
人間の人知を超えた大きな「宇宙」のようなものらしい。ヨガなんかとかも通じるところがあるけど、
陰陽、つまりが男と女の交じり合う性的なエネルギーみたいなものが「道」にはあるそうだ。
古来より「神人冥合」とかいった宇宙万物と一体になった境地がそこにあるらしい。
俗人や凡夫には「スケベ」とかしか感じられけど、瞑想するような境地でみると、超時空的な恍惚というか
エクスタシーが感じれれる。

意識というのは、恍惚である(老子)    有吉佐和子先生もいわなかった天地自然の理?でも言う相手を
間違えるととんでもない恍惚を味わうことになるかも(笑)

順受の会は23年になるが、先生も「老子」はまだ教材にしていない。
どうもこれは、いろいろな人生経験を経たうえで、都会ではなく、俗から離れた
大自然の中で学ぶようなものかも知れない。

今日は「おんなかっぽれ」
この会の人たちは、陽気で酒好きが多い。
しかも熱燗を飲みながら、「男と女の話」をすることが多い。

酒飲みのことを「左利き」という。大工が右手に金槌を、左手に鑿(ノミ)を持つ。
その「のみ」が「飲み」になった。
では「徳利」は?  徳のある人が利かす。「まあ先輩どうぞ・・」とかいって、
先輩や上司の機嫌をうかがう人の小道具・・・というのが通説。
本当は「徳」というのも、女性(器)を意味するらしい。そうなれば中国の故事の「壷中天」(こちゅうてん)
の話も、よりよく理解ができる。「壷」というのは器の壷。南條先生の「壷中天」は「壺」を書いた。
「壺」この「コ」は、やはり女性(器)の象形文字らしい。
このあたりをサラリと酒の席で言えるようになると、「色道」も年長組になるのではないかしらん。

明日は「ダメ中」 ダメから始める中国語
金曜日の夜は「墨交会」

けとばし

昨日は「順受の会」だった。23年続いている「論語の会」
論語読みの論語しらず、と昔から言われる。自分で謙遜しながら
いうのには無難な言葉だ。身内から「あの人はあんな会にいってるけど、
なんのききめもない」などと言われると腹がたつ。

うちの筆子さんも、20年くらい馬耳東風だった。でも3年前からまじめに
勉強している。ぼくは、その後の蕎麦会の準備をしながら、厨房の中で
ほかの本を読みながら、酒を飲んだりして「典座」気分の20有余年。
本を素読するだけで聖人君子のようにはならない。本来人間は性善説と性悪説
どちらも持ち合わせながら生きている。いろいろな人生のめぐり合わせで、
悪人になったりするし、反対になったりもする。
裏を見せ表を見せ散るもみじ  のごとく。

昨日は新人くんが「馬肉」を持参してくれた。職業が「肉屋」ではなさそうだが、
馬肉と珍しい焼酎をもってきてくれた。本人は下戸、というのもおもしろい。いい人だ。
さっそくそれを柳包丁で切り、かえしをつけて、つまみぐい。
食べた瞬間体に馬が走る。。。そんなバカな・・・・昔そんなテレビ番組があった。(♪馬がしゃべる そ~んなバカな  だった)
吉原に有名な馬肉屋がある。助べえな坊さんや凡夫たちが、遊びにいく前に「ちょっと、ケトバシ(馬肉)を喰って、女をかいにいこや」
ってな具合で立ち寄ったのが起源で、今でも下町っこたちは、その店のことを「けとばしや」といったりする。

今日は「書の会」  この会の新年会は、三河島の焼き肉屋にいって、牛の贓物なんかをつまみながら、
赤ワインの炭酸割を飲む、のがならわし。

長野の飯田の名物に「おたぐり」というのがある。馬の贓物を味噌じたてで煮て、地酒を熱燗にして飲む。
その土地土地にいろんな人が住んでいて、いろんな郷土料理がある。

明日は「おんなかっぽれ」
男と女では、少し内容をかえてある。助平のぼうさんが、修行をしながらも女に懲りない・・・「ずぼらん」
というのがある。さすがにこれは、女性には不向きなので、男衆だけが踊っている。

能登に行く途中「親鸞記念館」というのがある。彼の著した「歎異抄」に

「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」

というのがある。「どんな修行も成就できないわたくし、地獄こそがぴったりの居場所です」
というような意味。当時は肉食も妻帯も禁止だった宗教界で、そのタブーを破り、佐渡に罪人として
流される道すがら、うれあう人に影響をあたえ、浄土真宗を広げていった。中には、曹洞宗だったのを
浄土真宗に変えた寺もあったらしい。「守破離」(しゅはり) 和事の稽古などで使われる
言葉だが、「破」というのは、勇気がいるもんだ。それがないと、人生もただの「お稽古」で終わる。

今日11月26日は「いい風呂」の日

今月の半ば、能登で「じんのびの湯」にいった。夕方になると、日本海に沈む夕陽を
観ながら露天風呂に入る。
その日も快晴で凪いだ日本海に静かに洛陽する景色をぼーっと見ながら湯につかっていると、
「おじゃまさま」といって、同じ湯舟の客人になった人の横顔を見ると、関西系の有名な落語家だった。
文房四宝のひとつ(和紙の重しにするアレ)と同じ「言霊」の落語家さんで、全国区の人だ。

仕事ではなく、プライベートで時々能登を旅するらしい。寄席もおもしろいけど、素っ裸の「素」
もおもろい人やった。

京都の貴船あたりに近いエリアで「八瀬」というところがある。「八瀬童子」といって、昔から
天皇家の葬儀などがあると、列席して棺をかついだり、神秘的なところ。ぼくらが学生だったころは
「八瀬遊園」があり、ときどきプールに泳ぎにいった記憶がある。
今は観光化されすぎて、行く気もしないけど、1300年くらい前から、皇族とか貴族とかが
わざわざそこまでいって楽しんだ風呂がある。「八瀬の釜風呂」という。
簡単にいうと日本式のサウナや。三輪福さんところで今月「ペチカ」の講習会をやった。
本来のペチカも、あたたまるまで丸二日くらいの時間がかかる。釜風呂もおなじくらいかかるらしい。
スイッチひとつで暖かいお湯がでる暮らしもいいけど、時間をかけた分だけの「付加価値」を
見失ってしまっている。「いい風呂」という意味では、自分の歴の中では八瀬の釜風呂が最高峰にある。

「茶の湯」の始まりは、「八瀬の釜風呂」だ、という説は、京都の茶人たちの通説でもある。
「非日常」の刹那に、自然や宇宙や永遠の何かを感じる、という意味では、そうかもしれない。
「茶の湯」・・・・始まりは「茶と湯(風呂)」  そういえば、茶の釜を「風呂」といい、
それを囲むものを風呂先屏風という。釜も両方ついている。

能登半島には、能登島というところがあり、そこに「千寿荘」という民宿がある。
こないだの能登地震で地層に変化がおき、温泉の成分が格段によくなったらしく、全国から
口コミ連鎖でつながった人たちが、水汲みや温泉に入りにくる。
おばあちゃんの機関銃トークを聞いていると、どんな難病の人も、薬事法に抵触するくらい
病気が飛んでいきそうな不思議なとこ。そこの水で目なんかをミストすると、気分爽快この上なしだ。

これから卵かけごはん。夜は「順受の会」
明日は「書の会」

こころを糺す森

京都下賀茂神社の中に「糺(ただす)の森」がある。「からふねや」の本店が近くだったので、
毎日のように散策していた。中国人たいが占領しているような街になってから、まったく京都
にいく機会が減ったけど、あの森はときどき歩いてみたくなることがある。
緑と水は、人やこの星に同居する動物たちにとって、心身ともに大事なオアシスだ。
昨日は織田流煎茶道の同心たちが蕎麦を手繰りにこられ、能登の話で盛り上がった。
お茶を入れる、というのも「水」があり、緑(茶花)を愛でたりすることだ。
手前やなによりも、自分と向き合ったり、人の顔を見ながらふれあっていくのがよろし。

今朝も蕎麦打ちの後、香取神社にお参りし、古本屋カフェを準備中の友達の家を
曲がり、「ハラヘル」の前を通り、キラタチ(キラキラ橘商店街)にいくと、「朝イチ」をやっていた。
この通りは以前は日本で一番人口密度が多い商店街だった。長屋の一階が仕事場で家族総出で
「ものつくり」をやり、汗をかいた夕方には銭湯にいき、湯上りに珈琲牛乳を飲み、キラタチで
晩御飯のお惣菜を調達し、長屋の畳の間で、ちゃぶ台にて夕餉、というような暮らしが一般的だった
と思う。

ぼくが生まれ育った北九州も、新日鉄という大企業の城下町だったけど、関連した会社や
中小零細の工場もあり、溶鉱炉の火を消せないので、みな三交代で「甲乙丙」組にわかれ、
24時間働いていた。朝仕事が終わる人のために、朝から「角打ち」(かくうち)という
立ち飲みの飲み屋がたくさんあって、労働者たちでにぎわっていた。
みんな貧しかったけど、明るい未来を信じて、日本人そのものが、大きなちゃぶ台を囲む「大家族」
のような感じやった。今は昔である。

「自然が最高の脳をつくる」(NATURE FIX・NHK出版)を読み終えた。
人生観を変えさせれれる本だ。2008年を境に、都市に住む人がこの星の中で50%を超えた
らしい。みんな「便利な暮らし」にあこがれ、国としてもGDPとか、経済の効率はあがったらしいが、
過酷な競争などで、こころを病む人が増え、振り子がふれようとしている分水嶺みたいなんが「今」。
フローレンス・ウィリアムズという女性の著であるけど、訳がいい。

12章だったか・・・都会にいて、大自然の力を享受することは不可能だけど、「一本の木」
を愛でるだけでも、心がほっとする、ようなことが書いてあり、最後にこう結ばれていた。
「さよならだけが人生だ」という名訳もあったが、それにも匹敵する名訳ではなかろうか。

「樹木は地球のお役に立つべく、すでに気をつけの姿勢で立っている」

「いずまい」を糺したくなり、星野村の玉露を入れて一服。日々是好日の茶。

東京も能登も福岡も「断捨離」

毎朝、散歩をする。
3コースくらいある。休みの日で、能登にいない時は、
古本屋を巡礼することが多い。

一番多いパターンは、香取神社にお参りをし、ぬすみぐい(今は、ひとつむすび?)くんのアトリエの前を通り、
向島警察の前の通りを左折(園田皮膚科がすぐ左手)し、看板はなくなったけど、ぼくの包丁の半分をつくってくれた鍛冶屋さん
のアトリエを超え、古本屋カフェを準備中のMくんの長屋からまた路地を入っていくと、「ハラヘル」というカフェがあり、
そこをまっすぐいくと、きらきら橘商店街。時間がある時は、そこを右折し、「ぶんかん」までいくと明治通りになるので、そこから
向島まで足を延ばすこともあるけど、時間がないときは、「ぶんかん」と違う方向に踵をかえし、まんもす公園あたりを
通り、帰ってくる。「ふむふむ」と頭でイメージできる人は「押上の散歩の達人」だ。

それにしても最近は、長屋や古い民家が取り壊され、つまらない建物が増えてきた。一度解体されると、そこに何が
あったかもわからないことしきり。そうやって、いろいろな街の風景や自分たちがそこで暮らした心象風景もなくなっていく。
端渓の硯を形見にくれたおじいちゃんの家も平屋になった。元気にやっておられるだろうか?とふと思ったりする。

九州の妹より電話、「本をいつまでに片づけると?」
10畳の部屋に大きな本箱が3つあり、そこにだいたい二列に本が入っている。入りきれなかった本が、倉庫にも
まだ残っている。先月もっていこうと思ったけど、乗用車では20回くらいかかるかも・・・
ぜんぶ古本屋にもっていってもいいけど、家の解体以上に、自分の脳の中の思い出が消えるような恐怖感が襲う。
来年そうそう、引っ越しをするつもりで、能登に運ぼうかなどうしようかなと思っている。

さて、空き家になった実家をどうするか?という問題がおきる。100坪強の敷地。庭には5本の松。
なのみややまもの、槙の木、梅の木・・・半分は庭。「庭付き」というのは、日本人のあこがれだったけど、
今では「負動産」と呼ばれているらしい。
古墳が近くにあり、宗像大社や鎮国寺があり、その近くの「道の駅」は、漁師さんが朝とった魚をそのまま
納品するような仕組みになっていて、「日本一うまい魚が買える道の駅」だ。

空き家を売買するには、家と庭を解体し、測量をし直し、不動産やと交渉し・・・
いろいろ面倒なことが多い。
博多と北九州まで、電車で30分強でいけ、風光明媚で宗像大社の神域というおまけつき。
誰かそのままの状態で借りたい、という人があれば、本を含めて、そのまんま貸すんだけど・・
ぼく的には、また福岡で生活することがあったら、「宗像」(むなかた)が一番やと思っている。
全国に散らばっている芸術家ネットワークで、「どう?」と聞いてみようかと思う。
「クッキングパパ」の著者も、隣の町に住んでいるよ。「創作」とか「ゆっくり暮らす」には最高やと思う。

平成も最後になり、田舎の両親が昇華されたり、施設に入ったりして、同じような悩みを
持つ人も多いと思う。そんな時は、みんな「大家族」やと思って、泰然自若ときめこむことだ。
「どうにかなる」といつも思っている。そしていつでも「どうにかなってきた」。感謝。

煩悩が108億?ゴーンと除夜の鐘が鳴る

ついこないだまで「暑い暑い」といっていたのに、暑いが寒い、
になってきた。今朝はじめて火鉢に炭をいれた。炭おこしに岩手
の炭を入れ、そばをやる大きなコンロの上で火をつける。(最近のコンロ
では、センサーが働いて切れてしまう。炭を使うことを想定していない)

おもわず、蕎麦を打つ前におきた炭に手をかざす。この「あたたかさ」は電気やガス
のそれとは、似て非なるものだ。
昨日、金沢文庫に移りすんだ「ぬすみぐい」くん夫婦が遊びにきた。薪ストーブ
を入れるらしい。そんな話や釣りの話で盛り上がった。
田舎暮らしは、ほんとうにウキウキすることが多い。

昨日は「満つまめの会」(気功整体)を二階でやった。
最近は、遠くからわざわざ通ってこられる人も多い。
ケガをしたとか、病気になった、というのは、自分のからだやこころが
「何か」をメッセージとして伝えてきてくれた「授かりもの」かもしれない。
だからまず、その体を自分でぎゅーっとハグするように愛おしんで、
「これまで、どんなふうにしていたか」を思い起こすと、
「これから」が見えてくる。

「こころ」を病んでいる人も多い。今問題になっている人もこころをゴーンと
大きな何かが警鐘を鳴らしているのかもなんばん。108では足らない煩悩の数・・
お金や地位に執着するのが、人間のサガ。でも変な名利にとらわれていると、
大事なものをなくす。「捨てる」ことのほうが大事かも。
原理原則に囚われすぎない、変な観念や常識にも囚われすぎない、不必要な心配事に囚われすぎない・・・
なんでも起きることは必然で、できないこと以上の宿題(困難)などないので「どうにかなるさ」
と胆を据えることやね。フランスにはないかも知れないけど、神社に日参して出直すこっちゃ。
♪こちゃへ こちゃへ

12月のライブ

5日(水) 国貞 雅子 ソロ LIVE !!<(_ _)>満席!!

演奏:国貞 雅子(歌・ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

8日(土) 杉山千絵&大石 学 LIVE

演奏:杉山千絵(ヴォーカル)大石 学(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

22(土) ゆさそばライブ

演奏:ゆさ(ヴァイオリン)・しょうご(ピアノ)・津田りつ子(パーカッション)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(蕎麦・珈琲・付き)

じいちゃん笑顔 ばあちゃんの笑顔

昨日は、秩父にいってきた。
毎年この時期になると、紅葉狩り、辛味大根、干し柿、新蕎麦、温泉・・・
少し欲張りだけど、一日でぜんぶ調達できるので、秩父にいくのがならわしになっている。

平日だけど、都内からも2時間くらいでいけるので、たくさんの人がきている。
蕎麦屋は、山の奥のほうにあるので、知る人ぞ知るような蕎麦屋。でも「わざわざそこまで」のファンも
増え、温泉に入って1時を過ぎていたけど、席は4人掛けのところがひとつだけだった。

さっそく、冷ややっこと「武甲」のぬる燗を頼む。つきだしは、小松菜(たぶん、地元の菜)に、胡桃味噌を
あえてある。これがたまらない。運転をする筆子さんに悪いので、一合でがまん。3合は飲める。
その後に「野菜の天ぷら」  田舎の蕎麦屋で天ぷらを食べると、野菜も美味いけど、空気までからっとあがって
いるようでうまい。やはりここで一合追加。
〆のそばを手繰り、お勘定。その蕎麦屋の玄関に、今はなきおばあちゃんが蕎麦を打っている写真がある。
その笑顔がいいのである。おそばで満足になった幸せ感を倍増させる力がある。その蕎麦屋のそばも女将さんが打つ。
代々、日本の家では、おかみさんが「そばもん」だったのだ。いい時代だ。

インターの近くで、干し柿用の渋柿などを買って、車で帰ろうとした時、隣の軽トラックに
じいちゃんがキャベツをのせていた。こちらにむかってニコッと笑い、何かをしゃべろうとしていた。
ので、筆子さんが窓をあけたら、「これ、ひきあげ品だ。もっていかないか?」とのこと。
筆子さんは、引き上げ品だから、「えっ。いいの、うれしい」と、くれるものと勘違い。
おじいちゃん「ただでもっていく?」とまた笑顔。「いくら?」と聞くと、「120円」。
とシールに書いてあるまんま。「え、ひきあげ品がまんま?」と応対したら、ニッコリ笑って
「じゃ、110円にまけとく」といって、決着。でもなんだか、なごやかで豊かな気分になった。

かえってきて、夕食は、豚の味噌漬けに、おじいちゃんのキャベツをきってへんてこ豚料理。
豆源郷の豆腐に「梅味噌」をのせる。それに、風呂吹き大根。
蕎麦屋の近くの酒屋さんで調達した「武甲」をぬる燗にする。3合飲めた。

おじいちゃん、おばあちゃんが元気で笑っている。そんな国はどこも豊だ。

今日は「珈琲の焙煎塾」  二階は「満つまめの会」

人は人生の後半に「ひとり」で生活することが多くなる。たぶんこれから、徳に
その確率があがる。

「ひとり」になった時、「ひとり茶」や「ひとり珈琲」を、こころから楽しめる人は、充実した時間を
人生の後半に手にいれる「ゆとり」があるのではなかろうか?
お茶も、手前や袱紗などいらない。お気にいりのお茶を、お気に入りの作家の急須や茶わんで楽しめればいい。
珈琲も、できたら自分で焙烙で焙煎し、縄文ドリポットならずとも、ドリッパーでていねいに落としていただきたい。
笑顔にだまされた男や女の昔咄などを思い浮かべながら飲む一服は、至福の一滴時間になるに違いない。

たぬきおやじ?

天真庵の前の道は「十間橋通り」という。「じゅっけんばし」とほとんどの人がよぶ。
でも正確な日本語は「じっけんばし」だそうだ。12年前に池袋から越してきたころ、
街の先輩たちに、執拗にいわれた覚えがある。今は昔である。

浅草通りから、まっつぐ(江戸弁)歩いてくると、古色蒼然たる建物が右手にある。
それが天真庵。そこからまだまっつぐ歩いていると、白いフェンスに囲まれた空き地がある。
まだ名前がきまっていないけど、コンピュータの学校を建設中。その隣に「中小企業センター」なる建物。
そこに千葉大学の一部が引っ越してくる。ふたつで、推定1000人くらいの「わかもの」が、この地を
「学びや」にするらしい。界隈には、古い長屋などが並び、木密地帯とかいって、防災上は難あり物件
と危惧されており、この好機にと、時代おくれの地上げ屋や解体やが顔をきかせ、なんとなく「お金」のにおい
がする今日このごろ。

そこに亀戸線の踏切があり、わたって左側に「撮影所跡」の看板がある。昔、この界隈は「映画の街」
として栄えた。「きらきら橘商店街」という名前は、「きらきら館」という映画館の名前の残り香である。
かの月光仮面は、ここらの神域「香取神社」で撮影されていたらしい。

その看板を100mくらいまっつぐ歩くと、「狸小路」というラーメン屋がある。正確にはあった。
何年か前に廃業し、看板だけが居残って、下町の雰囲気を醸し出したままになっている。
誰か「ラーメン屋」をやりたいと思っている人は、一度検討してみたらいかがだろうか?
こんなに高齢化や過疎化がすすむ中に、突然1000人くらいの「わかもの」が集まる街になる(2020年)
そのあたりの「元ケーキ屋」の後に、友人のMくんが「古本屋カフェ」を10年かかって準備中だ。

Mくんは、ときどきおもしろい本をもってきてくれ「これ読んでみて、あげるんじゃないよ、貸すんだよ」
と念を押す。その時、ぼくの本で気に入ったものがあると「この本、明日か明後日に返すんで、貸して」
といってもっていく。その後返してもらったことがない。またぼくも返したことがないし、お互いに催促をしない。
2年前に「100年の梅仕事」なる本をもってこられた。それから能登の「梅仕事」が始まり、「梅林ガールズ」
が結成されたりする。お花の原田先生を天真庵にそさったのもMである。名門麻布高校の茶道部をつくったのも彼で
不思議な茶人?の風格ももっている。本だらけの部屋には、古い文人や禅林の書いた「掛け軸」があまた積んであり、
傍らに、高取とか唐津などの抹茶碗や水差しなどが、ころがっている。

そして先週また一冊の本をもってきた。昭和51年にでた「瑞牆の香木」という本。京都上賀茂神社に
まつわる話をエッセーにしたものだが、学生時代には見えなかった物語や、美術品にまつわる名エッセー
があまたつまっている。「能登休みに読んでみたら」といつものようにおかま風のい流し目されて置いていったが、
なるほど、いろいろなことが勉強になる本である。昭和51年といったら、大学一年生で京都に上洛した年だ。
ぼくよりひとまわり下の申年のMが、こんな本を紹介してくれる。なんとも不思議な悪友であり、ありがたい友である。
お酒が一滴も飲めないけど、酒場にいくと、誰よりも酩酊した風で、談論風発の真ん中にいる。あれも「たぬき」か?

たぬきが晩酌・・?

夕べは、「オーボエとピアノの発表会」だった。今にも雨が降りそうだった
けど、立ち見がでそうなくらい満席だった。8年になるけど、8年前も大雨だったけど、
満席だった。お孫さんの雄姿を観ながらの美酒に酔うじいちゃんばあちゃんの幸福な
顔を昨日のことのように覚えている。身近に「音楽」があるというのは素敵なことだ。
8年前はまだこの世にいなかったかよちゃんの嫡男Tも、みなに礼をし、ピアノを奏でた。

先日、近くの焼き肉屋の女将が手をふりながら歩いてきた。
この人はぼくと同郷で、北九州の「黒崎」という、博多・小倉の次の3番目の街
で生まれそだった。ぼくも北九州に中学3年までいた。
時々、「こないだ、小倉駅のかしわうどんたべた。」とか門司の「ちゃんらー食べた」(ちゃんぽんとラーメンのあいのこ?)
とかローカルな話をする。ガラは悪い土地がらだけど、おもしろい人たちがあまたいて、全盛期は100万都市やった。

その女将が「うちのお客さんが天真庵の脇でタヌキを見たんですって・・」と目を丸くしてのたまうので・・
「ぼくがカウンターで晩酌していた後ろ姿じゃない?」と答えたら、「スマホで写真がのっていたの」
というので、「酔っぱらったぼくの背後霊が散歩している写真かな・・」と答えた。
きつねにつままれたような顔をしておられた。

「毎日晩酌をしているタヌキはいますか、タバコをふかしているキツネはいますか」
この文章は、「腸内細菌のベストバランスが病気にならない体をつくる」(佐々木淳・KKロングセラーズ)の
中の一節。腸内細菌がいい・・・・というのはなんとなくわかっている。でもなぜ?
と問われると「?」になる。この本は、目からウロコの本で、ぜひ読んでもらいたい一冊。とくに腸に
障害をもっている人におすすめ。「まじめに生きていこう」という矜持に満ちている。

一昨日、私が昔昔理事長をやらせていただいていた業界団体に加入してくれていた社長が蕎麦を手繰りにきた。
彼は昨年、大腸の手術をせまられていた。そんな悩みを酒場で、おなじく会員さんだった社長に話をしていたら、
その本を紹介され読んで、その中で紹介されている「酵素?」を飲み始めたら、腸内が整い、悪性ポリープが消え、
けっきょく手術もせずに完治し、ときどき天真庵で昼酒を飲みながら、蕎麦を手繰っていかれる。
世の中、「健康食ブーム」でテレビを見ても、そんなCMが氾濫していて、辟易とすることしきりの昨今。
ようは、「何が自分にいいか」を、自分なりに理解し、それ(商品なり生活パターン)を、自分流に「使いこなす」か、というのが肝心。

たぬきときつね・・・・人間っぽい動物で、田畑を荒らしたり、忌み嫌われる動物ではある。
でもこの星に住む動物で、「人間」ほど、「我」が強く自分勝手で、けっきょくこの星の
一番の害虫みたいな生き物だ、きっと。

月曜の朝は「卵かけごはん」