水曜日・木曜日は、定休日だが、
「おんなかっぽれ」と「ダメから始める中国語」だった。ぼく以外はみんな女子。
かっぽれの日は「おでん」。昨日はみんなで「白玉」をつくり、冬瓜や白菜、大きな椎茸、豚のミンチ・・・
などの「中華風鍋」をつつきながら、遊んだ。5・6回で終了の予定(先生の腹積もり)が、来年で10周年になる。
時々は餃子などを皆で作り、漢詩を中国語で朗々と読み、中国語で「北国の春」などを歌ったりしながら10年。
その間に、日本は観光立国をめざし、中国人を見ない日はない。浅草や京都なんかは、「占領」されているような感もある。
骨董屋さんにも訪れ、「里帰り」現象のように「煎茶道具」が渡っていく。昔は中国から日本にくる道具を「渡り」
といった。今は逆になった。そして日本人に、煎茶道具やお茶道具などが「ほんとうにわかる人」が絶滅危惧種
になりつつある。天真庵にも、台湾や中国人の人がきて、二階にある煎茶道具を欲しがるときがある。
もう半分以上は、能登の「寒山拾得美術館」にもっていったけど・・・
今日は京都工芸繊維大学の建築家のOBたちが集まっての「墨交会」
発起人のF氏は、ぼくの煎茶のお弟子様で、宇治出身。「書の会」にもきていい字を揮毫する。
彼らの先輩に世界的な建築家・白井晟一がいた。天真庵には時計など生前彼が使っていた「もの」
や揮毫した書が飾ってある。白井さんは幼少期に書を「黄檗山」で学んだ。
彼が黄檗もの(黄檗山の隠元和尚や木庵などの掛け軸)を、読み解きたいとのことなので、
本日はそれらを展示している。12月の中には、それらも能登にもっていく。
水曜日は、巣鴨の古本屋で「だから日本はズレている」(古市憲寿著)を見つけ、読んでみた。
「ダウンシフターズ(減速生活者)」というところがおもしろかった。ダウンシフトしていく人たち。
あくせく働くのではなく、野にくだって、ダウンサイジングの生活をしながら、残った時間を
有効に活用しながら生きていく。その中で池袋の小さなバーが紹介され、たまたまそこに
いった時に、カウンターにとまっていた青年たちの話があった。「くらしの実験室」の人
たちらしい。
カリスマとかを自分でいうバカモノや、ぱっとでてぱっと散るようなトレンドに踊らされる人が多いが、
これから「一燈照隅」の時代かも。カリスマとかひとりのヒーローが日本を変える時代ではない。
世襲制のバカな政治家の時代でもない。ゴーンも除夜の鐘の前に舞台を去った。
天下国家を語るよりも、家族や仲間を大事にし、名利や財産は残さずとも、「そのひとらしく」
まるく ゆっきり すこやかに 自然によりそいながが生きていく。そんな人が優美に「元気」
や「健康」を広げていってくれる時代。
こんどの日曜日はお店を休みにして、その「暮らしの実験室」で、蕎麦打ちをやる。
蕎麦打ちは、ぼくが教えているけど、若い彼らが、都会から茨木の八郷に移住し、
集団で野菜や鶏を育てている「くらしかた」には、いろいろ学ばしてもらっている。
無為自然・・・・いろいろ悩みごとも多い時代だけど 「どうにかなる」 感謝