昨日は「ダメ中」だった。だめから始める中国語。
6回で終了する予定だったものが、あれこれ10年近く続いている。
「こうあるべき」みたいな肩肘をはっていないのがいい。
これから変化の多い時代は「きめない」ことも大事だと思う。
中国人のゲストもきて、手作りのお菓子を持参してくれて、久保さんの志野の蓋碗(がいわん・・別名啜り茶碗)
にウーロン茶を3種類、順番にいれて、「中国語でお茶会」の雰囲気で、和気あいあいの勉強会。
中国では首脳会談みたいなんが行われているけど、「しもじも」ではとっくにふれあっているので、
お茶などを通じて、もっともっと仲良くなれればいいのに、と思う。
ただし、日本人で日常で「お茶のある生活」をしている人が絶滅危惧種なみなのが気になる。
中国語の前に、「お茶のお弟子様の家族」蕎麦を手繰りにきた。
「子供が二歳を迎えた」とのことで、「蕎麦のお食い初め」みたいな会になった。
人工授精で「小さく産んだ」けど、明るい笑顔が大きな「未来」を予感させる。
これからは、みんな「みの丈にあった暮らし」をめざせばいいし、商売や起業も
「小さく産んで、徐々に大きく育てていく」のがよろし。
昔昔、護国寺の骨董市で怪しい骨董屋から買った「三輪休雪」と箱書きのある抹茶茶碗を
「二歳の誕生日プレゼント」にあげた。
今朝スーパーに「がんど」が売っていた。富山さん。関東では「いなだ」(だから東京の表示はこれ)
いなだも80cmを超えると「ぶり」になる。
能登では、ぶりの小さいのを「コゾクラ」という。ブリの手前を「ガンド」という。
諸説あるけど、「ぶり」というのは、養生訓を著した「貝原益軒」が、「あぶらの多き魚」
と説明し、「あぶら」から「ぶり」になった、との説がある。
「接して漏らさず」・・・男と女のまぐわいの極致を説いた翁は、ブリが好物だったのだろうか?
彼は福岡藩の儒学者。福岡では、ブリの手前を「ヤズ」という。
ひょっとして「ヤラズ」から命名?あぶらののりきったブリの手前を食し、やらず(接して漏らさず)
でいくと、長生きできる・・・・と説いた?
でもほんとうは、「漏らさず」というのは、男と女のことは「秘めこと」にするのがよろし、
と諭しているのではなかろうか?セックスの中身までが、だれでも見れるような時代になったけど、
江戸時代にそんな未来に警鐘を鳴らしているのではと思う。