世の中大きな曲がり角

♪かどかどかどかど曲がり角・・・
バブルのころカラオケでそんな歌が流行っていた。
ぼくはカラオケが大嫌いで、この10年に付き合いで2度いったくらいで
いかない。バブルのころは、毎日日付が変わるまで飲んでいて、スナックや
クラブ(今の若いもんがいう、く・ら・ぶ・・ではない)で飲んでいたけど、
歌はほとんど歌ったことがない。。どうでもいいけど。

今日は休み。でも「蕎麦打ち教室」があるので、いつものように5時に起き、散歩して、
店の前を寒山拾得のように掃いていたら、店の対面を「短小包茎でないじいちゃん。先日
端渓をくれたじいちゃんが通って「今日までで、施設にいく」とのこと。
いよいよ取り壊されるらしい。道を渡って、じいちゃんの家までいっしょに歩く。
「一週間前は、家に「ありがとうございました」といったヨ。昨日はただ泣いたヨ」とのこと。
返す言葉もなく、肩に手をかけた。「同期の桜」でも歌いたい気分だったけど、こちらも
もらい落ち込みで、そんな気分でない。

その後店で焙煎をしていたら、近くの経師屋さんがきて、「もうすぐ引っ越すので、炭を
とりきて」とのこと。彼も奥様に先立たれて、都心のマンションに移る。ときどき子供会?かなんかで「焼き芋」をやっていた炭が倉庫に
あるので、くれるとのこと。ほんとうに、この街の人たちには、いろいろ鍛えれたけど、
みなこの街を去る時には、天真庵に「何か」をおいていく。いい備長炭だ。人も芋も、最後は焼かれる。

そんなかんだで、午前が終わる。
2時に、邦楽の重鎮がくる。彼のお父様は人間国宝で、たまちゃんのお師匠。
たまちゃんの残した三味線をとりにこられた。「どうぞ彼女の意思を継いでいかれるかたに・・」
というバトンタッチ。握手をして、ふたりとも少し涙ぐんで「ではまた」・・
まるで「さよならだけが人生だ」の世界。年をとると涙腺も弱くなるけど、泣くような別れも多くなる、と思う。

すると、能登半島から「20人分の蕎麦会」の依頼の電話がある。一時間半(4時に蕎麦打ち)があるので、
錦糸町までいく。(100キンに、それ用のタッパを買いにいく。地方でそば会やる時には、いい)
バスでもいけるけど、浅草や河童橋や錦糸町あたりは、徒歩30分あればいけるので、
ほとんど歩く)。「哲」の時間であり、気分転換の時間でもある。

レジで勘定をすますと、蕎麦打ちのくん、から電話「今神田にいて、どうしてもお客さんのことで
蕎麦打ちにいけなくなりました」とのこと。「ま、人生いろいろあるからどうぞ気にするな」
といいいながら、内心はきれそうになった(ぼくは小さな約束を守れない人がダメみたい)けど、
気を取り直して「ブックオフ」にいく。3時半くらいまでいて「もしも、気がかわってお店にきたらかわいそうなので・・」
と思いながら、10冊くらい買ってお店にもどった。

そして買った本を読んでいると、日が暮れていく。

なんとなくだけど、いろいろなものが終焉をむかえていきそうだ。世界中。
「大きな♪カド カド カド カド 曲がり角・・」