昨日は「卵かけごはん」だった。
何日か前からお店の前まできて、入ろうか入るまいか、とまよっている近所のおばあちゃんがいた。
意を決して?ドアをあけ「天真庵デビュー」
卵かけごはんのメニューを見て、開口一番「つけもの!」と叫ばれた。耳が遠くなった老人特有の
大きな声で・・「卵かけごはんが550円で、それにつけものと味噌汁がついています」というと
「じゃあ それ」といって納得された。子供は「これ何?」「なんで?」で聞くようにまわりにあるものを
いろいろ質問されたりしたけど、「いずれいく道」の先輩だと思い、「麻あめ」「石臼」「テンビンばかり」・・・
といちいち説明していくうちに、「へんなものがいっぱいあるお店だな」と自問自答した。
夕方6時半過ぎに元気なじいちゃんが、入ってきた。ばあちゃんと同じく、70代後半、後期高齢者という世代。
「画廊、と看板に書いてあるけど、何を飾ってんだ?」ときた。その横着な口利きには閉口するが、
「うちは寒山拾得の絵を飾っている」と答えた。「なんだそれ?それよりも酒は置いてあるのか?」
ときた。「そんなもの置いていない。うちは純喫茶や」と答えた。順受の会のメンバーがカウンターにいたけけど、
みなくすっと笑う。23年も続くこの会のメンバーもあと10年もすれば、みな後期高齢者なのであるが・・・
7時になって「順受の会」が始まった。ドアをたたく音がする。もうすぐ家が壊され施設に入るおじいちゃんだ。
手に黒い箱をもっている。「これ見つかったので、あげる」とわたされた。
開けるまでもなく「たんけい」だとわかった。
「おやじが使っていたもんだけど、あげる」という。「これはきっと、タンケイだよ」
というと、「おれのは立派だぞ、短小包茎のタンケイじゃないぞ。見せようか?」といってチャックに
手をかけニヤリ笑った。それを使っていたおじいちゃんは、名にしおう筆の職人さんだった。
立派な筆をつくる巨匠のせがれの筆が、巨砲かどうかは知らないが、タンケイはいい。
黒檀の硯箱に入った「端渓」(たんけい)。古端渓硯だ。硯は、 紙・筆・墨と共に「文房四宝」といわれた。
後の3つは、消耗品で一代かぎりだが、硯は時代を超えて、受け継がれる。
大事な家宝が、うちの家宝になった。
「田舎暮らしは宝がいっぱい」という本があったが、「都会暮らしも宝がいっぱい」である。
明日は近くの「花王」さんの主催の「発酵の勉強会」にいってくる。
夕方は満つまめの会のまーくんが蕎麦打ちにくる。目はほとんどみえないけど、全身を研ぎ澄ませて、すごいそばを
打つようになってきた。反対に教わること多し、である。
木曜日は「焙煎塾」。世の中にこんなに楽しいものはない、くらい、珈琲の焙煎はおもしろい。