二重の虹

こないだ、寒山拾得美術館の近くで釣りをした。
朝、ざえさんの音(6時に♪みんなで笑ってる・・・)が聞こえ、目覚ましになる。
アオリイカを狙って海にいこうとしたら、水平線に虹が二重に連なっていた。
家の片づけをしてくれた梅林ガールズさんが、それを写真にして昨日もってきてくれた。
雲のどんよりした感じ、これから波がきびしくなる日本海・・・いい感じだ。

松本清張さんの「ゼロの焦点」の舞台になった「やせの断崖」も歩いて5分のところにある。
火曜サスペンスの最後にがっけっぷちで犯人が追い詰められたりするシーンは、そこから始まった
らしい。演歌や推理小説や失恋したり人生を考え直したりするのにいい場所なのか?
そこのすぐ近くに「義経の隠し船」がある。

今回、輪島の「泳」という料理屋に3度昼ごはんを食べにいった。
車で10分くらいの集落にあり、北前船のゆかりの地。命をかけて海を渡って
きた人たちが、暮らした痕跡が残っている。場所がら、輪島塗のめっかで、建物(天井や柱)まで
漆がほどこされた後があり、食器も漆が多い。

「食器は料理の着物」と、のたまわれた魯山人さんも「漆は、自然光で、日本間の空間でこそ似合う」
みたいなことをいった。まさにそうで、輪島界隈には、長い歴史の中でそこの風俗や気候にあった
「漆」が今でも輝いているようなところがある。

床の間の問題もしかり。「日本の本当の美術」とかいうものを、「伝える人」が
いなくなった。子供の教育のため「田舎の自然が大切」だと思っていても、
そこで楽しんだりする術を、その親が知らない、というのが大半らしい。
「衣食足りて礼節をしる」。衣食住まで足りたていそうな日本人に礼節は?
そして、その後に大切なものは?   「ゆとり」「悠」「遊ぶ」・・・

先日、10年使ったペティーが薄くなってきたので、河童橋の包丁やにいった。
今はお客の8割が外国人。研ぎの必要じゃないステンの包丁ではなく、砥石が
必要な包丁を買い求める姿がめにつく。
ちょうど行きつけの包丁やの開店時間で、のれんがでるとこだった。
そののれんを出す店員さんも青い目をした外国人」

無地の少し柔らかめの刃のペティーを見つけ、その定員さんに
「これください」といった。「これは展示品なんで新しいものをもってきます」
と流暢な日本語。続いて「お客さまは右ききですか、左ききですか?」
ときかれたので、「右だけど、夜は左です」というと「?」な顔をした。
「両刀使いです」と言い直すと、ますます困った顔をした。
「出刃なんかは片歯だけど、ペティーは両刃なんで、右も左もないですよ」
と小さな声でいうと「あ、そうか」と頭をかいて、箱入りの包丁を
もってきてくれた。実にきれいな刃に、「Tenshin-an」と刻印してくれた。

なんかすごくうきうきした気分になったけど、浅草をはじめ、日本の観光地の
「ありかた」に、あやうげな将来がみたいなものが去来する。

床の間、漆器、陶器、お茶、お花・・・・ほんとうに世界にほこるような日本の文化を
伝えれれる「ゆとり」も「ひと」もいなくなりつつある。

ちなみに「夜は左」といったのは、左党であるという意味。
ちょっとおじさんギャグっぽいけど、酒飲みのことを「左党」という。
大工は、右手に金槌、左手に鑿(のみ)をもって仕事をする。
左手に「のみ」が、飲みになった、わけだ。今では死語みたいになった。

今日は「論語の会」(順受の会。)月に一度、有志が集まり、論語などを
ろうろうと読む。絶滅危惧種のようなものだけど、23年も続いている。
いりろな「文化」があうあういところにきているけど、消えそうで消えないもの、
消してはいけないものが、かならずある。

ちゃぶ台でもいい。手作りのテーブルもいい。そこにお気に入りの箸置きと箸をおく。
それだけで、食事が豊かになる「凛」がただよう。日本人の「暮らし」の原点。