10月中に取り壊される近くの家の人に、掛け軸をもらった。
大きな立派な風呂敷に包まれて、いろいろな「いわくつき」
の物語がこめられた品々。鑑定団なんかによくでる話だけど、借金のかたに
おいていったものがけっこうあるらしい。かびたり、汚れがひどいのは捨てさせて
いただき、すこしひょうきんな河童の掛け軸を飾ってみた。
三匹の河童が酒を酌み交わしている。「三酔」と揮毫された絵である。
古い家には、みな床の間があった。季節の花を花器に投げ入れ、掛け軸を来客や季節
にあわせ、お香を焚いたり、茶会の時にはろうそくを灯したりした。「各家の美術館」
そんな時代だからこそ、質草になったり、借金の担保になったということだ。
きっと今よりも、日本は貧しい時代だったと思うが、こころは「ゆたか」に
満ちていたに違いない。久保さんの備前の徳利に剣菱をぬる燗にして飲む。
「お金を借りた人」「貸した人」「その人たちのことを忍ぶぼく」と三酔。なかなかよい。
もうひとつは「釣り人」。
なかなか文人好みの掛け軸。海付きみたいな能登の寒山拾得美術館の二階にもっていって飾った。
潮騒の音の中で、絵がキラキラと輝いた。
美術館のある能登は冬は積雪は少ないけど、人が来るのを拒む寒風が吹くので、冬季は
お休みになる。ただし、梅の剪定などやる時は、あけようと思っている。
寒ブリのしゃぶしゃぶや、たら汁を食べながら、冬を楽しもうと思っている。
「老後をいかに過ごすか」というのは、日本人みんなの問題。壊される古民家、壊されず朽ちていく古民家、
どこの町も空き家だらけで、商店街がシャッターだらけ。
親の介護や自分たちの営みと同時に、すぐに自分たちの番がやってくる。
「やれるやれない」の問題にまず「お金」の話になる。週刊誌などは「老後に何千万ないといけない」
などという脅しのような記事も多い。
でもなんでもまず「楽しむ」ことを念頭におけば、どうだろうか。(もちろん簡単なことではないが・・)
「親の介護を楽しむ」「自分たちの老いを楽しむ」お金がなくても志ん生さんみたいに「貧乏を楽しむ」
夏に父が大往生し、母の施設を探したり、空き家になる家のこと・・・いろいろな問題がでてきたけど、
けっこう楽しみながら、毎日をおくらせてもれっておりまする。「どうにかなる」もんだ。
本日は日曜日なので16時閉店。それから「蕎麦打ち教室」二階は「満つまめの会」夜は「ゆるゆるヨガ」
明後日は「卵かけごはん」夜は「順受の会」