ゴジュウカラ、人生40から

ゴジュカラと似た鳥で、シジュウカラという鳥もいる。ヤマガラと同様、都心でもときどきいる。
仲よくツガイ(カップル)でいることが多い。近所のおばあちゃんが電線にとまっているのを見つけ、
「どこかで飼ってた鳥が逃げたのかしら」と心配そうに見上げていたので、
「あれは、野鳥。。。野生の鳥ですよ」と教えてあげた。でも「いやぜったい違う」
という顔をしていた。

ヤマガラは、愛嬌があり、昔は家でもよく飼われていた。
美人度はシジュカラのほうが上だけど、「始終空」・・・
つまり財布の中身が「空」だとか、しょっちゅうどろぼうが入り「空っぽ」に
なるような言霊を含んでいる縁起から、家で飼われることはあまりなかった。
でも人生はシジュカラ?

だいたいの人は60とか65歳で定年を迎え、それから「第二の人生」が始まる。
たとえば「退職後に陶芸がやりたい」とか一時はおじさんがオウム返しみたいに「蕎麦打ちをやりたい」
といっても、どちらも60を過ぎてから突然初めても、「なにを作陶したらいいか」というイメージ
がわかないだろうし、蕎麦打ちも「目があがってから」では難しい。「人生の中仕切り」の40代
に始めるのがいいと思う。

昨日閉店まじかに、若い青年が入ってきた。
「珈琲豆売ります、という看板にひかれたけんきましたバッテン」とはいわなかったけど、
そんな感じの九州なまり・・・
「飯田橋から歩いて平井に帰る途中に、偶然とおったどです・・」
というので「そげね・・・」と答えたら、「ご主人も九州ですか?」というので「そげよ」
と答えた。うちの甥っ子の高校の少し後輩にあたることがわかった。
焙煎のお弟子様になるような言葉を残して帰っていかれた。30代・・・・まだまだ人生に余白が
いっぱいあって、うらやましい。

今日は「書の会」 二階では「満つまめの会」  書も余白の芸術である。四角い真っ白な紙に墨をおくことによって、
白と黒の調和した余白を楽しむ芸術。うまいへたに関係なく「自分」を表現できる。
いつからでも、やる気しだいで、すぐできる。
あまり道具に金もかからないし、場所をとらない。ただし、文房四宝といって、ピンキリではある。
先日解体される家のおじいちゃんにもらった「古端渓の硯」などは、高いものだと、億ションが
買えるようなものもある。

明日は「おんなかっぽれ」

人生50から

こないだ、イトーヨーカドーのエレベーターにのっていたら
、そんなメッセージとゴジュウカラの絵がのった「生命保険のチラシ」
みたいなんが目に入った。「五十歳からでも保険に入れますよ」というメッセージなんだろう。
人生の中仕切りを超えた世代ではあるけど、「これから二仕事」の世代でもある。

個人的には、ゴジュウカラよりヤマガラ(山雀)のほうが好きだ。昔は縁日やお祭りの日に、
ヤマガラがおみくじをひく、なんていう芸が日本中で観られた。途中から野鳥の保護政策の
ため、ほとんどの野鳥が鳥やさんから消えた。日本の山林は人が入らなくて、荒れ放題。
霞網で一網打尽に鳥をとる、というのは反対だけど、花鳥風月に準ずる程度に許可することも
検討してはどうかな、と思うこともある。
ペットのブームもそうだけど、日本人という民族は、ブームになると、おれもおれもの連鎖で
とまることを知らない傾向がある。センズリをおぼえて、死ぬまでやり続ける猿といっしょだ。

高度成長期の日本に「秋岡芳夫」という熊本生まれのデザイナーがいた。
彼が残した言葉に
「「創る」「のこす」「やめる」を、関係でとらえてデザインすることが、これからの
「ほんとうのデザイン」になるだろう」というのがある。
日本人に足りないのは「やめる」かもなんばん。
原発をやめる。そんなものを推進する政治家をやめる・・・・

月曜の朝は卵かけごはん。明日は「書の会」
明後日は「おんなかっぽれ」

解体現場が多くなってきた!

オリンピックイヤー(2020)に、近所に千葉大学(建築デザイン)がきて、
その隣にコンピュータの学校もできる。古い長屋が残っていてる半面、
「木密地帯」、つまり木造の古民家が密集していて、火事や災害の時に
危険だといわれる地域でもあり、ここんところ解体やさんが大忙し。

せっかく、これからの建築を担っていく若者たちやITの達人らが集うのであれば、一緒に
街をデザインしていく、そんなコンセプトの授業があってもおもしろいし、
コンピュータと人間、AIと人間との融和を考える授業があってもいいと思うのだが・・・

「端渓」の硯をくれたじいちゃんの家も、ここ二日間でほぼ解体が終わった。
解体される音を聞くにつれ、こころがへこんでしまう。
茶の間に、半世紀以上鎮座していた茶箪笥がいっしょに壊された。
梻(たも)の木目がきれいで、大事に使われてきた歴史の古色がなんともいえず素敵やった。
「天真庵で使って」といわれたけど、この夏逝ったたまちゃんの三味線とか写真とか、
まるで骨董屋みたにいろんなものがあふれていて、あきらめた。
「茶箪笥」・・今の暮らしには、置き場がない代表選手?

あと「火鉢」が古い家には必ずある。天真庵の店の外にも「めだか入れ」として使っているものがある。
今、木工のあだちくんにアイデアをだして、その活用方法の実験中。
高気密のマンションでは使えないけど、残った長屋や古い一軒家では大活躍しそうだ。
しかもそれを使って、「新しい立礼(りゅうれい)の手前」をやってみようと考案中。
大学の臨時講師に雇ってくれないかな・・・世界へ広がっていく可能性を秘めている、
と確信しているのだが・・・

今日は二階は「満つまめの会」  営業は16時まで。それから「蕎麦打ち大学」
明日の朝は「卵かけごはん」

男と女のことの極意

昨日は「ダメ中」だった。だめから始める中国語。
6回で終了する予定だったものが、あれこれ10年近く続いている。
「こうあるべき」みたいな肩肘をはっていないのがいい。
これから変化の多い時代は「きめない」ことも大事だと思う。

中国人のゲストもきて、手作りのお菓子を持参してくれて、久保さんの志野の蓋碗(がいわん・・別名啜り茶碗)
にウーロン茶を3種類、順番にいれて、「中国語でお茶会」の雰囲気で、和気あいあいの勉強会。
中国では首脳会談みたいなんが行われているけど、「しもじも」ではとっくにふれあっているので、
お茶などを通じて、もっともっと仲良くなれればいいのに、と思う。
ただし、日本人で日常で「お茶のある生活」をしている人が絶滅危惧種なみなのが気になる。

中国語の前に、「お茶のお弟子様の家族」蕎麦を手繰りにきた。
「子供が二歳を迎えた」とのことで、「蕎麦のお食い初め」みたいな会になった。
人工授精で「小さく産んだ」けど、明るい笑顔が大きな「未来」を予感させる。
これからは、みんな「みの丈にあった暮らし」をめざせばいいし、商売や起業も
「小さく産んで、徐々に大きく育てていく」のがよろし。

昔昔、護国寺の骨董市で怪しい骨董屋から買った「三輪休雪」と箱書きのある抹茶茶碗を
「二歳の誕生日プレゼント」にあげた。

今朝スーパーに「がんど」が売っていた。富山さん。関東では「いなだ」(だから東京の表示はこれ)
いなだも80cmを超えると「ぶり」になる。
能登では、ぶりの小さいのを「コゾクラ」という。ブリの手前を「ガンド」という。

諸説あるけど、「ぶり」というのは、養生訓を著した「貝原益軒」が、「あぶらの多き魚」
と説明し、「あぶら」から「ぶり」になった、との説がある。
「接して漏らさず」・・・男と女のまぐわいの極致を説いた翁は、ブリが好物だったのだろうか?
彼は福岡藩の儒学者。福岡では、ブリの手前を「ヤズ」という。
ひょっとして「ヤラズ」から命名?あぶらののりきったブリの手前を食し、やらず(接して漏らさず)
でいくと、長生きできる・・・・と説いた?
でもほんとうは、「漏らさず」というのは、男と女のことは「秘めこと」にするのがよろし、
と諭しているのではなかろうか?セックスの中身までが、だれでも見れるような時代になったけど、
江戸時代にそんな未来に警鐘を鳴らしているのではと思う。

界隈のカフェめぐり

昨日はひさしぶりに完全なオフ。
近くを散歩していたら、Mくんにバッタリ。
普段はめったにあわないのに、休みの日なんかに路地裏とか、
なぜここ、みたいなところでよく合う。

こないだは、25年くらいつきあっているうちで、はじめて
近くにできたゲストハウスの一階のカフェでおごってもらった。

昨日は近くのカフェで珈琲をごちそうした。
おごられているにかかわらず、店をでた後に「なんでここの珈琲はいつもまずいのだろう」
とかいって「もう一軒いきませんか」ときた。
こないだ彼が金沢から電話があり「どこか金沢で珈琲の美味い店知りませんか?」
と問われたので「スタバでもいったら」と答えた。

金沢には、彼の舞踏仲間のご夫婦がいて、その弟子の舞踏を見に行った、
ということだった。
その夫婦の娘さんが押上に住んでいて、「ハラヘル」というカフェによくいく
らしいので、昨日の二件目は「ハラヘル」にいった。
お昼前で少し「はらへる」状態だったけど、珈琲を飲みながら談論を風発。

帰りに、木工のあだっちゃんにバッタリ。
「ハサミの彼が亡くなった」とのこと。ビックリ。一度天真庵にこられたこともある。
長崎に波佐見焼という陶芸が昔からある。有田や伊万里ほど有名ではないけど、質的
には甲乙つけがたいものがある。そこの陶器の工場を改装して、カフェを
やっていた岡田くん。彼がつくった「モンネ・ルギ・ムック」
終末には九州全土や本州からもお客さんがきたり、観光バスのコースになるくらい有名なカフェだった。
惜しい人がいなくなった。鎮魂。

今日は「ダメ中」

23分で人生観が変わる映画

昨日の夜は「おぶせびと」を観た。
アマゾンの「プライム会員」になっているので無料で観れた。便利な時代だ。
またYouTubeで「おぶせびと」で検索しても大丈夫。
わずか30分足らずの短い映画だけど、とてもこれからの時代に大切な「宝」
がいっぱいつまっている。へき地だとか、人口が少ない、とか高齢者ばかり・・・
そんなこと嘆いていても、今さら何も始まらない。
さっそく、我が新しいふるさと志賀町の町長さんにもメールを打って
「ぜひ見てね」とメッセージをおくった。

この映画の音楽は、なるちゃん、こと成川正憲さんのギターだ。
ついこないだ天真庵でもライブをやってくれた。
今回能登に一週間ほど暮らした。車の中で「おぶせびと」のCDを
聴きっぱなしだった。東京からお客さんが来た時もずっと。
実りの時を迎えた棚田や里山、毎日表情が豊かに変化する里山里海を
見ながら聴いていると、さながら映画の中に自分がいるような気持ちになる。

もう少し短い映画だけど、同じ監督(タカザワカズヒト)がつくった「おだやか家」
というのがある。この映画も成川さんが音楽を担当。やっぱりYouTubeで観れる。
少しだけど、彼がギターをつま弾くシーンもある。
来年はなるちゃんがギターかかえて能登にくる約束をしている。
「しかまちびと」という映画ができたりして・・・

閉塞感ただよい、この世も終わりが近い?というようなことばかりがまわりにいっぱいあるけど、
少し見方を変えれば、またキラキラと輝いている風景を夢見ることもできる。日々是好日。

世の中大きな曲がり角

♪かどかどかどかど曲がり角・・・
バブルのころカラオケでそんな歌が流行っていた。
ぼくはカラオケが大嫌いで、この10年に付き合いで2度いったくらいで
いかない。バブルのころは、毎日日付が変わるまで飲んでいて、スナックや
クラブ(今の若いもんがいう、く・ら・ぶ・・ではない)で飲んでいたけど、
歌はほとんど歌ったことがない。。どうでもいいけど。

今日は休み。でも「蕎麦打ち教室」があるので、いつものように5時に起き、散歩して、
店の前を寒山拾得のように掃いていたら、店の対面を「短小包茎でないじいちゃん。先日
端渓をくれたじいちゃんが通って「今日までで、施設にいく」とのこと。
いよいよ取り壊されるらしい。道を渡って、じいちゃんの家までいっしょに歩く。
「一週間前は、家に「ありがとうございました」といったヨ。昨日はただ泣いたヨ」とのこと。
返す言葉もなく、肩に手をかけた。「同期の桜」でも歌いたい気分だったけど、こちらも
もらい落ち込みで、そんな気分でない。

その後店で焙煎をしていたら、近くの経師屋さんがきて、「もうすぐ引っ越すので、炭を
とりきて」とのこと。彼も奥様に先立たれて、都心のマンションに移る。ときどき子供会?かなんかで「焼き芋」をやっていた炭が倉庫に
あるので、くれるとのこと。ほんとうに、この街の人たちには、いろいろ鍛えれたけど、
みなこの街を去る時には、天真庵に「何か」をおいていく。いい備長炭だ。人も芋も、最後は焼かれる。

そんなかんだで、午前が終わる。
2時に、邦楽の重鎮がくる。彼のお父様は人間国宝で、たまちゃんのお師匠。
たまちゃんの残した三味線をとりにこられた。「どうぞ彼女の意思を継いでいかれるかたに・・」
というバトンタッチ。握手をして、ふたりとも少し涙ぐんで「ではまた」・・
まるで「さよならだけが人生だ」の世界。年をとると涙腺も弱くなるけど、泣くような別れも多くなる、と思う。

すると、能登半島から「20人分の蕎麦会」の依頼の電話がある。一時間半(4時に蕎麦打ち)があるので、
錦糸町までいく。(100キンに、それ用のタッパを買いにいく。地方でそば会やる時には、いい)
バスでもいけるけど、浅草や河童橋や錦糸町あたりは、徒歩30分あればいけるので、
ほとんど歩く)。「哲」の時間であり、気分転換の時間でもある。

レジで勘定をすますと、蕎麦打ちのくん、から電話「今神田にいて、どうしてもお客さんのことで
蕎麦打ちにいけなくなりました」とのこと。「ま、人生いろいろあるからどうぞ気にするな」
といいいながら、内心はきれそうになった(ぼくは小さな約束を守れない人がダメみたい)けど、
気を取り直して「ブックオフ」にいく。3時半くらいまでいて「もしも、気がかわってお店にきたらかわいそうなので・・」
と思いながら、10冊くらい買ってお店にもどった。

そして買った本を読んでいると、日が暮れていく。

なんとなくだけど、いろいろなものが終焉をむかえていきそうだ。世界中。
「大きな♪カド カド カド カド 曲がり角・・」

壊される家には宝がいっぱい?

昨日は「卵かけごはん」だった。
何日か前からお店の前まできて、入ろうか入るまいか、とまよっている近所のおばあちゃんがいた。
意を決して?ドアをあけ「天真庵デビュー」
卵かけごはんのメニューを見て、開口一番「つけもの!」と叫ばれた。耳が遠くなった老人特有の
大きな声で・・「卵かけごはんが550円で、それにつけものと味噌汁がついています」というと
「じゃあ それ」といって納得された。子供は「これ何?」「なんで?」で聞くようにまわりにあるものを
いろいろ質問されたりしたけど、「いずれいく道」の先輩だと思い、「麻あめ」「石臼」「テンビンばかり」・・・
といちいち説明していくうちに、「へんなものがいっぱいあるお店だな」と自問自答した。

夕方6時半過ぎに元気なじいちゃんが、入ってきた。ばあちゃんと同じく、70代後半、後期高齢者という世代。
「画廊、と看板に書いてあるけど、何を飾ってんだ?」ときた。その横着な口利きには閉口するが、
「うちは寒山拾得の絵を飾っている」と答えた。「なんだそれ?それよりも酒は置いてあるのか?」
ときた。「そんなもの置いていない。うちは純喫茶や」と答えた。順受の会のメンバーがカウンターにいたけけど、
みなくすっと笑う。23年も続くこの会のメンバーもあと10年もすれば、みな後期高齢者なのであるが・・・

7時になって「順受の会」が始まった。ドアをたたく音がする。もうすぐ家が壊され施設に入るおじいちゃんだ。
手に黒い箱をもっている。「これ見つかったので、あげる」とわたされた。
開けるまでもなく「たんけい」だとわかった。
「おやじが使っていたもんだけど、あげる」という。「これはきっと、タンケイだよ」
というと、「おれのは立派だぞ、短小包茎のタンケイじゃないぞ。見せようか?」といってチャックに
手をかけニヤリ笑った。それを使っていたおじいちゃんは、名にしおう筆の職人さんだった。
立派な筆をつくる巨匠のせがれの筆が、巨砲かどうかは知らないが、タンケイはいい。

黒檀の硯箱に入った「端渓」(たんけい)。古端渓硯だ。硯は、 紙・筆・墨と共に「文房四宝」といわれた。
後の3つは、消耗品で一代かぎりだが、硯は時代を超えて、受け継がれる。
大事な家宝が、うちの家宝になった。
「田舎暮らしは宝がいっぱい」という本があったが、「都会暮らしも宝がいっぱい」である。

明日は近くの「花王」さんの主催の「発酵の勉強会」にいってくる。
夕方は満つまめの会のまーくんが蕎麦打ちにくる。目はほとんどみえないけど、全身を研ぎ澄ませて、すごいそばを
打つようになってきた。反対に教わること多し、である。

木曜日は「焙煎塾」。世の中にこんなに楽しいものはない、くらい、珈琲の焙煎はおもしろい。

二重の虹

こないだ、寒山拾得美術館の近くで釣りをした。
朝、ざえさんの音(6時に♪みんなで笑ってる・・・)が聞こえ、目覚ましになる。
アオリイカを狙って海にいこうとしたら、水平線に虹が二重に連なっていた。
家の片づけをしてくれた梅林ガールズさんが、それを写真にして昨日もってきてくれた。
雲のどんよりした感じ、これから波がきびしくなる日本海・・・いい感じだ。

松本清張さんの「ゼロの焦点」の舞台になった「やせの断崖」も歩いて5分のところにある。
火曜サスペンスの最後にがっけっぷちで犯人が追い詰められたりするシーンは、そこから始まった
らしい。演歌や推理小説や失恋したり人生を考え直したりするのにいい場所なのか?
そこのすぐ近くに「義経の隠し船」がある。

今回、輪島の「泳」という料理屋に3度昼ごはんを食べにいった。
車で10分くらいの集落にあり、北前船のゆかりの地。命をかけて海を渡って
きた人たちが、暮らした痕跡が残っている。場所がら、輪島塗のめっかで、建物(天井や柱)まで
漆がほどこされた後があり、食器も漆が多い。

「食器は料理の着物」と、のたまわれた魯山人さんも「漆は、自然光で、日本間の空間でこそ似合う」
みたいなことをいった。まさにそうで、輪島界隈には、長い歴史の中でそこの風俗や気候にあった
「漆」が今でも輝いているようなところがある。

床の間の問題もしかり。「日本の本当の美術」とかいうものを、「伝える人」が
いなくなった。子供の教育のため「田舎の自然が大切」だと思っていても、
そこで楽しんだりする術を、その親が知らない、というのが大半らしい。
「衣食足りて礼節をしる」。衣食住まで足りたていそうな日本人に礼節は?
そして、その後に大切なものは?   「ゆとり」「悠」「遊ぶ」・・・

先日、10年使ったペティーが薄くなってきたので、河童橋の包丁やにいった。
今はお客の8割が外国人。研ぎの必要じゃないステンの包丁ではなく、砥石が
必要な包丁を買い求める姿がめにつく。
ちょうど行きつけの包丁やの開店時間で、のれんがでるとこだった。
そののれんを出す店員さんも青い目をした外国人」

無地の少し柔らかめの刃のペティーを見つけ、その定員さんに
「これください」といった。「これは展示品なんで新しいものをもってきます」
と流暢な日本語。続いて「お客さまは右ききですか、左ききですか?」
ときかれたので、「右だけど、夜は左です」というと「?」な顔をした。
「両刀使いです」と言い直すと、ますます困った顔をした。
「出刃なんかは片歯だけど、ペティーは両刃なんで、右も左もないですよ」
と小さな声でいうと「あ、そうか」と頭をかいて、箱入りの包丁を
もってきてくれた。実にきれいな刃に、「Tenshin-an」と刻印してくれた。

なんかすごくうきうきした気分になったけど、浅草をはじめ、日本の観光地の
「ありかた」に、あやうげな将来がみたいなものが去来する。

床の間、漆器、陶器、お茶、お花・・・・ほんとうに世界にほこるような日本の文化を
伝えれれる「ゆとり」も「ひと」もいなくなりつつある。

ちなみに「夜は左」といったのは、左党であるという意味。
ちょっとおじさんギャグっぽいけど、酒飲みのことを「左党」という。
大工は、右手に金槌、左手に鑿(のみ)をもって仕事をする。
左手に「のみ」が、飲みになった、わけだ。今では死語みたいになった。

今日は「論語の会」(順受の会。)月に一度、有志が集まり、論語などを
ろうろうと読む。絶滅危惧種のようなものだけど、23年も続いている。
いりろな「文化」があうあういところにきているけど、消えそうで消えないもの、
消してはいけないものが、かならずある。

ちゃぶ台でもいい。手作りのテーブルもいい。そこにお気に入りの箸置きと箸をおく。
それだけで、食事が豊かになる「凛」がただよう。日本人の「暮らし」の原点。

カッパの酒宴

10月中に取り壊される近くの家の人に、掛け軸をもらった。
大きな立派な風呂敷に包まれて、いろいろな「いわくつき」
の物語がこめられた品々。鑑定団なんかによくでる話だけど、借金のかたに
おいていったものがけっこうあるらしい。かびたり、汚れがひどいのは捨てさせて
いただき、すこしひょうきんな河童の掛け軸を飾ってみた。
三匹の河童が酒を酌み交わしている。「三酔」と揮毫された絵である。

古い家には、みな床の間があった。季節の花を花器に投げ入れ、掛け軸を来客や季節
にあわせ、お香を焚いたり、茶会の時にはろうそくを灯したりした。「各家の美術館」
そんな時代だからこそ、質草になったり、借金の担保になったということだ。
きっと今よりも、日本は貧しい時代だったと思うが、こころは「ゆたか」に
満ちていたに違いない。久保さんの備前の徳利に剣菱をぬる燗にして飲む。
「お金を借りた人」「貸した人」「その人たちのことを忍ぶぼく」と三酔。なかなかよい。

もうひとつは「釣り人」。
なかなか文人好みの掛け軸。海付きみたいな能登の寒山拾得美術館の二階にもっていって飾った。
潮騒の音の中で、絵がキラキラと輝いた。
美術館のある能登は冬は積雪は少ないけど、人が来るのを拒む寒風が吹くので、冬季は
お休みになる。ただし、梅の剪定などやる時は、あけようと思っている。
寒ブリのしゃぶしゃぶや、たら汁を食べながら、冬を楽しもうと思っている。

「老後をいかに過ごすか」というのは、日本人みんなの問題。壊される古民家、壊されず朽ちていく古民家、
どこの町も空き家だらけで、商店街がシャッターだらけ。
親の介護や自分たちの営みと同時に、すぐに自分たちの番がやってくる。
「やれるやれない」の問題にまず「お金」の話になる。週刊誌などは「老後に何千万ないといけない」
などという脅しのような記事も多い。

でもなんでもまず「楽しむ」ことを念頭におけば、どうだろうか。(もちろん簡単なことではないが・・)
「親の介護を楽しむ」「自分たちの老いを楽しむ」お金がなくても志ん生さんみたいに「貧乏を楽しむ」

夏に父が大往生し、母の施設を探したり、空き家になる家のこと・・・いろいろな問題がでてきたけど、
けっこう楽しみながら、毎日をおくらせてもれっておりまする。「どうにかなる」もんだ。

本日は日曜日なので16時閉店。それから「蕎麦打ち教室」二階は「満つまめの会」夜は「ゆるゆるヨガ」
明後日は「卵かけごはん」夜は「順受の会」