今日は千葉から大分の耶馬渓(やばけい)に移住して、家族4人で田舎暮らしを
しながら音楽活動をしている「平魚泳」さんたちのライブ。
中津市にある耶馬渓は風光明媚な山紫水明どころで、頼山陽が命名したことで知られる。
ぼくらが小学校の時は、別府と耶馬渓がセットだった。
北九州は、騎馬戦のことを「川中島」といった。声に自信のある先生が頼山陽の「川中島」
を吟ずるところから始まる。あの有名な♪鞭聲粛粛(べんせいしゅくしゅく)夜河を過る・・・
赤白別れて、信玄と謙信にみたて、
「♪いざ このたびは、謙信と・・」「♪いざこのたびは、信玄と・・・」とかいって
相撲のしきりのように、声をあげていく。小学生たちもだんだん体中が熱くなって赤みが増してくる。
そしてピストルがバーンとなり、総当たり。
最後は大将どうしで一期打ち。なぜ北九州で「川中島?」はなぞのまま。
壇ノ浦も近いし、田原坂も近いのに?耶馬渓が修学旅行に入っていたくらいなので、
その当時の教育委員会のえらいさんに熱烈な頼ファンがいたんだろうね。
耶馬渓には「青の洞門」がある。ここは子供の教育には大事な場所やね。
菊池寛の『恩讐の彼方に』のモデルとなった有名なとこ。かつては難所で遭難者が絶えなかったとこを、江戸時代の僧・禅海和尚は蚤と槌だけを使って岩壁を掘り、30年間もくもくと掘り続け貫通させた。円空彫りではないけど、その時の蚤の後がくっきり残っている。
九州にいったら、温泉だけでなく、ぜひ耶馬渓にいってね。「ここヤバイっす」よとなるでしょう。
耶馬渓には「豆岳珈琲」があります。ここのオープンエアーなテーブルで珈琲を飲むと、座禅
しているような気分になる。平魚泳さんたちも、ときどきそこでライブをする。
感度のいいアーティストたちが移住して、街がいい感じに醸しだされている。
「土地の人とよそ者の交流の場」として、「カフェ」の役割は大きい。集会所や
寺子屋が機能していない今はとくに大事なような気がする。
ひとむかし前、団塊世代が引退して田舎暮らしをしたりすることを「ロハス」
とかいっていた。なんか結局マスコミがでっちあげたマーケティング?で
あまりムーブメントにならなかった。最近は確実に若い世代の人たちが
「田舎暮らし」にシフトしているようだ。二か所暮らし、三か所暮らしも
これからの風になるのではなかろうか?
平魚泳さんたちの音楽も、耶馬渓の地を耕し、自分たちの暮らしをつくり、
育んでいくような「あたたたかさ」みたいなものがある。
外国ではそんな人たちのことを@カントリージェントルマンと呼ぶらしい。
時々は田舎の空気を吸ったり、田んぼや畑仕事や梅仕事をするような
ことはカッコイイことではなかろうか?自給自足率もあがるし、健康で持続可能
な暮らしができる人が増えれば、介護や医療費の削減にもなるし、
なんといっても、元気なじいちゃんばあちゃんがいる風景は素敵ではありませんか。
そんなこともあって、今日そんなライブをやる。
能登の志賀町も耶馬渓に負けないくらいの里山里海の風景に恵まれている。
役所の人たちも移住者に親切で、アポなしでいっても、笑顔で家族のようなフンイキ。
志賀町に移り住む人のことを、そのうち@志賀んとりーじぇんとるまん、と呼ぶかもなんばん。
志賀町のユルキャラ「あかりちゃん」は、日本で一番古い木造灯台。北前船の時代から
航海中の大事な役割を果たしてきた。港も交流の場。そしてお祭りが盛んなとこでもある。
「いいカフェ」「いい役所」「いい祭り」・・・移りすむ時の羅針盤でもある。