お茶を楽しむ

昨日は、二階で茶会のようなお稽古。
ぼくのお茶のお弟子様だったかごんまのMさんが、自分で入れた
宇治茶を下までもってきてくれた。「たいへんけっこうなおかげん・バイ」
お茶がおいしい、とか、お点前がうまい、とかいう前に、お茶を通じて
出会ったことにお互いが感謝する。一期一会の醍醐味だ。

そんな時間を過ごしていたらハリーポッター(ぼくが勝手にそうあだ名をつけた)くんが
彼女といっしょに蕎麦を手繰りにきた。彼らもぼくのお茶のお弟子様(ただし、途中で能登の準備
のため、お茶の教室を閉鎖したため、過去形になってしまっている)。
ハリポッターくんは、金工をやっていて、茶たくなどをいろいろ作ったりしている。
先週、この町から田端のほうへ引っ越しをした。昨日のそばが「引っ越しそば」になった。

これも縁なので、二階にあがってもらい、正客をやってもらった。
坐って、膝をつきあわせて、「はじめまして」がひょっとしたら、「未来永劫に・・」になる瞬間。
こんな出会いの妙を、日本人はお茶を喫する刹那に感じながら生き暮らしてきた。

座禅をしたりお茶を飲んだりすると、脱糞した時のような「悟りの瞬間」の境地になる。そんな若いふたりに、
「お世話になりました」と、お抹茶のお菓子をいただいた。礼節という言葉が死語のような時代に、
自分の子供たちより若いカップルにいろいろ教えてもらった。感謝。
引っ越しのお祝いに、久保さんの「深向付」をあげた。「?」
という顔をされたので、「これに、金工を施して灰皿をつくって愛用して」と伝えた。ぼくの前では吸った
ことがないけど、彼は「もくもく茶論」をつくろうとしている人でもある。
人もたばこも煙になってこそ価値がわかる、だ。愛用する器も、次の世代にわたっていく。「スキ」(好き&数寄)が
また素敵なバトンタッチ。断捨離もいいけど、大事なものは、受け継がれていくのもいい。

これから「卵かけごはん」
夜は「順受の会」

明日が「満つまめの会」夜が「書の会」
明後日からちょっと長い「夏休み」。