夏休み

♪ねえさん 先生 もういない 
きれいな先生 もういない  それでも待ってる  夏休み・・・

吉田拓郎の夏休みを聴いていると、とんぼや 海水浴(あったっけ?)や 絵日記 ・・
どこにもある日本の夏休みの風景がでてくるけど、よくよく聴いていると、夏に広島に原爆が落ちて、
幸せな日常が一瞬に消えていったこと、をうたっている。原爆反対&反戦歌だ。

6月に青山に白井晟一さんの「原爆堂」の展覧会をMくんと見にいった。現実にはその建物はできていないけど、
核という人類を絶滅させる可能性のある凶器をやめるべきだ、という祈りみたいなものが随所にあふれた作品で、
それがCGになって戦後73年目に映像になった、ことに感動した。
唯一の原爆被爆国の日本が、ゆうことのきかない可能性のある「原発」をたれっぱなしにしたまま、また
再稼働の方向に向かっている。「おわりのはじまり」みたいな話だ。

昨日は「白井晟一の原爆堂 四つの対話」(晶文社)を読んだ。
この夏休みでぜひ一読していただきたい一冊。

原爆堂は実現しなかったけど、核を使う人間のおろかさ、平和への祈りをこめた作品が、長崎
の佐世保に残されている。「親和銀行」。白井晟一さんの代表作みたいな建築。
もうひとつの被爆地である長崎に建っていて、それが「原爆堂」につながっていることを知る。
何度も見にいったけど、また改めて見たくなった。新しい「ペシコ」にいく時によってみよう。
彼の「無窓」(晶文社)というエッセーに「めし」「豆腐」というのがある。
なんとも不思議な話ではあるが、江古田にあった白井さんのアトリエ兼自宅「虚白庵」に初めて
いった日の午後に銀座で個展をやっていた「久保忠廣」さんと出会った。そこで「豆腐」
の話になった。日本人は、日常茶飯の中の「用の美」に、日本人独特の美意識のDNAを
つなげてきた貴重な民族。縄文時代からずっとつががっている。

今は「虚白庵」はなくなり、そこに飾ってあった「時計」とか「ランプ」とか「燭台」などが、
天真庵で使われている。ここの建物も73年前に東京大空襲で焼け、その年に建てられたもの。
古色蒼然を超え、建っているのもおぼつかぬボロボロな建物ではあるが、建ったいるだけで、
何かを訴えるようなフンイキは醸し出しているようだ。時という自然がいろいろなものを流し
消したりしていくけど、「わすれてはいけないこと」というのはあるよね。

「白井晟一の原爆堂 四つの対話」(晶文社)と「無窓」(晶文社)を読むと、日本人に戻る
ことができるかもなんばん。松涛美術館も白井さんの作品。ここにいって、本を読むと
ぐっと内容がせまってくる。

今日は二階で「満つまめの会」 16時まで営業。それから「蕎麦打ち」
明日の朝は「卵かけごはんですよ」

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