わが父は93歳。このままいっても大往生で、拍手ものだ。
でも、お姉さまが二人存命である。ふたりとも宮崎にて元気に暮らしている。
99歳の長女のおばさんから手紙がきた。35年前、東京に住んでいて、秋葉原で創業したばかりのころ遊び
にきてくれた。近くの「街の中華屋さん」で、飲んだ。少し暑い夏だったけど、ふたりで
キリンラガーの大びんを6本空にした。うちの親父も「クロキリ」を「ナナサン」といいながら、
「ほぼストレート」で、一升を2日で飲んでいた。そんな酒豪の弟にむかって「義一はあいかわらず酒が弱いね」が、おばさんの口癖だった。
真っ向勝負をすると、父が先にダウン(寝る)していたみたい。学生飲み、というよりも野蛮な原始人の酒宴?のような
ものが、つい15年くらい前までは実家でおこなわれていた。
文
義一さん、体調が悪いとの連絡を受け、涙が止まりません・・・・(略)
私は来月25日に百を迎えます。車いすで生活していますが、足がおぼつかぬ以外は、まったく体に異常は
ありません。弟でありながら、我が家のことを応援(おばさんはご主人を戦争ではやくなくした)してくれたこと、
感謝してもつくせません。這ってでも、そちらに向かいお礼をいいたい・・・・・義一さん、どうぞできたら、
一日でも長く生きられて、わたくしと同じように100をめざしてください。そんな励ましの手紙を書きながら、涙腺がゆるみ、
涙がとまりません。繰り言ばかりでごめんなさい。回復されることを宮崎で祈っています。かしこ。
そんな内容の手紙だった。きれいな直筆で便せん4枚。かみさんが親父の枕元で読んだ。読み終わって、「うん」とうなずいた。
目から一筋涙がすーと流れた。書いた方、受け取る方とも、大正生まれの「日本人の気骨」を感じた。
ふたりの「元気」の素は、焼酎を毎日飲む、が一番。
でも「くよくよしない」という精神力は並外れているように思う。
還暦を超えたあたりから、おばさんにすすめらて、ふたりとも「クエン酸」を飲んでいる。
それも元気の素に違いない。
先月入院して食欲が落ちてから、能登梅の梅干しと梅シロップをおくったら、それだけは毎日かかさず飲める
ようになった。想像以上に「梅の力」は大きい気がする。
ゼリー食になっても、やはり梅ぼしはかかせない。デザートにヨーグルトがつくのだが、それにも
梅シロップでつくったジャムをのせて食べる。豚の冷シャブに梅味噌もいいらしい。(そばのお弟子さまがやったらしい)
昨日は秋葉原のカリスマ料理人がきて「クッキングババ」の打ち合わせ会議。
人は最後は「ひとり」で生活するようになる。施設で三食付きも選択肢のひとつだが、
「ひとり茶」「ひとりごはん」の楽しみ方というのも捨てがたい。
体調やボケ具合との相談にもなるが、「気持ち」が大切なような気がする。
今日から世間は盆休み。いつまでもあると思うな親と金。そして「自分の人生」だ。
あっという間に、二度なしの人生が終わる、のが人生。日々是好日。