耶馬渓

やばけい、江戸時代の煎茶人であり、日本外史を著した頼山陽が命名した風光明媚なとこ。
大分県の中津市にある。青の洞門でも知られる。

そこの山の中に、山小屋のような珈琲屋さん、「豆岳珈琲」がある。耶馬渓の景色を借景にした、
自然によりそうような場所で喫する珈琲は、頼山陽も知らむまい。頼山陽と田能村竹田が
かわした書簡は「一楽帖」といい、国宝になっている。日常の中にある「素敵」を発見すると、
「またまた一楽」と書いて往復したものだ。
「山の中の珈琲屋のベンチで珈琲を飲む、またまた一楽」そんな具合だ。

この珈琲屋がコミュニティーの場になって、その地に移住する人が増えている。
天真庵の寺子屋をちょくちょくのぞいていたTくんも、5年くらい前に移住して、今では
すっかり耶馬渓の顔になっている。森の達人につき森仕事の修行から始まり、今は田圃も
自分でやっているらしい。

9月に天真庵でライブをやることになった「平魚泳」さん。6月に大阪から門司に向かうフェリーの
中で知り合った。阪九フェリーの中では、時々「船上ライブ」をやっている。海を見ながら
お酒を飲んでいたら、ウクレレの音がしてきた。席をそちらに移動すると、若い青年が楽しそうに
ウクレレを爪弾きながら歌っている。曲の合間に「これから耶馬渓に帰る」とのこと。
千葉から耶馬渓に移住したことを知る。

30分のライブが終わり、CDを買って談論を風発して、「Tくんは元気ですか?」と聞いたら
「こないだまで隣どうしでした」とのこと。もちろん、豆岳珈琲は日常茶飯の場であり、
しょっちゅうライブをやるところだ。

そんな無駄のない縁を船上でむすんで、9月に天真庵でライブをやることに、あいなりました、で、そうろう。
その時に買ったCDが「100年」という。今年は甲子園が100年の記念大会。わが母校宗像(むなかた)高校も100年。

100年(平魚泳)

いつかいく100年後に続く今
かつてあった100年前から来た今
かつての少年が歌っている
いつかの老人はほほ笑む

いつか来た 同じ道を歩いて
いつか行く 僕の子供たち
いつもある こんな夕焼け空仰いで
かつての父親の目で笑う

・・・・(略)
かつてあった100年前から来た今

明後日、木曜日は「焙煎塾」

9月はいろいろなライブが目白押上   1

1日(土) 弾き語りシャンソン ライブ

演奏:・上原英里(ヴォーカル&ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

22日(土) ボサノヴァライブ 秋の光

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

28日(金) 平魚泳とコペコペカナオの一家で里帰りツアー

演奏:平魚泳(唄・笛・ウクレレなど)・コペコペカナオ(唄・ウクレレ・タイコなど)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

木鶏になる?

昨日は「満つまめの会」だった。
またまた、新しい技を習得したらしい。時間があればゆっくりやってもらいたい、
と思っていたけど、お客様がたえず、昨日は終わり際に3分ほど「気」をいれて
もらった。

最初は胸あたりを左右前後に気を入れ、連動する無駄なものを断ち切ってもらう。
そして、二度大きな呼吸をする。すると、まーくんが全身に力を入れても
ビクともしなくなる。大地に足がしっかり根ずく?そんな感じ。
中国の故事の「木鶏」を思い出した。闘鶏で最高峰になると、まるで木で彫った
鶏のように、威風堂々として、そこにいるだけで、オーラを発する。

まーくんは先月「蕎麦打ち」を初体験した。目はほとんど見えないのだが、心眼というか、
ほかの五感がすばらしく、体幹も気力も充実しているので、驚くほど「いい蕎麦」を打った。

これから「卵かけごはん」

9月はこのふたつに、28日(金)に「平魚泳」のライブ ウクレレ タイコ 歌・・・耶馬渓からやってくる。

1日(土) 弾き語りシャンソン ライブ

演奏:・上原英里(ヴォーカル&ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

22日(土) ボサノヴァライブ 秋の光

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

夏休み

♪ねえさん 先生 もういない 
きれいな先生 もういない  それでも待ってる  夏休み・・・

吉田拓郎の夏休みを聴いていると、とんぼや 海水浴(あったっけ?)や 絵日記 ・・
どこにもある日本の夏休みの風景がでてくるけど、よくよく聴いていると、夏に広島に原爆が落ちて、
幸せな日常が一瞬に消えていったこと、をうたっている。原爆反対&反戦歌だ。

6月に青山に白井晟一さんの「原爆堂」の展覧会をMくんと見にいった。現実にはその建物はできていないけど、
核という人類を絶滅させる可能性のある凶器をやめるべきだ、という祈りみたいなものが随所にあふれた作品で、
それがCGになって戦後73年目に映像になった、ことに感動した。
唯一の原爆被爆国の日本が、ゆうことのきかない可能性のある「原発」をたれっぱなしにしたまま、また
再稼働の方向に向かっている。「おわりのはじまり」みたいな話だ。

昨日は「白井晟一の原爆堂 四つの対話」(晶文社)を読んだ。
この夏休みでぜひ一読していただきたい一冊。

原爆堂は実現しなかったけど、核を使う人間のおろかさ、平和への祈りをこめた作品が、長崎
の佐世保に残されている。「親和銀行」。白井晟一さんの代表作みたいな建築。
もうひとつの被爆地である長崎に建っていて、それが「原爆堂」につながっていることを知る。
何度も見にいったけど、また改めて見たくなった。新しい「ペシコ」にいく時によってみよう。
彼の「無窓」(晶文社)というエッセーに「めし」「豆腐」というのがある。
なんとも不思議な話ではあるが、江古田にあった白井さんのアトリエ兼自宅「虚白庵」に初めて
いった日の午後に銀座で個展をやっていた「久保忠廣」さんと出会った。そこで「豆腐」
の話になった。日本人は、日常茶飯の中の「用の美」に、日本人独特の美意識のDNAを
つなげてきた貴重な民族。縄文時代からずっとつががっている。

今は「虚白庵」はなくなり、そこに飾ってあった「時計」とか「ランプ」とか「燭台」などが、
天真庵で使われている。ここの建物も73年前に東京大空襲で焼け、その年に建てられたもの。
古色蒼然を超え、建っているのもおぼつかぬボロボロな建物ではあるが、建ったいるだけで、
何かを訴えるようなフンイキは醸し出しているようだ。時という自然がいろいろなものを流し
消したりしていくけど、「わすれてはいけないこと」というのはあるよね。

「白井晟一の原爆堂 四つの対話」(晶文社)と「無窓」(晶文社)を読むと、日本人に戻る
ことができるかもなんばん。松涛美術館も白井さんの作品。ここにいって、本を読むと
ぐっと内容がせまってくる。

今日は二階で「満つまめの会」 16時まで営業。それから「蕎麦打ち」
明日の朝は「卵かけごはんですよ」

おばさんの手紙

わが父は93歳。このままいっても大往生で、拍手ものだ。
でも、お姉さまが二人存命である。ふたりとも宮崎にて元気に暮らしている。

99歳の長女のおばさんから手紙がきた。35年前、東京に住んでいて、秋葉原で創業したばかりのころ遊び
にきてくれた。近くの「街の中華屋さん」で、飲んだ。少し暑い夏だったけど、ふたりで
キリンラガーの大びんを6本空にした。うちの親父も「クロキリ」を「ナナサン」といいながら、
「ほぼストレート」で、一升を2日で飲んでいた。そんな酒豪の弟にむかって「義一はあいかわらず酒が弱いね」が、おばさんの口癖だった。
真っ向勝負をすると、父が先にダウン(寝る)していたみたい。学生飲み、というよりも野蛮な原始人の酒宴?のような
ものが、つい15年くらい前までは実家でおこなわれていた。


義一さん、体調が悪いとの連絡を受け、涙が止まりません・・・・(略)
私は来月25日に百を迎えます。車いすで生活していますが、足がおぼつかぬ以外は、まったく体に異常は
ありません。弟でありながら、我が家のことを応援(おばさんはご主人を戦争ではやくなくした)してくれたこと、
感謝してもつくせません。這ってでも、そちらに向かいお礼をいいたい・・・・・義一さん、どうぞできたら、
一日でも長く生きられて、わたくしと同じように100をめざしてください。そんな励ましの手紙を書きながら、涙腺がゆるみ、
涙がとまりません。繰り言ばかりでごめんなさい。回復されることを宮崎で祈っています。かしこ。

そんな内容の手紙だった。きれいな直筆で便せん4枚。かみさんが親父の枕元で読んだ。読み終わって、「うん」とうなずいた。
目から一筋涙がすーと流れた。書いた方、受け取る方とも、大正生まれの「日本人の気骨」を感じた。

ふたりの「元気」の素は、焼酎を毎日飲む、が一番。
でも「くよくよしない」という精神力は並外れているように思う。
還暦を超えたあたりから、おばさんにすすめらて、ふたりとも「クエン酸」を飲んでいる。
それも元気の素に違いない。

先月入院して食欲が落ちてから、能登梅の梅干しと梅シロップをおくったら、それだけは毎日かかさず飲める
ようになった。想像以上に「梅の力」は大きい気がする。
ゼリー食になっても、やはり梅ぼしはかかせない。デザートにヨーグルトがつくのだが、それにも
梅シロップでつくったジャムをのせて食べる。豚の冷シャブに梅味噌もいいらしい。(そばのお弟子さまがやったらしい)

昨日は秋葉原のカリスマ料理人がきて「クッキングババ」の打ち合わせ会議。
人は最後は「ひとり」で生活するようになる。施設で三食付きも選択肢のひとつだが、
「ひとり茶」「ひとりごはん」の楽しみ方というのも捨てがたい。
体調やボケ具合との相談にもなるが、「気持ち」が大切なような気がする。

今日から世間は盆休み。いつまでもあると思うな親と金。そして「自分の人生」だ。
あっという間に、二度なしの人生が終わる、のが人生。日々是好日。

これからはIHがいいかもなんばん

先週の木曜日に「父危篤」の連絡を受け、金曜日の朝イチの新幹線で
帰福。錦糸町から品川までJR、それから小倉まで新幹線(一番ホームにて、かしわうどんを食べ   鹿児島本線で東郷駅)
で、正午前につく。ずいぶんと新幹線のスピードもアップしたし、つなぎもよくなった。)

「週末まではもたない」という医師の言葉どおり、ベッドの上の父は、ごはんを食べず、点滴したまま、顎呼吸をし、まさに最終末、といった感じやった。
ガダルカナルで生き残り、30年前に動脈瘤の大手術をし、その手術でつないだふたつの人工動脈を
92の秋と今年の初めにカテーテル手術にて交換。まさに不死身な93歳も、大往生の時を迎えたようだ。

医師の宣告を無視したように、週末を終末にしなかった。甥っ子たち3人もそろい、お別れをしよう、
みたいなフンイキになった。近くのコンビニにいき、杯をキャップにしたワンカップ月桂冠をふたつ買った。
病院にバレルとうるさいので、アル中のおっさんよろしく、緑のシールをはずし、そっと病室に・・・
そして、ティッシュに酒を湿らせ、父の乾いた口に入れる。目をカッと見開き、「もう一杯」
という。ので、三々九度みたいに、三度飲ませた。見ようによっては、虐待やけど、本人の顔は
恵比須顔になり少し赤らんだ。甥っ子たちも、その「お流れをちょうだい」で乾杯。

次の日の朝、婦長さんに「誰が飲んだのですか?」と、テーブルに残っていた一本を発見され、問い詰められた。
「みんなで人生を語りあってプチ送別会を・・」というと、「誤嚥せん程度にしてくださいね」とニッコリいわれた。さすが
九州の人は「酒」に関してはおおらかだ。病院の向かいに我が母校がある。夏の合宿(ぼくは卓球部やった)の時、
先輩たちと先生が合宿所で酒を飲むのがならわしやった。ぼくも無性に飲みたくなったので、そこを抜け出し、「源」(みなもと)
という居酒屋にいき2人で飲んだことを思い出した。ツレのYくんと次の日に、こっぴどくおこられた。
Yもぼくも、その後立命館に入学し、時々河原町の居酒屋で、その時のことを笑いながら飲んだりした。その
「源」はなくなって、カラオケ居酒屋になった。でも天真庵のそばをお願いしているそばやも「みなもと」という。
根っこ(源)は繋がっている。

次の日に父曰く、「ラーメンが食いたか」。「まよわず、すぐ実行」が野村家の家風?でもあるので、
コンビニでニボシラーメン(もちろんインスタント)にお湯をそそぎ、匂いがもれないように、ビニール袋を
二重にして、病室へ・・
汁だけをティッシュに湿らせ、口に入れる。指をOK牧場にして「マイウー」という。これを読んでいる人は
ウソだと思うやろけど、ほんなこったい(本当です。)

次の日、担当の医師が不思議な顔して病室を訪れる。「明日から、ごはんを用意させます」という。これこそウソ
のようなまことの話。水曜日から「ゼリー食」になった。

終末医療の病院は、老人ホームといっしょで、9割が女子?だ。朝になると、隣の病室のおばあちゃんが大きな声で
「私の化粧バッグばもってきて」とおらぶ。看護婦さんが「おばあちゃん、化粧せんでもきれいばい」と答える。
なんとも、戦場みたいな殺伐たるフンイキの病院の中で、クラシック音楽が流れたような風が吹いた。
高齢者社会になり、親の介護や自分たちの老後の不安をあげれば、きりがない。でもやはり「死ぬまで生きられる」
のであり、「毎日が一生」である。ひとりになる母ため、台所にナショナルのIHを買っておいた。
それで梅シロップの梅をジャムにしたり小豆を煮てみた。ある意味、ガスよりよかよかである。
母に「これで料理本でも出したら」と冗談でいうと笑われた。
題名は「クッキングババ」かいな?

今日から通常営業。昨日病院から東郷駅にいき、小倉で「かしわうどん」を食べいなりをおみやにし、安心院(あじむ)ワインを(
買い、それを紙コップでチビチビ(広島過ぎたら空になったので、この表現はあやし?)飲みながら、東京へ。

今日は「英語でそば会」。

臨時休業のお知らせ

誠に申し訳ございませんが、明日4日(土曜日)、明後日5日(日曜日)は、
臨時休業にさせていただきます。

明日の「満つまめ」は、約束通りいたします。

月曜の「卵かけごはん」と「満つまめ」は、約束どおりいたします。

命にかかわるような暑さの中、わざわざお運びのお客さま、申し訳ございません。
猛暑お見舞い申しあげます。くれぐれもご自愛のほど・・・   感謝・野村拝

たまちゃんの悪口をいう会

水曜日に、たまちゃんが煙になった。
焼き場に、お笑い芸人さんたちも20人近く集まり、
にぎやかに大往生に拍手しながら送りだした。

誰ともなく「忍ぶ会をやりたい」という話になり、ある人が「では、最後に一番迷惑を
かけた天真庵で、「たまちゃんの悪口をいう会」をやろう」ということになった。

生前、身内のことになると「わたしは、大川(隅田川)に着物まくってつかって、けつふっても何にもでない」
というのが口癖やった。小さいころに売られ、天涯孤独で、芸ひとつで90年近く生きてきた。
新内、常磐津、太鼓、篠笛、日本舞踊、かっぽれ・・・どの芸も超がつくほど一流で、「不失花」の
華ある人生やった。ときどき「けつまくる」ような騒ぎもあったけど、お弟子さんや仲間や縁ある人に
「おめでとう」みたいな気持ちでおくられた。

菩提寺の住職さんが、頼んでもいないのに、お経をあげてくれ、・・玉泉・・なる、立派な戒名も
くれ、お墓に入れてくれることにもなった。
「本来無一物」というのは、なにものにも恵まれている最高の姿である。

立って半畳 寝て一畳 どんなに飲んでも二合半

昨日は「おとこかっぽれ」だった。
たまちゃんのおはこだった...ねんねこせ ねんねこせ おさとのおみやに なにもろろた 電電太鼓に しょうの笛・・
女踊りで、赤ん坊をあやすように踊る場面がある。足を内またにして、音楽より少しおくらせて、足を上げながら
舞う。そこの間、とくにたまちゃんが踊る間、は、ジャズの即興のような妙があった。

昨日はかっぽれの前に、まーくんが「蕎麦打ち」に初挑戦。
ほとんど目の見えない彼に、どうやって蕎麦打ちを伝授するか、少し悩んだ。でも
「粉に水入れて、こねて、のばして、たたんで、切る」だけのこと。
「なんとかなる」と腹をくくってやってみると、見事な蕎麦ができあがった。
人間って素晴らしい。日々是好日。