山桜桃

「ゆすら」という。
笠間に須藤本家という日本で一番古い酒蔵があり、そこのお酒の名前。
ワードで「ゆすら」といれると山桜桃がでる。「どうだん」といれると「満天星」がでる。
人工知能も進化していく。「もすら」といれたら「ザ ピイーナッツ」になるのも時間の問題?

ときどき、蕎麦を手繰りにくる社長がいる。京都でお茶会をやった時にも
きてくれたり、二階で定期的に「普茶料理の会」にきてくれたりする紳士。

彼が「山桜桃」を休みの日に二本もってブラリとやってこられた。
お父様が、最近91歳で大往生されたとのこと。「一本をどうぞお飲みください。
もう一本は、ここであけてご一緒に飲んでください」というので、お流れをちょうだいいたします、
という感じで「献杯」をする。久保さんの瀬戸黒のぐいのみで飲んだ。
聞かずとも、「わが人生に悔いはない」人の一生が感じられる。

「施設にいたおやじが、誤嚥で息をひきとった、という知らせを聞いて、「それは、係の人を傷つける
ようなことになった」と心配していたら、医者から後で、その前に動脈瘤が破裂してました、との説明を受け、
「さすがおやじ、よくやった」と思い安心立命の境地で見送くることができました」
と微笑んで一献。ささくれだったような殺伐とした話が多い昨今、さすがだな、という感じがした。
お返しに「これでお父さんとまた飲んでください」と、瀬戸黒をお渡しした。

お酒もお茶も、人と人を紡いでいくものだなあ、と痛感しながら痛飲。年をとればとるほど、どちらも味わい深く
なり、美味くなっていく。これもまた人生。

ここの酒蔵は「木を切るな・・・・」が代々語りつがれ、「酒、米、土、水、木」が家訓だそうだ。
自然を愛し、循環していく自然や、四季のうつろいを大切にしながら酒つくりに精進されている姿を彷彿
させる言葉だ。かくありたいものだ。

昨日で「梅仕事」が終わった。45人くらいの人が参加された。
93歳になる父親から電話があった。「梅干し、梅シロップがうまい。ありがとう。」とのこと。
こちらも「わが人生に悔いはない」を貫き通した大正生まれの大将。
この季節に「梅シロップ」や「梅干し」をいただく「わけ」が、この国の四季のいつろい、という天の恵みの中にある。感謝。

人間の証明

忘れていたものを思い出した。

そんな映画がある。松田優作さん主演。カリスマ調律師のIさんも、大石さんも彼
と同じ中学出身。関門海峡を挟んで、ぼくの生まれた町・北九州と同じ匂いがするちょっと
不良が元気な中学校や高校がある。

その「人間の証明」を歌っていたのが、ボクサーでもあり歌手であったジョー中山さん。
ギターが松木恒秀さん。松田優作も音楽のふたりとも、若くして天国に召された。

昨日は「セシル」から始まり、T.M(松木恒秀)をピアノで奏でてくれた。その曲
はぼくが大好きな「雨音」というアルバムに入っている。雨の日に聴くと、染みる曲
があまた入っている。亡くなった人とは、自分がなくなった後でしかあえない、
と思っていたけど、思い出のひきだしをあけると、あえたりするものだと、最近つくづく思う。

最後が「生きる」。昔のアルバムに入った曲だ。白井晟一さんの「生」
という字がお店に飾ってある。死ぬまでの時間をみな生きている。
生かされたり、生(なま)であったり、一生であったり、「生」という漢字の読み方は
一番多いそうだ。でも人生は二度なし、でもあります。

今日は「英語でそば会」

明日は休みだけど、「満つまめの会」  一か月ぶりにまーくんの気功整体が再開する。

下関音楽マフィアたち・・

今日は「大石学」さんのジャズライブ。
昨日は、カリスマ調律師のIさんが調律にきてくれた。
大石さんもIさんも下関。うちでいちばんライブをやってくれているやまね組の組長も、
下関西高校で、大石さんのひとつ後輩。Iさんとやまねさんが中学まで同級生。
ふたりの音楽の恩師が、国貞雅子の先生でもあり、まさにこの組は「下関音楽マフィア」なのだ。

セシルも「大石学トリオ」で活躍し、2011年に「WATER MIRROR 」のデモ版?を
もってきてくれて「こんど大石がここでやりたい」といって、笑った。
そのアルバムは、澤野工房という大阪通天閣近くにある小さなレーベル。
2011年の「WISH」から始まり、「WATER MIRROR 」・・・4枚のアルバムを
パリで録音した。どれも澄みとおる音が素敵だけど、思い出という効果音も含めて
「WATER MIRROR 」は秀逸だ。

体温を超えるような猛暑日が続くけど、そんな時も、大石さんのcdを
聴いていると、なんとかなる。
寒い冬も、梅雨にもひがな聴いても聴きあきないようなものが揃っている。
でもやっぱりライブはいいよ。

そんなわけで、今日は16時閉店。
これから、「卵かけごはん」
ライブにもこられるかっぽれ仲間のKさんの声がする。
今日もいい日になりそうだ。感謝。

セシルの歩いたブクックリンみたいな十間橋通り

明日は「海の日」。隣の隣のトトロみたいに、ファンキーで陽気な
伝説のジャズドラマーの「セシル・モンロー」の追悼のジャズライブがある。(大石学)

天真庵のHPに「墨東奇談」いう部屋がある。セシルのことが最後なんで、7年くらい書いてない、ちゅうことや。

セシルのことを書いたのを読み直してみた。風化されてはいないけど、「人生二度なし」を痛感する。

第013話 『 セシル・モンロー』

天真庵を作っていた2007年の新春。見たことのない風貌だけど、前世から友だちみたいな顔をした黒い顔の背たかのっぽの人が、ぼくの前に現れた。
「この街にはない洒落たお店ができそうでうれしいよ」と、流暢な日本語で話しかけられたのが、最初の出会いだった。

彼はいつも、緑色の車にのって、天真庵の裏の駐車場からでていった。しばらくして、街の人に、「彼は有名なジャズドラマー」だということ知った。

2008年の正月。初めて「年越し蕎麦&カウントダウンのだらだら忘年会」が終わり、新しい年を迎えたとき、「あけまして、おめでとうございま」と、丁寧な挨拶をされた。その時に、「この街に天真庵を結んでよかった」とこころから思った。

その年の4月1日。つまり天真庵の一周年を、親友のワカ、こと故・吉若徹さんが、お祝いにジャズピアニストの荒武くんを呼んで祝ってくれた。みなが陽気に酩酊して「天真庵にピアノをカンパしよう」と叫んだら、近所の奇特な人が「母が使っていたカイザーというピアノをもらっていただけませんか」という話になり、無駄のない縁で、昭和35年生まれのカイザーが天真庵にやってきた。

その日、セシル・モンローが、うれしそうに「いいピアノがはいったね」と、喜んでくれた。

そして、そのピアノにまたまた無駄のない縁で繋がった音楽家たちが、ぞろぞろやってくるようになった。

その年の7月の墨田川花火大会の日、はじめて「ゆかたライブ」をやった。ミュージシャンのもにじんさん、お客もみな浴衣(もしくは甚平・作務衣)で、下町の夏を楽しむ会が始まった。次の日、モンローさんが、やってきて、「焼酎!のロック」といって、カウンターに座った。「昨日は、浴衣の美人がいっぱいいたね」とのこと。
「ぼくは仕事だったけど、オフだったら参加したしたかったよ」とのこと。

それから、毎年「浴衣ライブ」は、墨田川花火大会の日に、やり続けた。今年は大震災があり、花火大会は8月の27日になった。
震災の直後、「アドマチック天国。に、天真庵もセシルも紹介された。彼とカウンターごしにかわしたジャズ談義は残念ながら放映されなかった。後で、彼の盟友であり、ジャズピアニストの大石学さんに聞いたら、「天真庵のマスターとの話がオンエアーされなかったのが残念だ」といっていたそうだ。まったく同感。

今年の8月20日(土)、「墨田ジャズフェスティバル」の日。インターバルの間に、大石学さんとセシル・モンローが、カウンターに座った。セシルのラップが入っているCDを聴きながら、芋焼酎のロックを飲んだ。そして時間がせまってきたので、うちのかみさんが車で、2人をフェスティバルの錦糸公園までおくった。それがセシルとの最後になった。暖簾をくぐり、出て行くとき、大きな体を丸めて、踵をかえし、「これからも大石さんをよろしく」といって、ウィンクをした。反射的にぼくも下手なウィンクをして、「OK」といい、握手をした。

次の週、隅田川花火大会の日。彼はオフで、息子と千葉の舘山でボディーボードを楽しんでいたが、台風の影響による高波にさらわれて、あの世に旅立っていった。きっとその夜は、浴衣をきて、天真庵にくるはずだったに違いない。

いまだに、彼が召されたことが信じがたくて、駐車場や彼の家の前で立ち止まることがある。いつものように「ハーイ”!」とハイタッチに負けないようなテンションででてきそうで、しかたがない。

死んだワカやモンローさんとは、自分も死んでからでないと会えないのだと思うと、気が遠くなる。でも毎朝、蕎麦を打つときに、モンローさんのCDを聴いたり、ワカの写真を見たりしてると、今でも、こころが通じる気持ちになる。きっと、生きること、死ぬこと、というのは、同じ次元のことではないかとも思う。
つかの間のこの世の旅の途中で、稀有なジャズ好きの親友ふたりに出会えた縁にこころから、感謝。

「セシルの押上ブルックリン」 詩・野村南九

路地裏の 陽だまりに 猫がまどろみ
子供たちが 滑り台で 空から降りてくる公園
大きな体を揺らして モンローウォーク
君の陽気な笑顔は 下町の花だった
BlueSky SkyTree 夕焼けが似合う空
セシルが歩いた街 押上ブルックリン

十間橋通りにある 長屋のカフェ
テラスのベンチで 黒霧オンザロック
おきまりナイトッキャップさ
カウンターの木をたたいて ファンキードラムス
君の刻むビートは やさしい語り部だった
Sakasa-tree Motunabe
川風涼やかな通り
セシルが歩いた街 押上ブルックリン

隅田川のほとりから  花火があがり
小さな秋が そこまできそうな夏の日に
静かに旅立った
オンボロ車を運転して 風邪のように走っていった
華やかなお祭りに   涙雨がつめたく降っていた
Here Now ここに居るよ
涙が似合わない街
セシルが歩いた街 押上ブルクリン

福神橋のたもとの 小さな神社
オトタチバナ姫が 祀られている
美しいおとぎ話がある
一滴の水が 海にかえっていくように
草木が土に もどっていくように ぼくたちも・・
人はひとりで生まれ 一人で死んでいく
つかの間の旅人さ
セシルが生きた街 押上ブルックリン

ワカも歩いた ジャズが似合う街

.

坐る 土の上に 人はふたり おんねん

学生時代に大徳寺の近くに住んでいたことがある。
近くの銭湯に、奇妙なおっちゃんがいた。
いつも洗い場で、けったいな体操をしていた。

フルチンで開脚したり、イナバウワ?みたいにそったり・・・チンチンもいっしょにイナバウワしてた。
「おっちゃん何それ?」と一度きいたら、「まっこうほうや」という。
一度そのおっちゃんといっしょに銭湯の後に、居酒屋にいって飲んだことがある。
縄のれんをくぐり、カウンタに並んですわり、いろいろな話をした。
後に彼が著名な茶人であることを知った。そのころ茶にはあまり興味がなかったので、
そのおっちゃんの顔も名前も忘れた。ただあの真向法の姿と、居酒屋で酔って
話してくれたことのみ脳裏に焼き付いている。これも一期一会なんだろう。

おっちゃん曰く、「坐る、ゆうのは、土の上に人がふたつあるやろ。あれは自己と自我やねん。
人間はそのバランスが悪いさかい、ときどき坐って、茶でも飲んで調整するんや。
それを昔からワケーセイジャクいうねん」
なんのこっちゃわからんかったけど、最近自分も茶を入れたり教えたり
していくうちに、その変のことや、和敬静寂いうニュアンスもわかってきたような気がする。

Mくんがくれた坊さんの本に、道元さんの「正法眼蔵」のことが書いてあった。
「仏法をならうということは、自己をならうなり。
自己をならうというは、自己をわするるなり」というのがあった。

その坊様の解説によると、「自己」というのは、一般的にいわれるそれよりも、一歩深入りし、
「底のない智慧と徳を備えている」らしい。
道元さんが悟りの境地とは、自分も他人も区別のない、梅の香りのするような境涯のようなことを、同じ本で
のたもうてていらっしゃる。
どうも、とどのつまりは、お茶などで、どちらが主人であったり、お客であったりするような堺を超え、
自分たちの「天真」(生まれたままの本心)というか底なしの尊いものを発見し、磨く、そんな境地のことをおっしゃられているらしい。

主客も善悪も男女も分け隔てしない両方が、山の木々のように和敬静寂ぜんと調和されている、そんな世界かな。
誰もが自己よりも、自我のほうに傾いているような昨今。ないがしろにされている「自己」に、より深いものを感じた。

「己を知る」というようなメールを友人からいただいて、しばらく考えていたら、そんなところに
迷いこんだ。あまりつきつめると、頭が痛くなるので、今日もおいしいお茶を飲みながら、お茶を
にごしている朝。今日も「梅仕事」。梅の言霊は、産みなさい、新しいことを始めなさい、
ということらしい。そんな時代がきているような気がする。感謝。

夏バテ予防に梅シロップ

さすがに30度を超えると、九州産とはいえ、暑い。
毎日、梅シロップに炭酸を入れて、ビールのかわりに飲んでいる。
今年は「ビール断ち」(ときどきつきあいでは飲む)した。少しやせた、と思う。

先週から始めた「夏限定」の「能登そばUFO」も評判がいい。
能登の梅干しと、義経伝説が残る能登の「義馬藻」を「冷やかけ蕎麦」の上にのせる。
梅干しを少しかじり、蕎麦を手繰ると、また不思議な世界へ到達する。

昨日は暑い中、亀戸の骨董屋へいく。途中におそばやさんがあり、お店の前に
瀬戸物の古い植木鉢が並んであり「ご自由にお持ちください」と書いてあった。
遠慮なく3つを持って、踵を返して、お店にもどる。すさまじい汗をかき、腕も
パンパンになった。熱中症にならぬよう「梅シロップソーダ」をゴクリと飲み、
もう一度亀戸まで歩く。20分うらいの道程だけど、さすがに汗ダクになる。

帰りに、件(くだん)のそばやの前を通ると、中の主人と目があったので、
「さきほど、3ついただいて帰りました」と礼をいう。
「遠慮なく、残りももっていってください」といわれ、遠慮なく
みっつもって帰った。なんだか申し訳ないので、
そばみそかなんかで一杯やろうかと、また歩いてそばやへ。

すると、中休み、というか休憩になっていてお店の入り口に「支度中」の看板。
でも中に入り、「本日はけっこうなものをいただきありがとうございました」とお礼をいったら、
「せっかくだから、よかったら、もうひとつもっていってください」というので、いただいて帰った。
棕櫚竹を入れていた植木鉢が、渡辺愛子作の信楽だった。それは、能登の家で水をはって、小鳥の水飲み場に
しようと思っていた。さっそく近くのオリンピックにいって、鹿沼土を買い、いただいた植木鉢に
入れ替えた。滝のような汗をかいたけど、なんとなく、いいひとたちにふれあえて、いい一日だった。
亀有、亀戸・・・亀のつく下町はいい人が多い。日々是好日。

ペシコ

フレンチ、はおごってもらっても食べない。
イタリアンも、ほとんど食べない。今回の「能登の梅仕事」
は、父親の調子が悪かったので、いけなかった。鬼のいぬまではないけど、
志賀町のおいしいと評判のイタリアンで梅林ガールズたちは舌鼓を打ったらしい。

島原に「ペシコ」というイタリアンがある。ここは例外的に何度も食べにいった。
地産地消そのものの井上シェフが、世界遺産になった地元や天草の山海の珍味を使って
やさしい日本的なイタリア料理をつくってくれる。昨年廃校になった地元の小学校でそば打ちを
やった時も、家族でそばを食べにきてくれた。「梅味噌」を初めて知ったのも、島原。

その「ペシコ」が8月5日に、新しい場所に移転する。そんな手紙がきた。
手書きで「井上家もみんな元気です」と威勢がいい。
「世界遺産になったので、島原にいってみよう、ボリボリ族」には、この店のよさは
わからないかもしれないが、九州にいくチャンスがあったら、「ペシコ」にぜひ、
というくらいおすすめのお店。

昨日は「梅仕事」。いろいろな人たちが、「梅ぼし、梅シロップ、梅酒、梅味噌」をつくりにきた。
味噌依頼の顔ぶれもいたので、やんちゃ娘の里帰りみたいに、「彼とはうまくいってるか?」とか「まだ別れないのか?」
とか大きくなった子供たちと、遊んだり・・・家の中心には、おいしい「食」と、「笑い」があればいい。

水上勉の「土を喰らう日々」を何度も読んでいる。昨日、梅仕事のところを読み直したら、
赤線がひいてあった。

「量産梅干しを買って、それでめしを喰っても充分うまいけど、手づくりの梅には、手をつくすだけの自分の歴史が、そこにまぶれついている」

さすが、京都の寺で「典座」として修行をした先輩のお言葉。重みがある。

これから「焙煎教室」  午後は「梅仕事」
明日は「ダメ中」 ダメ中のまいこ先生の実家に一昨年に遊びにいき、一泊させてもらった。
その時に「梅干し」とか「梅酒」用の容器を、やまのようにいただいて帰ってきた。まさかそれがこんなに大活躍
するとは、その時は知るよしもなかった。

「人は、手でつくることにおいて、はじめて自然の土と共にある。」(土を喰らう日々、から)

自然の神様がどうも近くにいてくれてるような、そんな香りを喰らう今日このごろ。天恩感謝。

梅仕事人を待たず

昨日の卵かけごはんの時、梅林ガールズがお店にきて
「あ~梅の香りがする~」とひとこと。
「なんでスーパーの梅は香らないし、いつまでも青いのかしら」という話になった。

発酵をおさえて色が変わらない「味噌」や、何か月も腐らないパン、賞味期限をせせら笑う
ごとくの豆腐や牛乳やおにぎりやコンビニのおでん・・・・なんかそんな食品が氾濫してませんか?
「腐る家に住む」なんて特集記事を読んだことがあるが、もたないけど、腐らないような家(マンション)
もあまた。低金利時代なので、手に入りやすくなったけど、ローンが終わるまでもつのかな、その物件?

腐らない家で 腐らないくされ縁の人を 逝くのを待つ

先週能登から捥いで運んできた梅がどんどん成熟していく。梅シロップは、マニュアルだと梅に
楊枝などをつきさして穴をあけて、砂糖とか能登の飴でしこむ。でも今年は穴をあけずにやっているけど、
次の日から発酵がすすんでいい具合だ。「生きている」を感じながら梅仕事を毎日こなしている。
「歳月人を待たず」(陶淵明)というのがあるけど、「梅仕事も人を待たず」だ。

今日も明日も明後日も「梅仕事」。やってみないとわからないことが多いけど、やってみてわかったこと、
の「外」に、もっと大切なメッセージが下りてきていることを感じた。
再現性もなく、理路整然と説明がつかないけど、自然の神様が何かを教えてくれているみたい。
いろいろな手間と無駄もいっぱいでたけど、お金では買えない「大事なこと」がいっぱい。

木曜日は「焙煎教室」。能登のマルガジェラートを食べていた時、「これだ」と直感した
ものをお弟子さまたちに、伝えることにしよう、っと。

「7月のライブ」
16日(月・祭) 大石 学 ソロ LIVE

演奏:大石 学(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

28日(土) もにじん花火大会 らいぶ

演奏:じんじん(ギター)・マツモニカ(ハーモニカ)

17時開場 17時半開演 ドレスコード:ゆかた・甚平 ¥3,000(蕎麦・珈琲 付き)

いんげん、どうげん、;;;とくれば

日本の禅は、隠元さんの黄檗、道元さんの曹洞、そして栄西さんの臨済禅の3つ。

栄西さんは「喫茶養生記」を著し、お茶の普及に尽力した人。京都祇園に建仁寺を建てた。
界隈の料亭などを「お茶やさん」といったりするのも、この方の功績でありまする。
お坊さんが花街で遊ぶのが好きなのの、この人のおかげ。「お茶やさんへ、ちょっと・・ボリボリ」すれば、
なんとなくお茶を濁すことができる。

昨日は梅仕事。一階では「蕎麦打ち」と「寿司の会」をやっていたので、梅仕事は二階でやった。
昨日のすし会は、梅仕事と重なるし、そば寿司を事前につくっていた。
そばを300gゆでる。すまきの上にラップをのせ、それをふたつ用意する。
じょうずにそばを並べ、その上に、かんぴょう、味つけしたしいたけ、胡瓜を適宜のせ、
「ぐるぐるまきにすまきにして、海にほかすぞ」よろしく、ぐるぐる巻いて冷蔵庫に入れる。
食べる直前に、ラップとすまきから解放し、のりにまく。のりに浦表があるけど、
食ってしまえばおんなじなので、まいたら、切れる包丁(切れる、が大事。ちゃんと砥石を買って練習しよう。
砥石を必要としないステン、とかの包丁を使っているひとは、その限りではござらぬ。)

かんぴょうは、先月久保さんちから能登へ向かう途中、長浜で調達したものを、味付けした。
あまりに美味いので、調理する途中に半分近く試食され、酒といっしょにぼくのおなかに入っていった。
胡瓜は「暮らしの実験室 やさと農場」からきたもの。いぼいぼが元気で、それを、切・れ・る・包丁で
こそげ取る。やはりこの工程で、2本くらいが、おなかの中に消える、くらいうまい。

昨日は前菜に、おなじくやさとからきたトマトを食べた。スーパーに並ぶトマトは、工場みたいなハウスで
つくられたものが、都内に運び、大手スーパーの倉庫からお店にいく時間を計算して、出荷する。
いっぽう、農家さんが路地でつくっているものは、集荷されるその日の朝まで光合成をやっている元気印。
似て非なること、語るのもむなし。すべてが、そんな具合だ。
昨日はそれに「梅味噌」をかけて食べた。筆舌が及ぶはずがないくらい、う・ま・い!

これから「卵かけごはん」。お米はかわいい妹が福岡でつくっている「元気つくし」。
味噌は手前味噌。味噌汁の身は、やさとのジャガイモ・にんじん・もろへいや・・ほか・・
卵も「くらしの実験室 やさと農場」  香のもの「自家製 糠味漬け」

おくられてきた野菜の箱の中に「かたつむり」がいた。無農薬の野菜である証拠である。
全国的にめっきり姿を見なくなった絶滅危惧種である。きっとそのうち、われわれ人間たちも、
同じような運命をたどるような気もする。

かたつむり どこで死んでも 我が家かな(小林一茶)

死ぬ場所が「我が家」である、というのも稀有な昨今、さすが一茶さん、おみごとや。
今日の夜は「長屋で女史会」 この会にでると、日本人の「こころの積み重ね」みたいなものが
とても勉強になり、酒がその都度うまくなる。感謝。

道元さんのどげんしたと?

隠元さんの次は道元さん?黄檗から曹洞宗。

昨日仕込みをしていると、近所のMくんがふらっと赤い自転車にのってやってきた。
シャイな性格なので、普通に営業している時にくることはほぼない。
「だって、貧乏してて500円払うのもったいないもの・・」とおかま言葉でのたまう。

このお店が始まったばかりのころ、華道家の原田先生を紹介してくれたのは彼のおかげ。
「いっしょにやるか?」というと、「私まったく実技に興味はありませんの」と馬耳東風。

一昨年のある日、「百年の梅仕事」という本をもってきてくれた。
「これ大事な本なので、読んだら返してね」とのこと。その数日後に奇しくも能登から
梅がおくられてきた。「梅林ガールズ」がそこから始まる。まったく不思議なおとこ(おかま?)だ。
「おんな好きのおかまなの」と自称し、普通の人間の目線からいうと「奇人変人」の最高峰
にいそうな彼だが、神の目線でいうと「普通」なのかもなんばん。30年近くつきあっていてまったくわからん。

昨日はの茶事の本と、掛け軸をもってこられた。
「掛け軸はタダであげる。能登に飾ってちょうだい。この本は15万でゆずってあげる」といってニヤっと
笑った。先月久保さんと「能登では、炉を切りたい」という話をしていて、まるでそれを聞いたかのような本。

曹洞宗の高僧の軸だ。寒山拾得の拾得は箒をもっている。お寺に拾われ、掃除や雲水たちの
料理を担当する「典座」(てんぞ)である。曹洞宗の始祖「道元」に「典座教訓」という本がある。
彼が中国に修行にいった時、老僧のような典座が、南里もの道を歩いて港に「しいたけ」を探しに
きていた場面にでくわし、若い道元が「あなたのようなベテランがなぜわざわざ・・」みたいなことを質問したら
「あなたは、まだほんとうの修行の意味がわかっていないようだね」といわれ、悟ったようなところがある。
とても印象的な場面であるし、人生の示唆を含んでいる。

道元さんの代表的な本が「正法眼蔵」
その中に「梅華の巻」というのがある。とにかく、道元さんは、お茶・座禅・トイレ・料理・・・
など日常のなにげない中に「禅」を求めた。

人間が悟りの瞬間を感じる時、汝と私という垣根がなくなる。それはまるで梅の花が熟し開花し、
あたりに清らかな香りを放っているような調和された世界である。

昨日から「梅仕事が始まった」。ほんとうにすばらしい梅の香りが漂っている。生きとし生けるもの、
森羅万象、おひとりおひとりが「個の花」を咲かせ、調和のとれているまんだら世界・・・
そんな香りに抱かれているような毎日。

今日も「梅仕事」。朝から選別におわれている。夕方は「蕎麦打ち」&「すしにぎりの会」

梅経寒苦発清香
「梅は寒い苦(冬)を経て精花を発す」  自然や花に学ところ多し

Mくんがもってきた軸は

「一雫潤乾坤」

一雫(ひとしずく)は乾坤(宇宙・天地)を潤す

原田先生のお花の会を「一雫の会」といった。たぶんM氏は、それを追悼するような気持ちで
この軸を能登に飾り、そこで花を手向け、茶をやれ、というメッセージをくれたに違いない。感謝。