恋は遠い日の花火ではない

そんなCMがありました。
一日おくれで「隅田川花火大会」が昨日ありましたでござりまする。
毎年は「もにじん」さんたちの「浴衣ライブ」から始まり、片づけの途中で、
お店のオープンエアーなスペース(元犬小屋)からチラリと見ながら、ビールを
飲む、なんて具合だった。昨日は最初から最後まで初めて見た。
路地裏に上がる花火で、上のほうまであがるものしか見えないけど、その半端
なところが風情がある。近頃はマンションが多くたち、にわかに「特別席」みたいな
場所ができたらしいが、花火も桜も、下から見上げるのがよろし。できたら
美人の膝枕・・・というのが昔から粋人のあこがれである。

せくなあせるな世間のことは しばし美人の膝枕

都都逸にこんな艶冶なものが・・

♪横に寝かせて 枕をさせて 指で楽しむ 琴の糸

お祭り好きだったたまちゃんも昇華され、昨日は「お弟子さんへ・・」という
応援団先生のはからいで「三味線」が届いた。木づくりの三味線建てに入って
あるものを出して、つま弾いてみた。かっぽれや木遣りや、放送コードに抵触しそうな都都逸
を奏でていた音が懐かしい。しまおうとすると、木の底に名刺が落ちていた。
「ふ・・・代表・・・・M」の名刺。小川町の料理旅館で「順受の会 20周年のお座敷」の時の
料理旅館の代表者の名刺である。結局これが「最後のお座敷」になった。この三味線は練習用なので、
お座敷の前にお部屋で練習していたものだと思う。晩年は声も踊りも、ホロビッツの晩年同様
「骨董にひびが入る」ようなふうもあったけど、この道にかけてきた芸人魂を見るようでジーンときた。

今日は、その名刺のM先生の「順受の会」。今年は「荘子」を勉強している。
老荘思想とは、論語いわゆる孔門の思想とは、背反するものがあり、無為自然を旨とし、
道(タオ)の一元論をとなえ、宇宙のいとなみと人のそれを同じ道とし、人の生き死には、
同じようなもので昼夜無覚とようだと考え、悲喜することを排斥した。

お茶の雑誌に「淡交」(たんこう)というのがある。
「君子の交わりは淡き水の如し」という荘子の言葉からきている。

順受の会は、23年目になる。長く続くコツは、先生が偉ぶらず、生徒同士も
あまりベタベタせず、机を並べて勉強する同志のような距離で、あっさりとつきあって
きたことが大きいのでは・・「論語読みの論語知らず」の名言はあるが、
黄泉(よみ)の国にいくまでは、荘子よろしく「淡き水の如く」の気概で生き抜いていきたいと思う。
花火のように、熱く燃えるような恋も悪くはないが・・

♪顔見りゃ 苦労を忘れるような 人がありゃこそ 苦労する

矛盾することころが人生の機微なね。いいね。たまちゃんが「昔花柳界で、こんなのが流行ったわよ」
といって、三味線弾きながらやった都都逸にこんなのがある。

♪諦めましたよ どう諦めた 諦め きれぬと 諦めた

もてる男もきっと苦労やけど、女ごころも粋やね!90年の芸者人生にも、恋の花火がいっぱい・・

これから「卵かけごはん」
明日は「書の会」

けんかもよくした、たまちゃんやったけど、最後はよかったね。

♪白だ黒だと 喧嘩はおやめ 白という字も 墨で書く

ちゃんちゃん!感謝。