てんてこまいな一日

昨日は、たまちゃんの顔を一目見ようと、弟子たちが集まった。
一門会ではみな艶やかな着物に三味線という出で立ちだが、昨日
はみな喪服。
そもそも「師匠というのは弟子が発見するもの」だと思う。
おばあちゃんくらい年の差がありながら、三味線の弟子になり精進した若い女子
たちの生き方とやさしさに心打たれた。ここらいへんの下町の人情って、
なかなかほかでは見られない。独居老人で、最後は病気がちで、三味線もかっぽれも
おぼつかなくなったけど、ちゃんと弟子たちが、協力して面倒を見てくれた。幸せな人生やな。

かみさんの運転で斎場に・・・
帰ってきて、たまちゃんの在りし日の写真をみながら談論風発。
「て・こ・ま・い・の姿、見てみたかったね」との声。
手古舞・・・江戸時代の祭礼で、女性が男装をし神輿みこしの 先駆をして舞った舞。浅草芸者時代によくやったらしい。
祭りで神輿をかつぐのも大好きだっだけど、まげをゆい、右肩ぬぎの派手な襦袢姿で、闊歩するのがなによりも好きだった。
天手古舞・・これも神楽の太鼓などで踊り狂う姿から、忙しすぎることを、「てんてこまい」というようになった。

ときどき、わがまま芸人のサガから、弟子やまわりの人たちを、てんてこまいにさせたたまちゃん。
最後は、弟子たちに見送られ、「よかったわ」と笑いながら手古舞で三途の川を渡ったに違いない。
弟子のひとりが「生きているうちに、師匠に出会えたことに感謝したい」といって涙ぐんだ。

そんな会話をカウンターで聞いていた三線のタケシィが「いい話をきかせてもらいました」
といって整体の後のお茶を飲みながら笑っていた。先週までパリの路上で三線を弾いた。
たまちゃんもロスの路上で三味線を弾いた経験がある。三線も三味線も、根っこが同じ。
人が生きる、って、寂しいことやつらいことが多く、それらの感情から音楽という芸術が作られていく。
でもこの星で、一番の芸術は「ひととひとがであう」ことだと思う。

たまちゃんは、そばを手繰って、珈琲を飲むときに、必ず「ひとごごち、がついた」といった。
「ほっとする」時間って、大事やね。安らかに、天国で、ひとごこちをつかせてください。感謝。

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