いんげん、どうげん、;;;とくれば

日本の禅は、隠元さんの黄檗、道元さんの曹洞、そして栄西さんの臨済禅の3つ。

栄西さんは「喫茶養生記」を著し、お茶の普及に尽力した人。京都祇園に建仁寺を建てた。
界隈の料亭などを「お茶やさん」といったりするのも、この方の功績でありまする。
お坊さんが花街で遊ぶのが好きなのの、この人のおかげ。「お茶やさんへ、ちょっと・・ボリボリ」すれば、
なんとなくお茶を濁すことができる。

昨日は梅仕事。一階では「蕎麦打ち」と「寿司の会」をやっていたので、梅仕事は二階でやった。
昨日のすし会は、梅仕事と重なるし、そば寿司を事前につくっていた。
そばを300gゆでる。すまきの上にラップをのせ、それをふたつ用意する。
じょうずにそばを並べ、その上に、かんぴょう、味つけしたしいたけ、胡瓜を適宜のせ、
「ぐるぐるまきにすまきにして、海にほかすぞ」よろしく、ぐるぐる巻いて冷蔵庫に入れる。
食べる直前に、ラップとすまきから解放し、のりにまく。のりに浦表があるけど、
食ってしまえばおんなじなので、まいたら、切れる包丁(切れる、が大事。ちゃんと砥石を買って練習しよう。
砥石を必要としないステン、とかの包丁を使っているひとは、その限りではござらぬ。)

かんぴょうは、先月久保さんちから能登へ向かう途中、長浜で調達したものを、味付けした。
あまりに美味いので、調理する途中に半分近く試食され、酒といっしょにぼくのおなかに入っていった。
胡瓜は「暮らしの実験室 やさと農場」からきたもの。いぼいぼが元気で、それを、切・れ・る・包丁で
こそげ取る。やはりこの工程で、2本くらいが、おなかの中に消える、くらいうまい。

昨日は前菜に、おなじくやさとからきたトマトを食べた。スーパーに並ぶトマトは、工場みたいなハウスで
つくられたものが、都内に運び、大手スーパーの倉庫からお店にいく時間を計算して、出荷する。
いっぽう、農家さんが路地でつくっているものは、集荷されるその日の朝まで光合成をやっている元気印。
似て非なること、語るのもむなし。すべてが、そんな具合だ。
昨日はそれに「梅味噌」をかけて食べた。筆舌が及ぶはずがないくらい、う・ま・い!

これから「卵かけごはん」。お米はかわいい妹が福岡でつくっている「元気つくし」。
味噌は手前味噌。味噌汁の身は、やさとのジャガイモ・にんじん・もろへいや・・ほか・・
卵も「くらしの実験室 やさと農場」  香のもの「自家製 糠味漬け」

おくられてきた野菜の箱の中に「かたつむり」がいた。無農薬の野菜である証拠である。
全国的にめっきり姿を見なくなった絶滅危惧種である。きっとそのうち、われわれ人間たちも、
同じような運命をたどるような気もする。

かたつむり どこで死んでも 我が家かな(小林一茶)

死ぬ場所が「我が家」である、というのも稀有な昨今、さすが一茶さん、おみごとや。
今日の夜は「長屋で女史会」 この会にでると、日本人の「こころの積み重ね」みたいなものが
とても勉強になり、酒がその都度うまくなる。感謝。